照明
扉を開けると外からは賑やかな声が響いてくる。落ち葉が散乱した階段を上り三階の踊り場を見上げると懐かしい顔が見えた。
「久しぶり」
「この間廊下ですれ違ったけどね」
気付いたのは三者面談の日。
あ、緋紗子だ。と思ってしまったのが一瞬。笑顔で会釈してなかった事にした。
それでもその日の部活で顧問のくせに突き指してしまったり、帰りの駐車場で荷物を全て職員室に置いてきた事に気付くぐらいには動揺している事を認めて連絡をしてみた。
これで連絡が取れなければ諦めよう。別にヨリを戻したいわけでもないし、昔の同級生と懐かしい話をしたかっただけだと言い聞かせて。
届くのかも分からない、学生時代に二人で考えたメールアドレスにメールを送ってもエラーメールは返ってこなかった。代わりに二日後に返信が届いていた。
「飲む?」
「え、勤務中でしょ?」
「うちの学校は先生も緩いから。今日は保護者にバレない程度に陽気にやろうってお祭り騒ぎだよ」
職員室の冷蔵庫から取り出してきたビールを一本差し出すと、すんなりと受け取って悪戯っ子のように笑う。その懐かしい笑顔に喉の奥が締まる。
「私、保護者だけどいいの?」
「保護者の前に友達でしょ?はい、乾杯」
締まった喉にビールを流し込んで外を眺める。隣でカシュっと軽快な音がした後に喉を鳴らす音が聞こえてくる。
「うっま」
「昼間のビール最高」
外階段は校舎の端に位置していて賑やかな場所を見下ろすには少し身を乗り出さなければならない。柵に肘をついていると緋紗子も私の隣に来て同じように肘をついて眺めている。
飾った門に均等に並んだテントの屋根。カラフルなTシャツに身を包んだ生徒達。賑やかに楽しそうで、けれどきっと一瞬のことだ。
「緋色はどこかなー」
「今は劇の準備してるんじゃないかな?」
「そっかーそれにしてもまさか満が緋色の副担任だったとはねー」
「私もびっくりしたよ。いつこっちに戻ってきたの?」
緋紗子は二十歳で結婚するために地元を離れた。工場を営む実家の為に取引先の跡継ぎと結婚しなければいけないなんて古臭くて個人の尊重もされていない理由で私と別れて。
「緋色が中学に上がる時だから三年前ぐらい?」
「そうだったんだ…旦那さんは?」
「別れたよ。父さんが足悪くして工場も終わりだったし、女の子しか産まれなかったからすんなり」
「そっか、お疲れ様」
「…満は?結婚した?」
「いや、仕事ばっかりしてたら次は親の介護よ。あと男性はやっぱり無理だった」
「変わらないね...というかなんでそんな若々しいの?」
「毎日運動して若い子に囲まれてるからかなー?緋紗子は年相応って感じだね」
「子供産んだら老けたわ。いいなぁー私も若返りたい」
そう言ってくるりと身を反転させると柵に背中を預けて仰け反り空を仰ぐ。目尻の笑い皺以外、その姿は高校生の時のままだった。
「私たち文化祭の時に何した?」
「覚えてないなぁ…クラスの演劇で照明したのは覚えてる」
「あーそうだ。あの時初めて満からキスしてくれたんだ」
「うわ、やめてよ恥ずかしい」
また悪戯っ子の笑顔。照れ臭さと覚えていてくれた事が嬉しくてこちらも頬が緩む。緋紗子と過ごした時間は沢山あったけれどあの時のことはよく覚えている。
「なんでお姫様の役を断ったの?」
「きっと私は舞台の上に立ったら声も出ないと思うよ」
本番が始まって静まり返る会場でも体育館の二階の一番後ろでは小声で話すことが出来た。
「クラスで一番緋紗子が可愛いのになぁ」
「そんなことないよ。山本さんとかモテモテじゃん。次のセリフ終わったら暗転」
台本を見ながら指示する緋紗子に合わせてスポットライトを操作する。大体は覚えているけれど緋紗子が隣にいると安心する。
