第2話 魔法使いの少年とその相棒 後

サイン付きの写しを渡せば、依頼人がキャラバンに預けていた報酬を引き渡す。それが通常の流れだ。


1件目で3000ウィーガル、2件目で3200ウィーガル、合わせて6200ウィーガル。アルヴィンは受け取った金額が書面のものと差がないかを確認して、戻ってくるまでに見かけた屋台の鶏肉の焼ける匂いを思い返した。


帰り際のエルヴィスとの会話でたまの贅沢を楽しむ気になっていたアルヴィンは、しかし声を掛けられてそちらを向いた。


「よう、最近頑張ってるみたいだな」


「あ、お久し振りです、ブラムさん」


ブラムの姿を認めて、アルヴィンはぱっと顔を上げた。


アルヴィンもブラムに読み書きを教わった1人だ。その日暮らしに必死な冒険者たちにとって、他人の世話を焼く者など稀有な存在であり、アルヴィンも他の冒険者と同様にブラムを慕っている。


「エルヴィスも元気そうだな」


「はい! ブラムさんちょっと老けました?」


「おいエルヴィス!」


「はは、まあ俺ももう立派な中年だからな。ところでどうだ、飯でも食わないか」


「そうですね、久し振りに。エルヴィスもそれでいいよな」


「うん」


3人で食事をすることにはなったが、近くに店らしい店はない。あるのはせいぜい屋台と、今にも吹き飛ばされそうな食堂だけだ。


とは言え行くとするならそこだろうと外に向かおうとしたアルヴィンに、ブラムは数枚の紙幣を渡した。


「書類の処理が少し残ってるんだ、片付けてる間にそれで夕飯と酒でも買ってきてくれ。奥に部屋があるからそこで食おう」


「分かりました、希望のものは?」


「飯はお前らに任せる。酒は……そうだな、あれば麦酒、なければ葡萄酒を頼む」


「了解です」


まずは酒を調達しようと、2人は急いで小さな市場へ向かった。屋台は夜まで開いていることが多いが市場は日が落ちると閉まってしまう。夕日が沈みかけて空は仄暗くなっていた。


ボロ布を張ったようなテントと、虫に喰われて穴の開いたテーブルの店がいくつか並ぶ中で、エルヴィスは酒を売っている店を見つけて急いで駆け寄った。


「あ、あったよ麦酒、残り1本。すみません、これください」


「はい、40ウィーガルね」


麦酒の瓶を受け取ったエルヴィスが、余所見をしていたアルヴィンの肩を叩いた。


ああうん、と曖昧な返事をしたアルヴィンの視線の先にはひとつの屋台があり、エルヴィスもそれを目で追った。荷車のような造りの移動できる屋台で、丁度店仕舞いをしている最中のようだ。


「どうかした?」


「いや、見ない屋台だったからな。なんか見たことない果物が売ってるみたいだったから気になったんだ」


「ああ、えーと……エルベリーだね。こんなところに商売に来てるなんて珍しいね」


「エルベリー?」


「うん。栄養が豊富でエルベリーがあれば病気知らずって言われてるよ。それに凄く美味しいんだって」


「それがどうして、ここに来るのが珍しいんだ」


「だってエルベリーって贅沢品だよ。一房で2000ウィーガルはするんじゃないかな。こんな貧乏ばっかりの所に売りにくるなんて、今日は向こうであんまり売れなかったのかもね」


向こう、でエルヴィスはぽつぽつと灯りが点き始めた街を見やった。


リンガラムは一見田舎町のように見えるが、ほんの少し離れたハイランズは発展しているし、他の田舎町のように自然が豊かというわけでもない。つまりただの未発展な町だ。


形のうえでは障壁になるものは何もなかったが、一定の水準以上の者たちが暮らすハイランズと、貧困層が暮らすリンガラムには歩いて向かうには少々面倒なくらいの距離があり、それこそが貧民たちにとっての壁だ。


