第5話 美味しいスープの作り方
「お母さんのスープってどうやって作るの?」
「お母さんのはね、皮も葉っぱもヘタも全部使うの。野菜くずとお水と白葡萄酒を一緒に煮て、この汁でスープを作るの。そしたら美味しいのができるからね」
「ねえお母さん、やってみたい」
「あら、お手伝いしてくれるの? それじゃあタマネギの皮を剥いてちょうだい」
まだアルヴィンの背丈が半分程だった頃の夢だ。
母親の手伝いをしようとタマネギの皮をむしって、その果肉まで剥きそうになったのを止められた。野菜くずが鍋の中で揺れるのを見つめながら、母親が野菜を切る音を聴いていた。
自分の作るスープが物足りない理由が判明した。たったそれだけの夢を見て、アルヴィンは窓が風で揺さぶられる音で目を覚ました。
「ふぁ……」
アルヴィンは欠伸を零して大きく伸びた。
寝ぼけ眼のまま瞳を金に輝かせれば、空中に現れた水がポットに吸い込まれ、僅か数秒で沸騰して湯気を立てた。茶漉しは少し前に壊れてから買っていないままで、カップには茶葉を直接入れている。
「エルヴィス、朝だぞ」
身体を揺らしてもすぐに起きないのは毎度のことで、アルヴィンは先に自身の寝癖を直した。エルヴィスはいつも、アルヴィンが身嗜みを整えて着替え終えた頃に、芋虫のように動いて毛布から顔を出す。
「アルヴィンおはよ……」
「おはよう。飯は昨日のスープでいいよな」
「んー」
まだ目が覚めていないらしく、エルヴィスは再び毛布に顔を埋めた。アルヴィンは魔法で鍋の底に火を点け、大きな硬いパンを包丁でスライスした。
昔は乾いて固くなったパンをスープに浸して食べていたが、アルヴィンが魔法をうまく使えるようになってからは魔法で温めている。水分を与えつつ弱い炎で焼いてから強火で炙ると、内側は汁に浸さずとも食べられる柔らかさ、外側は食べ応えのある固さと食感になる。
食べる直前に温めた方が美味しいので、アルヴィンは再びエルヴィスを揺り起した。
「ほら、パン焼くからさっさと起きろ」
「うーん……。ねえアルヴィン」
「どうした」
「なんだろう、この、これ……具合悪いのかもしれない。なんか怠い」
「ん?」
渋い顔で体調不良を訴えるエルヴィスの顔は、確かにいつもより青白い。まだ食事を摂っていない割には体温も高く、エルヴィスは人生初の体調不良に不思議そうな顔をしている。
「ねえ、これ熱とか出たりするのかな」
「まだなんとも言えないな。飯食えるか?」
「うん、食べる」
スープもパンも完食して、エルヴィスはいつもと変わりないように見える。違うのは顔色と、本人にしか分からない倦怠感だけだ。
食事を終えたエルヴィスが出掛ける準備をし始めたので、アルヴィンは矢筒を取り上げた。
「お前な、そういう時は1日中寝とくもんだ」
「そうなの?」
「こういうのは早く治すのが重要だからな。長引くと身体も辛いし仕事もできない、そういうわけだから今日は大人しくしてろ」
「え、じゃあ今日の仕事は?」
「仕事、は……お前は今日は休みだ。パン粥作ってくから昼飯に食えよ」
初めて体調を崩した相棒を1人にしていいものか、若干悩みはしたものの、アルヴィンは仕事を得るために出掛けることにした。
食欲があり意識もしっかりしているなら大して心配はいらないだろうと、手早く調理に取り掛かった。
パンを適当な大きさに切って、魔法で常に冷やしてある山羊のミルクと一緒に鍋に入れ、パンを潰しながら弱火で煮込む。エルヴィスはそれを興味津々で覗き込んだ。
「僕、パン粥って食べたことないんだよね」
「乳離れする子どもに食べさせる定番なんだけどな」
「うーん、憶えてないだけかな」
「かもな。よし、それじゃあ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
ひらひらと手を振るエルヴィスに見送られて、アルヴィンは急ぎ足で広場へと向かった。
アルヴィンが得意とする魔物駆除の依頼は幸い競争相手が少ない。とは言え最も広場が混み合う朝に出遅れると、比較的まともな依頼は捌けてしまう。
アルヴィンが広場に到着したのは、ちょうど人が集まり始めた頃だった。ほっと息をついて、アルヴィンは鞄の中から細切りの布を取り出した。
