第1話 魔法使いの少年とその相棒 前

突如上がった火柱に、小鬼たちは逃げ惑った。


逃げ遅れた個体が悲鳴をあげてのたうち回り、物言わぬ塊となっていく。1度目の火柱から逃れた小鬼たちは石に弾かれ、或いは矢を頭に受け、痙攣しながら炎に呑み込まれていった。


やがて全ての小鬼が灰と骨だけになると、炎は急速に勢いを失い消えていった。


この世に魔法はない。あるとすればそれはお伽話の中で満開の花畑を咲かせたり、空を飛ぶためのもの。或いは英雄譚の中でドラゴンを打ち倒すためのものだ。


しかし、少年がその日の仕事のために使った力は、魔法で間違いなかった。


「はい、小鬼駆除の完了報告だね。報酬は3000ウィーガルだ、ちゃんと確認しろよ」


木々が鬱蒼と茂り川には数匹の魚が泳いでいる。空気は澄んでいるが土地はあまり肥えてはいない。


この痩せた土で大して質の良くない野菜を育てたり、家畜を飼育して生活している者が多い。それが少年の暮らす、バーウェア領の北に位置するリンガラムという町だ。


リンガラムにおいて、冒険者とは誰でもなれる職業だ。学のない者たちが、学がなくてもこなせる仕事で日銭を稼ぐ。時に倉庫整理、時に荷運び、時に雑魚に分類される魔物の退治。


つまり冒険者とは名ばかりで実態は日雇い労働者だ。


国営キャラバンではそうやって生きる者が大多数で、赤毛にエメラルドの瞳を持つ魔法使いの少年、アルヴィン・ファーガスもそのうちのひとりだ。


「うっわ、あいつらもう終わらせてきたのかよ」


「凄いな、ベテランでもあそこまでやれないぞ」


彼らが自分のことを言っているのだと気付いていても、アルヴィンは素直に胸を張りはしない。そんなに大層なものではないのだと、本人がそう思っているからだ。


魔法が使えることを周囲に隠し、することと言えば日銭を稼ぐばかりで、非現実的な力を持っていながら現実的で保守的、それがアルヴィンだ。自分でつまらない人間だと思いはしても、結局いつも同じことを繰り返す。


仕事の依頼書が貼り出されたボードから、小鬼の群れの討伐依頼の用紙を手に取り、概要を一瞥しただけで受諾の申請を済ませた。


そうして退屈そうな表情で欠伸をひとつして、矢筒をひっくり返して中の塵を払っている相棒に声をかけた。


「エルヴィス、小鬼退治受諾したから行くぞ」


「うん、分かった! 今回のは数はどれくらい?」


「さあな、見てない。小鬼くらい何匹いたって大差無いだろ」


「あっ、駄目なんだよそういうの。油断大敵ってやつ」


「いくら油断してても雑魚に殺されるほど弱くはないけどな」


後方からの舌打ちに気付かない振りをして、アルヴィンは淡々と壁一面の依頼書を眺めた。場所も遠くないからついでにこれも、とアルヴィンがもう一枚の依頼書を手に取ると、舌打ちをした男は分かりやすく顔を顰めた。


「準備できたか」


「ちょっと待って。矢をもうちょっと補充していきたいな」


エルヴィスと呼ばれている少年は、アルヴィンの淡白な物言いを気に留めることもなく人懐っこい笑顔を浮かべている。フルネームはエルヴィス・ネイサンという。


富豪の娘のドレスのように滑らかに輝く長い金髪と、晴れた日の南国の海のように透き通った青い瞳、白磁でできたような繊細そうな肌。肉体労働が基本の冒険者に不相応なほど儚げな容姿の、まさしく美少年だ。


恐ろしく上品な顔立ちをしているのに、浮かべる表情は無邪気で人懐っこく、アルヴィンはいつも、幼子のように自然体な彼に文句を言う気が失せてしまう。結果的に準備は遅いままだ。


カウンター横の簡素な売り場には消耗品が置いてあり、エルヴィスは10本で一纏めの矢をふたつ購入し、紐を切って矢筒に入れた。


「お待たせ」


「ああ」


小鬼退治に向かう2人の背中を見送って、男は苛立ちを隠そうともせず足で床を叩いた。


男は一月ほど前に小鬼退治で左手の指を2本失っていた。小鬼退治を易々と請け負い、そして五体満足で大して汚れもせずに戻り、報酬を受け取る彼等を見て機嫌を損ねるのは自然なことだった。