とは言っても特に用事がなければリンガラムから出る必要もない。アルヴィンは興味がなさそうにふうん、と気の抜けた返事をした。


アルヴィンとエルヴィスはリンガラムの中ではかなり良い生活を送れているが、それもアルヴィンが魔法を使いこなせるようになってからの話だ。数ヶ月で金銭感覚が変わることもなく、果実に2000ウィーガルも支払おうとは思えない。


「鶏のステーキでも買って戻るか」


「いつも大麦のパンばっかりだしね。久々の贅沢だね」


「まあ、たまにはな。ブラムさんも多めにくれたし。バーナードの店ならひとつ15ウィーガルだったよな」


「そうだよ。あれ、けどこの間3つ買ったら40ウィーガルだったよ?」


「そうか、ならお前が買ってこい」


エルヴィスに良い待遇を用意する店は多い。自分はほとんどされたことのないおまけを、毎日のように多くの店でエルヴィスはされている。それに対して若干複雑な気持ちになりはしたが、エルヴィスが特殊なだけだ、あまり気にし過ぎても仕方ないだろうとアルヴィンは気を持ち直した。


酒と食事を買い込んで、2人は紹介所に戻った。書類仕事を終えて2人を待っていたらしいブラムが手招きする方へ向かえば、2人が普段立ち寄ることのない事務室に招き入れられた。


「こっちのテーブルは大きいですね」


「書類なんかはここで処理してるからな。まあその辺の椅子にでも座ってくれよ」


料理をテーブルに置いて、アルヴィンは麦酒をブラムに渡そうとした。しかしふと夕陽を浴びた瓶の生温かさに気が付いて、アルヴィンは手の中の瓶に魔法を使った。アルヴィンの瞳が一瞬金色に輝いた。


「ブラムさん、麦酒です」


「おお、ありがとな。しかも冷えてるじゃないか、どうしたんだこれ」


「残り1本だったんですけど、店主が自分で飲もうとして冷やしてたみたいです」


「そうか、運が良いな」


食事をしながらの会話は他愛のないものだった。最近はコニーも頑張っている、ロイドは頭の傷周りの禿げを気にしている……3人は笑いながら互いの話に相槌を打った。


テーブルの上の料理がほとんどなくなって、そろそろお開きにしようかとアルヴィンが片付けを始めても、ブラムはまだ本題を切り出すことができなかった。代わりに口を開いたのはエルヴィスだった。


「ブラムさん、僕らに言いたいことがあるんでしょう?」


「え? そうなんですか?」


「え、あ、ああ……」


エルヴィスに切り出されるとは思わず、ブラムは分かりやすく動揺した。エルヴィスの澄んだ瞳に射抜かれて、ブラムはここで告げねばならないのだと息を呑んだ。


「アルヴィン、今から言うことを、許して欲しい」


「なんですか、そんな真面目に」


アルヴィンは口先で笑ってみたが、少なくともこれから告げられることは良いことではないと悟って喉を震わせた。


「お前にここを、脱退して欲しい」


とてもアルヴィンの目を見ながらは言えず、ブラムは俯きながらそう告げた。沈黙が空間を支配して、そこだけ恐ろしく時の流れが遅く感じられた。


数秒か数分か、沈黙を破ったのはアルヴィンだった。ブラムは名を呼ばれて、そこでようやくアルヴィンの顔を窺い見た。


「理由を聞かせていただいてもいいですか」


「……お前たち、最近頑張ってるよな。1日で魔物退治に2件も3件も行けるのはお前たちだけだ。しかも後始末まで済ませてな」


「それが、どう関係あるんですか」


「おかげでこの辺りの魔物退治の依頼は、お前たちが基準になり始めてる。他の奴らが足元見られてんだ」


「だから、脱退して欲しいと」


「ジョージは黒蛇退治で脚を折った。エミールは小鬼退治で指を2本失った。それでようやく、1週間分もない生活費を稼げる。もしお前たちが基準になれば、ここにいる奴らのほとんどは生きていけない」


アルヴィンとエルヴィスがキャラバンに所属したのは8歳の時だった。読み書きを教え一緒に武器を選んでやった、ブラムにとって弟分のようなものだ。胸骨が鼓動に叩かれて激しく痛んだ。


