蛹カプセル

ひかりみらい

第1話 メーシリー

  その小さな繭状の生命体は無数の蛋白質の繊維質で構成されていて幾つもの毛細血管が交差した球状のそれは、糸先が剥げて磨耗した時のように表面状から細かく吹き出すようにして太陽の光を受け幾つもの色彩を発色させていた。又それ自体が生命体である事を証明するかの如く、橙色や茶色、白色や紫色を表面上に浮き出すようにして其処に存在をしていた。

 其れ自体が生命体である事が認識できるのは、其れらが薄紅色の毛細血管で張り巡らされている様子からも窺えるが、二十数年間もの長き時間の過程の中で、無数の錯綜したパラメータ群による肯定と否定の繰り返しのアップデートの実行によって其れらの鮮度が保たれている事からも窺い知る事が出来るのであった。

 現代の社会では、令和と謂う新たなる年号を迎えたわけだが、私達は旧来の昭和や平成での膨大な記憶情報の渦の欠如の事実に気が付く事も無く、時間は無情にも経過してゆき、またそれは、新たなる価値基準へと擁壁を塗り替えたようにリカバリーの更新がされ、情報という巨大な鯨が大衆から個人所有への移行という幻想に姿を豹変させてゆくのであったが、この社会の基礎メカニズムを知り得る者たちは、実は日本では至極、稀な存在なのだという事を改めて痛感させられるのであった。また、それらについて自覚無き大衆という鯨について、決して愚弄は出来ないことも良くは理解はしている。だが、いつの世も大衆とはそのような存在なのであって、現代社会での処世というものは、それを知り得た上で、個人単位の生き方の所作として高い技術を体得すると同時に、また時間経過と共に、繭の中で清潔な状態で構築され歴史として蓄積されてゆくのだから大衆の知るところでは無いのは、当たり前なのである。つまり日本の繁栄という幻想を知らずに生まれてきた若者達は、自分達がその繭の中で孵化をする事無く生かされているという事自体に気付かないままに、この新たなる年号を迎え入れたに過ぎないのであるが、現代の大衆という鯨が誤認をしている社会的幻想なのであって、それが現実との乖離によって生じる歪みを孕んでおり人間の欲望という本能が織り成す行為として現代社会に体現されているのだから、結局仕方が無いことなのである。つまりそれは、一種の諦めにも似た大人への成長の過程であり、人生の無力感でもあり、誰にも気が付かれる事が無く繭の糸が纏わりつき絡まって解けない糸のように、複雑さを帯び薄ら汚れた大気のように重く暗く漂っているのである。

 羊水の成分で満たされた高さ48メートル幅15メートルで造られた大型の繭の器の中に繋がれるように、その器の底部に設けられた無数のジャックポケットから幾つもの黄色の配線が床を這うように伸び、研究施設の部屋の隅に置かれた人工サーバの背部の差し込口に繋がれていた。その人工サーバを経由して、別室の繭の器の貯蔵室へとそれは送られており、その部屋では、数億個の繭の個体が厳格な衛生基準を満たして管理がされていた。

 巨大な繭の器は強化硝子に覆われていて、羊水に浸かっている巨大な嬰児は女性の母体で約10ヶ月の時間を要して宿る妊娠の形態を成してはいたが、それ自体は人間の嬰児の肉体をしてはおらず、例えるならば、古代文明にまで遡った恐竜の嬰児のような形状をなした生命体であった。

 博士はそれを「母なる嬰児」フランス訳で、「メー・シリー」と名付けていた。このフランスで極秘裏に進められていたこのプロジェクトは、同時に進められていた宇宙開発とは別次元で研究開発がされていた。嬰児の種となる精子と卵子は厳格に選別と選定がされ交配が行われていたのだが、選別項目の分類には各々の国籍や胚の遺伝子要素が含まれていた。胚の選別には古代にまで遡った血統調査がされていて、これも又、何千億通りの種類として細かく格付けがされた。巨大な羊水に浸かる「メー・シリー」は、古代爬虫類のように、眼球が赤黒くふてぶてしい程に力強く澱み、そして濁った黄色と煤んだ赤色からなる分厚くて硬い皮膚の二重瞼に覆れていたが、その眼球の中心部からは抜け落ち惚けた白色光を放していた。

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