第6話 ハイランズへと走る
ふと、見知った顔が視界に入ったような気がして、アルヴィンは振り返った。焦げ茶色の短髪と自身よりやや高い背丈の人物を見て、アルヴィンは思わず声を掛けた。
「ブラムさん!」
「ん? あっ……アルヴィンか」
花束を持ったブラムが、肩を落として広場を歩いていた。アルヴィンは急いで駆け寄った。
ブラムはやや気まずそうに目を逸らした。アルヴィンはその理由を知っている、もし会う機会があれば伝えようと思っていたことがあった。
「今お時間大丈夫ですか。俺、ブラムさんに伝えたいことがあって」
「……ああ」
草の絞り汁でも飲まされたような顔のブラムを見て、アルヴィンはあえて大袈裟に微笑んだ。ブラムは少し呆けて、不思議そうな顔をした。
「あの俺、脱退した時、ほとんど飛び出すようにして出てきちゃったじゃないですか」
「ああうん、そうだな……」
「ちゃんとお礼を言えてなかったなって」
「……お礼?」
恨み言でも投げつけられるのかと思っていたブラムは、予想外の言葉に訝しげな表情をした。
「俺とエルヴィス、無所属でもなんとかなってます。これって多分、ブラムさんがいろいろ教えてくれたからなんです。確かに脱退した時はきつかったけど、そんなものどうにかなるくらいには、ブラムさんにいろいろ貰ってたんだなって気付いて」
「アルヴィン」
「だから改めて、本当にありがとうございました。多分ブラムさんは色々思ってるかもしれませんけど、俺はブラムさんには感謝しかしてません」
「やめてくれ!」
ブラムが奥歯を噛み締めて顔を歪めた。アルヴィンは何も言えなくなって、妙な気まずさが2人の間を支配した。
ややあって、大きく息を吐き出したブラムが、なお泣き出しそうな顔のまま口を開いた。
「そんなんじゃない」
「ブラムさん?」
「こんなに、こんな……こんなに後悔するなら、お前たちを脱退させるんじゃなかった」
ブラムが知らず内に強く握りしめていた手が花の茎を手折り、花弁が地面に落ちていく。
アルヴィンはただそれを見つめていた。何故だかブラムの顔を直視できなかった。少なくとも、今まで自分が幾度となく見てきた、頼れる優しい笑顔でないことは分かる。見ていいもののようには思えなかった。
「ルークとニコラスが死んだ」
2人とも国営キャラバンに所属していた冒険者だ。
親しいわけではないが多少の交流はあった者の死を、アルヴィンはどこか遠くの国で起こったことのように感じていた。
ブラムにとっては、アルヴィンやエルヴィスのように世話を焼いて可愛がってやった弟分だ。ブラムの悲しみは伝わってきたが、それも身体の内側までは染み込んでいかなかった。
ああそうか、だから珍しく花束なんか持っていたのか。そんなことを考えながら、なおアルヴィンは地面に落ちた花弁を見つめた。
「……花、駄目になっちゃいますよ」
何を言えばいいのか分からない、だが何か言わなければと思って口にした言葉は、とても間抜けている気がした。アルヴィンは何か間違えたような気はしたが、かと言って何が正解かまでは分からなかった。
2人並んでベンチに座って、アルヴィンはようやくしっかりとブラムの顔を見た。
目の下には隈ができていて、頬はやや痩けて骨格が鋭くなっている。アルヴィンがキャラバンを脱退してからの1ヶ月半で、ブラムは少しやつれているようだった。
「魔物の駆除って、他より報酬高いだろ。だからルークも稼げると思って出掛けていったんだ。小鬼4匹の駆除の依頼だったんだが、囲まれて呆気なく死んだらしい。ニコラスは赤蛇に噛まれてな、その1週間後に死んだんだ」
魔法を使えない普通の冒険者はそうやって死んでしまうのだと、アルヴィンはそこで思い出した。
半年ほど前までは自分もその普通の冒険者だったというのに、すっかり忘れてしまったかのように抜け落ちていた。
「お前たちが魔物の駆除をほとんどこなして、それを不満に思う奴はいたけど、なんだかんだそいつらも飯は食えてたよ。いや、だからお前たちを脱退させるべきじゃなかったって話じゃないんだけどな、なんと言うか」
話の内容がやや支離滅裂になり始めているのは、ブラムも分かっているらしい。頭を抱えて髪を掻き回し、深呼吸をした。
「魔物の駆除に出掛けて死ぬ奴は前にもいた。ただお前たちがあんまり簡単にこなすもんだから、ルークとニコラスが死んで、あぁそうか、こんなに呆気ないのかって、何か気が抜けちまってな。お前たちが魔物の駆除依頼のほとんどをこなしてた間は、当然だけど死ぬ奴もいなかったよ。お前たちを脱退させたのは俺だ、しかも俺は……」
そこまで話してブラムは黙り込んでしまった。