「あい。山本さんは目立つ顔してるけどちょっと違う気がする」
「合図来たらセンターにスポット。いいじゃん、こうやって一緒にいれるんだから。合図来たよ」
放送室の窓に赤いライトが点滅しているのを確認してセンターにスポットを当てた。
「ヨイショ。確かにそれもそうかも」
「次は左に行く人を追いかけて。そういえば満って可愛いってべた褒めするくせに自分からキスしてくれないよね」
「オッケー…だって恥ずかしいじゃん」
「舞台からはけたら暗転。私…時々本当に愛されているのか不安になるの…」
スポットライトを消すと幕が一旦閉まり、大道具が入れ替わる間に語りが入った。緋紗子の方を見ると悪戯っ子のような笑顔を浮かべている。舞台の上でも十分やれる演技力だ。
「次は?」
「ねぇ真っ暗だね」
斜め後ろにいた緋紗子が横に並び、私の肘を掴んで囁く。こうなると緋紗子はテコでも動かない。諦めて首を屈めて軽くキスをする。たったそれだけなのに頬が熱くなる。暗くてよかった。
「うーん、ちょっと短かったなぁ。幕が開いたらすぐセンターに」
「はいはい」
幕が開いてすぐにスポットライトを点ける。横目で緋紗子を見ると悪戯っ子の笑顔が満足げになって、白のライトなのに頬がほんのり赤く染まっていた。
「アツアツだったね…」
「うん…あの時緋紗子も照れてたよね」
「えっそうだっけ?満が照れてた事しか覚えてない」
「そうだよー」
「あれ、緋色だ」
緋紗子につられて下を眺めると緋紗子の娘が喧騒から離れた方向へ歩いていた。友人と二人で話しながら校舎の角を曲がってゴミ捨て場の方へ歩いていく。
「お、あの子は同じクラスの三井だよ」
「あぁ、たまに家に来てる子だわ。菫ちゃんね」
「そうそう」
「あの子ちょっと満に似てるよね」
「え?そうかな?身長は私と同じくらいだけど」
「それもあるけど、雰囲気が?」
「へぇー初めて言われた」
角を曲がった緋色に合わせて私たちも身体の向きを回転させていく。ビールを飲みながら回転するおばさん二人の図は少し滑稽かもしれない。
どうやら目的地はないようで、適当な位置に来ると塀に背中を預けて二人で話し込んでいた。時々笑顔になっては相手の身体を叩いたり手を取り合って手のツボを押してみたりとスキンシップが多い。私たちもあんな感じだったのだろうか。
「ねぇ満、今でも私のことを好き?」
「もちろん。ずっと好きだよ」
「恨んでたりしないの?勝手に結婚して子供まで作って」
「あの時の緋紗子がちゃんと説明してくれたじゃない。工場のためだって」
「そっか。満はずっと変わらないね」
ビール一本で酔ったのだろうか。緋紗子の横顔はぼんやりと娘を眺めながら答えを探しているみたいだった。変わったのは笑い皺だけじゃなかったみたいだ。
「えっ」
緋紗子が突然素っ頓狂な声を出すものだから私も目線はそちらへ向かったが瞬時に、見て良かったのか判断に困った。
それは緋色と菫がキスを交わす姿だった。
「そっかぁ…」
緋紗子は見てもいいものだと判断したらしく、頬杖をついて眺めている。私も柵に体重を預けて少し小声で話しかける。
「大丈夫?」
「大丈夫。アラフォーですよ、私達」
「怖いわねぇ奥さん」
「私たちはずっと照明係なんだろうねぇ」
「そうねぇ。私は緋色のこと応援するよ」
「そりゃもちろん。私たちのようにはさせたくないよ」
「じゃあ、緋色の検討を祈って」
「乾杯」
缶と缶がぶつかりボヨンと気の抜けた音がした。
二人を見下ろしながら少しぬるいビールを飲む。
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