「なんだ、まだ指を気にしてんのか。一々機嫌を悪くすんのも大変だろ」


「ああ、おはようございます、ブラムさん」


後ろからかけられた声に、男は先程まで機嫌を損ねていたのを忘れたようにはっと振り返った。焦げ茶色の短髪をかき混ぜながら細めた目蓋に深い緑の瞳を隠し、ブラムと呼ばれた男は苦笑した。


ブラム・カーターはかつて冒険者だった。現在は運営を担う一員だが、こうして冒険者達の様子を確認しにキャラバンのホールに現れることも多い。


学のない冒険者たちに依頼書の選び方、場合によっては読み書きを教えてきたブラムは、多くの者に慕われている。声をかけられた男もブラムのことを尊敬していた。


「気にするというか、あいつら指のひとつも落とさねえし服もさして汚れてねえ。しかも群れを相手にしてる割にエルヴィスの方は矢の減りも少ねえですし……」


「ああ、確かにな。だが仕事は間違いなく完璧にこなしてるはずだ、依頼元からの評判も上々でな。ご丁寧に、わざわざ死体を燃やして骨を埋めるところまでやってるらしい」


「いやそんな、奴らを疑ったわけじゃねえんです。ただそこまでやれば1件で1日が終わりそうなもんですが」


「まあなあ……」


アルヴィンとエルヴィスも結局その日暮らしに必死な冒険者だ。こなせる仕事はこなしてなるべく稼ぐ、していることはそれ以上でも以下でもなかったが、ここ数ヶ月で急激に仕事量が増えた彼らを訝しむ者がいるのも無理はなかった。


キャラバンから約1時間の距離を歩き、アルヴィンとエルヴィスは、依頼書に記入してあった小鬼の巣穴に到着した。


乾燥させた香草や香辛料を混ぜた特製の匂い袋を矢尻に括り付け、エルヴィスは深呼吸した。


「よし、いくよアルヴィン」


「ああ」


「いつも通り、僕が打ったらすぐに火を点けてね」


「分かってる」


巣穴の入り口に向かって寸分の狂いなく放たれた矢の先端に火がつき、袋の中の火薬が弾け小さな爆発音が連鎖した。中の粉末が飛散し、赤茶色の小さな雲が漂った。


やがて金属同士が擦れ合うような軋んだ声が、巣穴の奥から聞こえてきた。入り口に近付くにつれ大きくなるそれに、アルヴィンは不愉快そうに眉を寄せた。


間も無く小鬼たちが悲鳴をあげながら慌てて巣穴から飛び出してきた。しきりにくしゃみをしたり、目を擦って余計に苦しんだり、咳き込んだりして混乱しているが、これ自体は命を奪うようなものではない。