広場を利用する冒険者は、受けられる依頼に合わせて色のついた布や紐を身に付ける。アルヴィンは魔物の駆除を意味する赤い布を鞄に縛り付けた。
「あら、あの子じゃないかしら。ルブさんが言ってた魔物退治の冒険者って。あの赤毛の」
「まだ子どもじゃないか」
「そう? あれくらいの子も結構いるわよ」
中年の夫婦らしき2人組の声が聞こえてきたので、アルヴィンは彼らを一瞥した。目線が合った女性が小さく微笑んで、いそいそとアルヴィンに近付いた。
「あの、魔物退治が得意な、アル? アル……アルフォンス? ってあなたのことで合ってるかしら」
「多分俺のことだと思います。アルヴィン・ファーガスです」
「そうそう、アルヴィン! あと金髪の子もいるって聞いてたんだけど」
「今日は俺だけです。1人でもちゃんとやりますよ」
どうやらキャラバンを利用しない依頼人の間でも、アルヴィンとエルヴィスの評判は広まっているらしい。
無所属の冒険者は警戒されることも多いが、評判が良いと信用されやすくなり、仕事も取りやすくなる。
「氷蜂の巣の撤去ってお願いできる?」
「ご自宅の近くですか? 巣の数は?」
「家の裏に畑と豚小屋があるんだけど、その小屋の屋根に巣を作られちゃったのよ。数は1つだけど、何匹いるかまでは分からなくて」
「分かりました。報酬は?」
「1000ウィーガルでなんとかならないかしら……?」
「1000ですか」
リンガラムの住民は基本的に裕福ではない。キャラバンを脱退したばかりの頃は彼らの提示する報酬に驚愕していたアルヴィンだが、今では相場を掴めるようになっていた。
アルヴィンとエルヴィスは主に魔法のおかげで、標準的なリンガラムの住人や、無所属の冒険者の3倍近くの収入がある。つまり彼らはそれくらいの収入しかないのだ。以前移動屋台で売られているのを見た、2000ウィーガルのエルベリーがいかに高価なものかよく分かる。
アルヴィンは顎に手を当てて唸った。報酬はやや安いが住居の敷地内での仕事なので、未払いで逃げられる可能性はほとんどなさそうだ。
受けるべきか考えているアルヴィンを見て、依頼主はどうやら金額の問題だと考えたらしく、困ったように眉を下げた。
「少ないっていうのは分かってるんだけども、これしか用意ができないんだ……。夕方になると草狸が畑を荒らしにくるもんだから、そっちの駆除もあってだね……」
「そうでしたか。ちなみに、草狸の駆除も1000ウィーガルですか?」
「一応そのつもりで人を探しているんだけども、なかなか受けてもらえなくてだね。やっぱり少な過ぎるのかねえ」
「ふうん……。分かりました、両方俺が受けます。1800ウィーガルでどうですか」
アルヴィンの提案に、夫婦は驚いて目を瞬かせた。
危険な場面のある魔物退治は、基本的に他の仕事より報酬が多い。とは言えキャラバンを仲介しない依頼主の多くは貧乏人で、報酬を多くは用意できない。そのため無所属の冒険者には魔物退治は不人気で、アルヴィンやエルヴィスのように専門で行う者はほとんどいない。
キャラバンを脱退した日にブラムが言っていたような、周りの冒険者への影響は少ないだろうと、アルヴィンは仕事を2つとも受注した。
夕方にまとめて駆除する約束をして、アルヴィンはそれまでの時間でできる仕事を探すことにした。
一般的な冒険者なら準備が必要だが、アルヴィンの魔法には準備がいらない。稼げるだけ稼ごうと、アルヴィンは人々の隙間を通って広場の中央に向かっていった。2人組の男が、その後ろ姿を見届けていた。
「キャラバン脱退したのに、なんとかなっちゃってますねー。しかも警戒心もそこそこ強そうだし。こういうのって口説きにくいんっすよね」
「まあ、実入りは確実に少なくなったでしょう。その内厳しくなるんじゃないですか」
「その内じゃ困るんすよね、あのボンボンも急かしてくるし。てか、あのボンボンも何でこんな面倒臭いやり方すんだか」
「趣味でしょうね。実際に行動しない人ほど、そこに物語を求めたがりますから。それにあの性格ですし」
「性格に難ありなのは間違いないだろうけど、趣味かー、そっか趣味かー、そっかー!」
男の1人が舌打ちして、雇い主への報告のために踵を返した。もう1人の男はそれを見届けてフードを外し、どうしたものかと腕を組んだ。
