第4話 貧乏暮らしでもなんとかなる 後

いざ向かってみると、案の定と言うべきかその小屋は実に貧相だった。板を釘で打ち付けただけのような外観で所々隙間が空いている。ハイランズの飼い犬の方が立派な造りの小屋を与えられているかもしれない。


すぐ近くには林があり、そこで十分な食糧を獲得できなかった個体が老人の山羊と鶏を喰ったらしい。


「エルヴィス、近くにいるか?」


「んー、100ルィートくらい向こうに2匹かな。林に入ってすぐの所にいるみたい。木が邪魔だね、こっちに誘い出せればいいんだけど」


「干し肉でも炙るか。これお前の夕飯な」


「えー」


「冒険者ってのは凄いもんだなァ、そんなことまで分かるとは」


アルヴィンは老人に背を向けて、指先に灯る炎を隠しながら干し草に火を点けた。おがくずや木の枝を足しつつ拳より一回り小さい炎を作り、少し離した所で干し肉を翳す。


「あー、ちょっと匂い出てきてるね」


「匂いもしかして弱いか?」


「そう言えば赤蛇の嗅覚ってどうなんだろうね」


「蛇は目と耳が悪いが鼻は良いンだ。まあ赤蛇はどうなんだかよく分かんねェけどな」


「あ、こっち近付いてきた」


小屋の扉から顔を覗かせる老人の言葉通り、赤蛇も嗅覚が優れているようで、徐々に干し肉の匂いに向かって近付いていく。


最初は手っ取り早くアルヴィンが魔法を使うつもりだったが、老人に隠れるように言っても小屋の隙間から興味津々で覗き見るのでエルヴィスの矢で仕留めることになった。


そんなわけで1名干し肉を炙りもう1名が弓を肩に掛けるという珍妙な光景になっているが、幸いにも周りには指摘する者も笑う者もいなかった。


「もう殺してもいいんじゃないのか」


「駄目駄目、もっと引きつけないと。もう1匹が気付いて逃げ出したら追いかけなきゃいけなくなるよ」


「面倒臭いな、爺さんが顔引っ込めてくれれば手っ取り早いんだけど」


「あっ! アルヴィンちょっと焦げてるでしょそれ!」


赤蛇が近付いてきて、エルヴィスは矢をつがえた。


呑気に鼻歌を歌いながら放たれた矢は、寸分違わず赤蛇の首を射抜いて地面に縫い止めた。立て付けの悪い扉を開けた時のような悲鳴をあげながら、蛇は矢に纏わりつく。


もう1匹も同様に仕留めて、蛇退治は早々に終了した。それを見ていた老人は、興奮した様子で小屋から飛び出してきた。


「やったか!」


「おじいさん、それあれだよ。まだ生きてるやつだよ。倒したと思って油断したら立ち上がってくるやつ」


「実際この段階だとまだ生きてます。これで頭落としてとどめを刺せば終わりです」


魔物は人間や家畜よりも生命力が強く、確実に首を落とすか心臓を潰すまでは油断はできない。


エルヴィスが狙撃手として優秀なおかげであっさりと終了してしまったが、赤蛇に巻き付かれると成人男性でも骨にヒビが入る場合がある。雑魚と呼ばれていても冒険者に駆除の依頼が入るくらいには危険だ。


「見事なもんだなァ、助かったよ、お前さんたち」


「今回は特別です。冒険者に依頼する金がないなら、今度から家の周りにニンニクでも植えておくのが良いと思いますよ」


「それで蛇は来なくなるのかい」


「害獣には効果があるらしいですよ。鼻が利くなら、多少は効果があるんじゃないでしょうか」


「そうかァ、なら植えてみるかね」


アルヴィンが赤蛇の頭を落とそうと剣を抜いた。やや嬉しそうな様子の老人が、アルヴィンの後ろに隠れながらも蛇に近付いていく。


正直なところ歩きにくいので離れて欲しかったが、最早老人に文句を言う気が失せていたアルヴィンは、溜息を飲み込んでそのままにさせた。


黒蛇は皮を加工できる、白蛇は食用にできる、しかし赤蛇は使い道がない。躊躇いなく剣を振り下ろそうとした瞬間、突然老人が飛び出したのでアルヴィンは驚いて固まった。


「こンの蛇が! おらの鶏と山羊を喰いおって!」


敵が死にかけだからと強気になったのか、老人は突然赤蛇を蹴りつけた。アルヴィンは呆気にとられてそれを見ていたが、数秒後には隠しもせず大きな溜息をついた。


「あの、まだ生きてますから、危ないですよ」


「うぉわぁ!」


「あ!」


赤蛇が老人の足に巻き付くのを見て、エルヴィスが慌てて引き剥がしにかかった。


混乱して足をバタバタと振る老人に、アルヴィンはどういう顔をすれば良いのか分からなかった。とりあえず赤蛇の頭を落としておいた。


「駄目だってばおじいさん! わざわざ危ないことしたら、何のために冒険者に依頼したのか分かんないよ」


「おぉ……すまねェな、つい」


幸い履いていた長靴のおかげで老人の足は無事だった。


赤蛇を引き剥がす時に牙が掠ったらしく、エルヴィスの左腕には細長い線が入っていた。行動に支障が出るようなものではないが、それでもエルヴィスは少しだけ不服そうだ。


「あーあ、掠っちゃった」


「一応後で洗っとけよ」


「うん。で、あれどうする?」


エルヴィスの視線の先では、老人が小屋の前の小さな畑からカブを引き抜いている。まさか本当に報酬に野菜が追加されるとは思っていなかった2人は、老人がニンジンを収穫し始めたところで制止した。