最早会話ではなく、ブラムが一方的に話してアルヴィンはそれを聞くだけだった。ブラムの指の隙間から見える髪には白髪が混ざっていた。
ふと、アルヴィンは先程のブラムの言葉を思い返した。なんとなく引っかかる箇所があったのだ。
「ブラムさん、訊いてもいいですか。赤蛇に噛まれて死んだって……」
「ああ……一度くらい聞いたことあるだろ。赤蛇は狐とかドブネズミまで食うんだ。牙なんか何の獣の血が付いてるか分からないし、運が悪けりゃ咬まれて熱が出る。それで、赤蛇に咬まれて熱を出した奴の5人に1人は死ぬって言われてる。ニコラスも普段からもっと肉食って体力をつけておけば、もしかしたら――」
背筋を冷たいものが這うような感覚。
これこそが嫌な予感だと、アルヴィンはこの時知ったような気がした。
ブラムの話は途中からほとんど、雑多な人々のお喋りのようにしか聞こえなかった。血の気が引いて顔が青褪めていくのが自分でも分かった。
「アルヴィン?」
「えっ……あ、はい……」
憔悴して胸の内をただ垂れ流すだけだったブラムが異変に気付くくらいには、アルヴィンは動揺していた。
「ブラムさん、すみません……」
「おい、アルヴィン?」
「帰ります」
咬まれたわけではなく掠っただけだが、病気知らずのエルヴィスが体調を崩す理由など、アルヴィンにはそれしか思い当たらなかった。
昨日の赤蛇は老人の鶏と山羊を食った、それ以外にも獣を食っていたに違いない。例えばブラムが言っていたような不衛生なドブネズミもだ。
アルヴィンは息を切らしながら走り、勢いよく借家のドアを開けた。吸い込んだ息に咽せ返り、アルヴィンは口元を押さえながら早足で寝床へと向かった。
エルヴィスは眠っていた。寒い冬の朝に温かいミルクを飲んだような、穏やかで幸せそうな顔を毛布に埋めている。どっと力が抜けて、アルヴィンは枕元に膝をついた。
「なんだ、驚かすなよ……」
エルヴィスからは死の気配はしない。アルヴィンは安堵の息をついて、エルヴィスの額に手を当てた。
「え」
エルヴィスは明らかに発熱していた。まるで甘いものを食べる夢でも見ているかのような寝顔が、アルヴィンは急に恐ろしくなった。
アルヴィンは急いでエルヴィスの左腕を取り、袖を捲った。そこまでされてようやく、エルヴィスは眠そうな唸り声をあげた。
「んん、なに……」
「エルヴィス」
「んー? ああ、おかえりアルヴィン」
「お前、これ、何ともないのか」
「なに、どうしたの?」
左腕の傷の周りが赤黒く腫れているのを見て、心臓が大きく脈打ち目眩がした。アルヴィンはエルヴィスの腕を掴んだまま動けないでいたが、額に滲んだ汗が目に入りかけ、そこでようやく瞬きをした。
エルヴィスはアルヴィンの言葉に首を傾げて、寝ぼけ半分のまま答えた。
「分かんないや、なんかピリピリする」
「体調はどうなんだ」
「うーん、変な感じする。ふらふらするし、なんか息苦しいっていうか。あとやっぱり怠いかなあ」
目眩が一層酷くなって、アルヴィンは俯いたまま両手で目蓋を覆った。エルヴィスは緩慢な動作で身体を起こして、項垂れるアルヴィンを見つめた。
「アルヴィン、具合悪いの?」
「違う。悪いのはお前だろ」
「けど手が冷たかったよ。身体冷えてるよ」
「違う。お前が熱出してるんだ」
「熱? そっか、これが」
エルヴィスの陽気な笑い声が聴こえて、アルヴィンは伏せていた顔を上げた。エルヴィスをベッドに押し込めて、保管していた全ての紙幣と硬貨を鞄に詰め込んだ。
「アルヴィン、どうかしたの?」
「いいから寝てろ」
「どこか行くの?」
病気をした時は霊水を飲めば治るのだと、キャラバンの誰かが言っていた。霊水がどんなものかアルヴィンは知らないが、少なくともリンガラムの市場で売っているようなものでないことだけは確かだ。
ここから足で行ける範囲の街で、多くの物が流通している場所はひとつだけだ。
「ハイランズ」
住処を飛び出して、アルヴィンはひたすらハイランズへと走った。
最後にハイランズに行ったのは3年前だ。配達の仕事で果物を運んで、届け先の女性に貧相な服装を鼻で笑われた。
ハイランズで憶えていることなどそれくらいだ。自分が足を踏み入れていい場所ではないのだと、アルヴィンはその瞬間に悟った。
しかしアルヴィンの足は不思議なほどに軽々と、ハイランズへの道を走り抜ける。
最早アルヴィンにはどうでもよかった。相棒の命と比べれば、嘲笑も臆病さもどうでもよかった。
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