「分かりました。出て行きます」


ブラムがテーブルに両手をつくのを見て、アルヴィンは咄嗟にそう口にした。ブラムが頭を下げようとしているのだと瞬時に気付いたからだ。


依頼文を読めるようになったのも、食べていけるようになったのもブラムがいたからであり、そのブラムが自分に頭を下げる所を見てしまえば、酷く傷付くような気がしていた。


「お世話になりました。本当に……ありがとう、ございました」


アルヴィンは勢いよく立ち上がって、足早に部屋から出ていった。金を受け取ったことなどとても言えず、ブラムは酷い罪悪感に襲われた。


実際は目が眩んだだけだ、理由など後付けに過ぎない。思わず泣き出しそうになって強く目を瞑った。


「ブラムさん、どうしてアルヴィンだけなんですか? 僕もじゃないんですか?」


空気を読まない能天気で明るい声色で尋ねられた内容に、ブラムははっとしてエルヴィスに目をやった。


男からの依頼にはエルヴィスの脱退は含まれていない。しかし先程話した理由だと、アルヴィンとパーティを組んでいるエルヴィスを在籍させたままだと辻褄が合わない。


アルヴィンの脱退で頭が一杯だったブラムにそこまで考える余裕はなかった。


「なーんて。あはは、すみません。意地の悪い質問でした」


「エルヴィス、実はお前だけなら残っても……」


「いえ、僕もアルヴィンと一緒に行きます。大丈夫です、ブラムさんが読み書きを教えてくれたんですし、きっとなんとかなります」


エルヴィスの笑顔はいつも通り柔らかい。心のままに動く幼子のような少年が、不自然に大人びていた。


「今までありがとうございました! 本当に、僕もアルヴィンも心の底から感謝してます。お元気で!」


きっとこの美しい少年は全てを見抜いているに違いないと、どういうわけかブラムにはそう思えて仕方なかった。大金で仕事を請け負った情けなさを心底後悔していることに気付いた時には、エルヴィスの姿はもうなかった。


アルヴィンは呆然と空を見上げた。道端には酔っ払いと家無しが転がっていて、もう間も無く自分も仲間入りをするに違いないと、ぼんやりと考えた。


ハイランズにも冒険者の仕事の場はある。しかし、入団試験を受けにいった男が家柄を理由に弾かれたのだと愚痴を零す姿を憶えている。


空には星が輝いている。まだ幼い頃に聞いた、明るい所からは星は見えないのだというブラムの言葉が頭をよぎった。道の向こうに輝く街々から星は見えるのだろうかと考えると、空を見上げている自分が急に孤独になってしまったような気がした。


実際、仕事の場を失ったばかりのアルヴィンは数分前より孤独に違いなかった。


詩人にでもなったかのように精神を孤独に浸そうとしたアルヴィンは、しかし聞き慣れた声とともに肩を叩かれて振り返った。


「アルヴィン! もう、ちょっとくらい待ってくれてもいいんじゃないかな」


「なん……いやちょっと待て、嫌な予感がするんだけど、まさかお前も脱退したとか言わないよな」


「アルヴィン、ブラムさんの話聞いてなかったの? 僕らのパーティが魔物退治し過ぎたんだから、当然僕も脱退に決まってるよ」


これからの生活への不安など一切ないような笑顔で、エルヴィスはアルヴィンの手を取った。


気まぐれで準備が遅くて人を振り回す、そんな扱いの難しい相棒が何故か頼もしく見えて、アルヴィンはその手に引かれるままに再び歩き始めた。


「今夜は星が綺麗だね。折角だから眺めながら帰ろうよ」


「……ああ、そうだな」


短時間のうちに大切なものを失った。かと思えば、大切なものは残っていた。喪失感の底に、小さな安心感がある。エルヴィスが笑っているので、アルヴィンも何故だか笑えてきた。


これらが1人の男の策略だと、この時の2人には知る由もなかった。

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