「あの、それだけあればもう十分なんで」


「どうせ食い切れねェんだ、お前さんたち育ち盛りだろ、持ってけ」


「それもう報酬云々じゃなくてただのお裾分けですよね」


結局ニンジンも持たされた2人は、簡単な仕事のはずなのに妙な疲労感を覚えて、それ以上一言も発することなく帰路についた。


野菜の入った袋を両手に抱えて、アルヴィンは再び頭の中で残金を計算した。老人からの報酬は小遣いのようなものだ、キャラバンに所属していた時より収入は随分と減ってしまった。そんなことを考えながら借家に入ると、エルヴィスがそこでようやく口を開いた。


「ねえ、別の都市に行かない?」


「またその話か」


エルヴィスは以前から時々リンガラムから出ることを提案していたが、今日は特にしつこい。


食事を済ませてすぐに休みたい気分だったアルヴィンは、軽くあしらおうとしてエルヴィスに目をやった。その表情がいつもより真剣味を帯びていたので、アルヴィンはつい目を逸らした。


「お前も聞いたことあるだろ。ハイランズのキャラバンは、家柄が理由で入団試験に落ちるんだって。俺らみたいなのが行ってどうする」


「ハイランズじゃなくたっていいじゃん。もっと遠い所でもいい。アルヴィン、君はここから出たくないんでしょ。だからそうやってそれっぽいこと言って誤魔化してるんだ。僕の依頼だって、そうやって先延ばしにしてさ。どうしてそこまで出たくないの?」


「どうしてって、それは……」


帰ってくるかもしれない人を待っているから、とは言えなかった。


エルヴィスにしては珍しく棘のある物言いに、アルヴィンは気圧された。エルヴィスを納得させるには些か弱い理由であることは分かっていた。


エルヴィスはそれ以上返事を求めることなく、手と腕を洗って、軽く洗ったカブの皮を剥き始めた。


「これ、半分はスープ用で、あとは酢漬けでいいよね」


「ああ……うん」


今から9年前、まだ6歳だった時、アルヴィンはエルヴィスの依頼を受けた。


腹が減って、喉が渇いて仕方がなかったアルヴィンに、エルヴィスはパンと果物を報酬として先払いして、故郷探しを依頼した。


今にしてみれば浅はかだったが、飢えた6歳の子どもにはそんなことを考える力はなかった。赤の他人だった2人が一緒に暮らし始めたのもそれからだ。


些か横暴な始まりの、しかも口約束ではあったが、アルヴィンが報酬だけ受け取って依頼を放置しているのは事実だ。エルヴィスに軽蔑されたり、見限られるのを想像して、アルヴィンは頭を振った。共に過ごした年月のせいか、エルヴィスだけには嫌われたくなかった。外見もまるで似ておらず、血も繋がってはいないが家族同然の存在なのだ。


「エルヴィス」


「なあに?」


「ちゃんと考える。だからもうちょっとだけ待ってくれるか。ちゃんと調べるから。きっとお前を生まれ故郷に連れていく」


ナイフを持ったまま振り返ったエルヴィスは、アルヴィンの言葉に目を瞬かせた。呆けた顔のエルヴィスは、少ししてまたいつものように笑った。


「うん、楽しみにしてる。けどもし故郷が見つからなくても、僕はアルヴィンを責めたりしないよ」


「帰りたいんじゃないのか」


「本当に人生に必要なものなら、いずれ巡ってくるからね。もし帰れなくても、それならそれで帰る必要がなかったってだけの話だよ。アルヴィンが頑張ってくれた結果なら、僕はきっと納得できる」


「……甘いよな、お前」


「まあね。だけどねアルヴィン、例えば君が怠慢や臆病のせいで時間を浪費するなら、僕は怒るよ。だって人生ってすごく短いんだから」


そう言ってエルヴィスは再びカブの皮を剥き始めた。アルヴィンも隣に腰掛けて、エルヴィスの剥いたカブを食べやすい大きさに切っていく。


果たして自分のこれは怠慢や臆病と言うのだろうか、アルヴィンはそう思いはしたが、わざわざ口に出すほどのことではないような気がして、調理に集中することにした。


「夕飯何にする? やっぱり野菜のスープかな」


「まあ、爺さんが材料くれたしな。卵も焼くか」


「けど久々に魚食べたいなあ」


「贅沢言うな、実入りが少ないんだから」


だよね、と苦笑したエルヴィスは、皮を剥き終えたカブをアルヴィンに手渡した。そのままもうひとつカブを手に取ろうとして、左腕に小さな痺れが走ったので、エルヴィスは思わず手を止めた。


「どうした」


「ん? んー……ううん、なんでもない」


もう一度腕を動かしてみたが、先程のような痺れはない。気のせいか、とエルヴィスはカブを手に取った。


もし自分が本来いるべき場所に帰る時、アルヴィンとは離れることになるだろうか。エルヴィスはふとそんなことを考えて、詰めた息を飲み込んだ。それは考えるべきではないことのような気がした。

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