アルヴィンはその日、夕方までに小鬼の駆除を1件済ませた。約束の時間に間に合うよう小走りで夫婦の自宅へ向かうと、玄関の前で落ち着きなく待っていた夫婦が、アルヴィンの姿を見て安堵の表情を浮かべた。
「ああ良かった、本当に来てくれた」
「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですよ。早速駆除しますので、家の中で待っててもらえますか。草狸の対策として、戸も窓も全部閉めてください」
「ええ、お願いね」
夫婦が家の中に入ったのを確認してから、アルヴィンは畑へと向かった。作物がいくつかなぎ倒されたまま放置されており、葉には齧られた痕跡がある。
草木を掻き分ける音がして、アルヴィンはそちらを向いた。ちょうど草狸が周囲に人がいないか伺っているところだった。
草狸は草食で、畑の作物や植物を食い荒らす。人を食うということはないが、歯が鋭く噛まれれば深々と肉に食い込み危険だ。
「1、2、3匹……よし」
アルヴィンの瞳が金色に光って、突風とともにその場には砂埃が舞った。夫婦を家の中に入れはしたが、万が一にも魔法を見られるわけにはいかないので、高く巻き上がる砂埃で姿を隠す。
次の瞬間には、草狸は3匹とも氷の刃に身体を貫かれていた。悲鳴をあげる間も無くそのまま全身が凍り付いていき、僅か数秒で息絶えた。
続いて氷蜂の駆除だ。先程の小さな砂嵐に驚いたのか、巣穴から出てきた個体が忙しなく巣の周りを飛び回っている。
氷蜂は刺された箇所が氷を当てられたように冷たく感じることから氷蜂と名付けられた。
冷たくなるだけではなく、周辺の皮膚や肉が黒ずんで、やがて腐っていく。皮膚を削り取るだけで済めばいいが、最悪腕や脚を切り落とす場合もある。
もちろんアルヴィンは近付きたくないので、魔法を使うために両手を前に突き出した。氷蜂は火と寒さには強いので、使うとすれば土と風の魔法だ。
「上がれ、上がれ」
手の動きに合わせて地面が蠢き、土の壁が立ち上がる。
細かい調整が必要な場合は、想像を口に出すと魔法の完成度が上がるので、アルヴィンは独り言のように呟きながら壁を完成させていく。
「巻く、巻き込め、上に……」
巣の周りに小さな竜巻が現れて、飛び回る氷蜂を全て巻き込んでいく。
アルヴィンが両手を合わせると、土の壁は竜巻ごと巣を飲み込んでいった。頑丈な巣が砕ける音がして魔法を解くと、粉々の巣と氷蜂の羽や脚が落ちていった。
「よしっ」
アルヴィンが魔法を使いこなせるようになったのは最近で、緻密な魔法は失敗することもある。今回は成功したので、アルヴィンはつい両手の拳と掌を叩き合わせた。
数分で終わってしまったうえに、魔物たちの残骸は不自然だ。少なくとも1人の冒険者の所業には見えない。アルヴィンは少し悩んで、ナイフで斬り殺したことにしようと、草狸の氷を溶かした。
砂嵐を止ませてから夫婦の家の戸を叩けば、夫婦は恐る恐る顔を覗かせた。
「あの、さっき凄い音がしてたけども」
「駆除するうえで必要だったので。もう終わりましたよ」
「えっ、もう?」
半信半疑といった様子で顔を見合わせた夫婦を畑に連れて行き、魔物たちの残骸を見せると、彼らは大層驚いたようだった。
夫が怖気付きながらも木の枝で草狸を突き、本当に死んでいることを確認して感嘆の声をあげた。
「この短時間でどうやったんだ! 驚いた、凄いな君は!」
「そればっかりは教えるわけにはいきませんが、結果には納得していただけたみたいですね。良かったです」
「実は本当に大丈夫なのか心配だったんだ。まさか評判通りだとはね」
「死体の処理もできますけど、どうします?」
「いや、こちらで皮を剥いで吊るすことにするよ。狸除けになるからね。氷蜂の巣は掃くだけで大丈夫そうだね」
大喜びの夫婦は、報酬に加えて3個のリンゴをアルヴィンに持たせた。
アルヴィンは果物より食事になるものを好むが、住処で待つ相棒は甘いものが好物だ。体調不良と言っても大したことはなさそうだったが、早めに帰って食べさせてやろうと、アルヴィンは朝より随分人の少なくなった広場を通り抜けた。
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