巣穴の奥から出てくる姿がなくなった時、アルヴィンは小鬼たちを金色に輝く瞳に映して、手をかざした。


「凍れ」


アルヴィンの一言で、喚いていた小鬼たちは一斉に動きを失った。戸惑いの声をあげてはいるが、それも徐々に弱まっていく。


体表の白く煌めく細かい粉は結露した氷で、体温を失った身体は彫刻のように留まっている。


アルヴィンが討ち漏らした一匹の頭部をエルヴィスが打ち抜き、僅か数分で小鬼の群れは壊滅した。


「よし、完了」


「うん、他にはいないみたいだね。あとは処理だけだよ。アルヴィン、頼むね」


アルヴィンはひとつ頷いて、再び小鬼たちを見やった。小鬼たちに炎がつき、彼らの身体を溶かしていく。


解凍された小鬼の肉がだらしない弾力を持って地面にしな垂れ積み重なる。それを見るアルヴィンの顔はこの上なく嫌そうに歪められていた。


「何度見ても気持ち悪いな……」


「何が?」


「死体の肉がこうやって解凍されると、なんかぶよぶよしてそうだし、とりあえず気持ち悪い」


「だけどアルヴィンは凍らせるのが一番マシなんでしょ? 僕は最初から燃やす方が手っ取り早いと思うんだけど」


「焼くのは悲鳴がうるさいと言うか、惨いことをしてる気分になる。お前は魔物に対しては俺以上に容赦ないな」


小鬼たちを焼く炎は人が料理や暖をとるためにおこすものより遥かに高温で、死体はまるで魚を焼いた時のように反り上がった。


空に煙は昇らず、炎の勢いは衰えず、かと言って燃え広がりもしない。それを出した本人でありながら、アルヴィンにはその炎が不思議でならなかった。


やがて小鬼たちが全て骨になると、今度は地面が蠢いた。盛り上がって塚を作ったと思ったら、まるで波のように骨を抱き込んで土の下に隠した。


「よし、終わり」


「やっぱりアルヴィンがいると僕のやることがないなあ」


「最初の匂い袋はお前が打っただろ。あと一匹仕留めた」


「それだけじゃん。アルヴィンもさあ、よくいなくても変わらない奴とパーティ組むよね」


「それはお前……いや、何でもない」


エルヴィスの言葉に何か言い返そうとして、アルヴィンは顔を背けてしまった。それを見てエルヴィスはまた好奇心旺盛な子どものように不思議そうな顔をした。


他の冒険者が退治に要する半分以下の時間で後始末まで終わらせてしまった2人は、続けてもうひとつの仕事も同様にこなした。依頼書の写しに依頼人からの完了のサインを貰えば仕事は終了だ。


一方、ブラムはキャラバンのホールで冒険者たちを見送っていた。仕事に出掛ける冒険者たちの背中を叩き、悩んでいる若者の話を聞いてやる。面倒見の良い彼にとってはささやかな楽しみでもある。


ほとんどの冒険者が仕事に出掛けていったのを確認して、ブラムは書類の処理に戻ろうと踵を返した。しかし突然聞き慣れない声に呼び止められ、足を止めた。


「仕事をお願いしたいんですが」


「ああ、だったらあのカウンターにお願いします」


「いえ、あなたに直接お願いしたいことがあるんです。お金はこの場でお渡しさせていただきますので」


「はあ……。まあ、お話は聞きますが」


自分を呼び止めたいかにも平凡な男が何を言い出すのかは分からなかったが、ブラムは彼にホールの隅の小さな椅子を勧めた。


礼を言って腰掛ける男は姿勢が良くどことなく気品がある。挙動ひとつとってみてもリンガラムのキャラバンには不相応だ。


自身の違和感に構わず、男は鞄から小袋を取り出し机の上に置いた。袋の中で硬貨がぶつかり合う音がした。


「こちらが報酬です」


「仕事の内容も金額も分かっていないのに渡されても困るんですが」


「そうですか。では内容についてですが、こちらから脱退していただきたい人が1名いるのです」


「は?」


「その人を引き抜きたいんです。皆さんに慕われているあなたに言われたなら、その人も大人しく従ってくれるかと思いまして」


「それなら私ではなく、その者に直接交渉してください。脱退は私の許可などなくてもできますので」


気品のある振る舞いに反して無遠慮な様に、ブラムは思わず顔を顰めた。男はその表情を見て、小袋の入り口を指でこじ開けた。


中で重なる紙幣は袋をみっちりと埋め尽くしている。思わず中身をまじまじと見てしまったブラムを見て、男は口の端を吊り上げた。


「50万ウィーガルあります。内容はアルヴィン・ファーガスの脱退です。彼には一度無所属になっていただきたい。理由を聞かないでいただけるのなら、5万ウィーガルを追加いたします」


「いや、しかし……」


「そして、奥様のご病気のお見舞いに、10万ウィーガル」


「何故、俺の妻のことを知っているのですか」


「それを訊かないでいただけるなら、5万ウィーガル追加します。奥様のお薬……霊水は5万ウィーガルくらいでしょうか。ここまでして、我々は彼を引き抜きたいのです。それにあなたも、彼の仕事ぶりについて思うところがあるようですし」


自身の心の中を見抜くような視線を向けられて、ブラムは息を呑んだ。先程まで平凡に見えていた男が、自分の家族のことまで知っていると理解した途端急に恐ろしく思えた。

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