第7話 甘い告白、甘い逆襲


「ね、誰か来るか試してみない?」

 圭子は目を煌めかせて馬場君に尋ねた。

「今日?」

「うん。堂々と馬場君の名前書いたんだから、何か反応があるか見に来るんじゃない? もしかして返事が来てないかとか」


「返事ってどうやって?」

「私に任せて」

 圭子は持ち前のいたずら気分を発揮して、後ろの黒板にでかでかと漢字四文字を書き上げた。

 それを見た馬場君はぷっと吹き出して笑った。


「でもいつ来るか分からない。鍵を閉めに来るとしても。下校時間まであと三十分だけど、七時とか八時とかだったら」

「じゃ、下校時間まででいいから粘ってみない?」

 夕陽が西から射し込んで来る。秋の日は釣瓶落としなどと言わなくても、そろそろ暗くなり始める。

「僕は一人でもいい、志村は早く帰ったほうがいい」

「一人のほうがいいの? 例えば高橋先生と一対一になりたいの?」

「なりたくない」


「私でも何かのサポートになるかもしれないでしょ。ここで一緒に短歌でも作ってよう?」

「短歌?」

「そう。もうできた? 文化祭の短歌」

「あ、まだ」

「私の見せてあげる。馬場君にぴったりなのができちゃったの」


 圭子は国語のノートを開いて、この間授業中に作った一首を指差した。


  差異隠し同じになろうと首縮め言葉少なに辺り見廻す


「これは志村のことだ。僕は違いを隠してない」

 相手はムッとしたようだ。

「私は『言葉少な』じゃないわ。言いたいことはちゃんと言ってる」

 そう笑顔を向けると馬場君も笑ってくれた。


「ね、カレイドスコープって日本語で何?」

「それ何だっけ? どんなもの?」

「筒になってて、覗くと中にいろんな模様が見える。キラキラして」

「ああ、万華鏡、こう書くの」

 圭子はノートの余白に書いて見せた。

 馬場君は少しの間指を折っていて、圭子のノートに書きつけた。


  くるくると変わる表情万華鏡みたいな君を覗き込めたら


 圭子はどっと赤面してしまった。日本語の勉強の振りをして、隣に一首書き添えて質問した。


  くるくると変わる表情万華鏡みたいに君を覗き込めたら


「どっちがいい?」

「これは難しい。違うのは分かるけれど、説明できない」

「私はね、『万華鏡見たいな君』って言ってくれたら、ああ褒め言葉なんだ、何かきらきら綺麗だと思ってくれてるのかな、って感じる。『万華鏡みたいに』って言ったら『覗き込めたら』を修飾するから、私がどんな人間なのか中身が知りたいのかなって思う」

「どっちがいいの?」

「それは私が訊いたんじゃない!」


 馬場君は軽く笑ってから

「じゃ、次は僕からクイズ」

 と言うと漢字五文字を書いた。


  瞳 扇海 母羊


 最初、母ではなく雌という字を書こうとして、「だめだ」といって「母羊」に落ち着いたようだ。

 羊はイギリスでよく見かけた。ロンドンから郊外に出るだけですぐ牧場まきばの風景だった。圭子は子羊二頭がじゃれつく母親羊の姿を思い浮かべてみた。


 ――何て呼んでたっけ?

 頭のどこかから言葉が戻ってくる。ああ、答えが見えた。


「そうよね、暗号にするならこのくらいはしなくっちゃ。音そのものを漢字にするだけじゃ、味気ないわ。その上、いくら音が似てるからって好きな人の苗字に『散髪』だなんて。『理容師』って言葉もあるし、もしかして馬場君の名前なら、『高田の怠け者』とかにしても通じるんじゃない?」


 クイズの答えが自分宛なのかどうかわからない。分からないほうがいいのかもしれない、と喋り続けた。

「誤魔化したくてたくさん話してる?」

「だって……」


 馬場君は少し目を泳がせてから英語を話した。

「I’m not lazy」

「I know, you are Reiji」

 圭子は殆どネィティブとして鍛えられた通りに、LとRの発音の違い、ZとJの違いを際立たせて答えた。


 馬場君は決意を新たにしたように話し出した。

「僕は、君が黒板に僕の名を書いたと思ってた。朝の学活からさっき君が否定するまでずっと」

「ごめん」

「どうして、ごめん?」

「誤解させたから」

「好きじゃないから?」


 欧米流の単刀直入さを忘れていた。急に心臓がドキドキしだした。馬場君の視線を前髪あたりに感じる。顔が上げられない。


 ――私は、私は……馬場君を……。


「I fancy youのほうが、好きだより言い易い。でも信じてくれないなら、僕は君が好きです」

 圭子は机の上のノートを見たまま声を出した。

「そんな、いつから……」

「四月、一年遅れで入学してなじめるか心配で。君が相原の世話したり、応援したりするのを見てた。特に相原に向ける笑顔が羨ましくて」


  瞳はアイ、扇はファン、海はシー、母羊はewe ユー


 答えなきゃならないのに圭子の頭はそんなことを考えて脱線する。馬場君が言葉を待っている。

「私もずうっと見てた。凄いなって、私は帰国子女ですって、これが私ですってはっきり言えなかった。隠して誤魔化して皆に紛れ込もうとした。馬場君はしっかり自分を持って素敵だなって」


 スキと言えずにステキになってしまった。いつでも特別だった、馬場君は自分の心の中でいつも。

 馬場君は優しく右手を伸ばして圭子の頬に触れた。

「それは君がまだ子供だったから、そうするしかなかったんだ」

 ゆっくりと顔が近づいて唇が触れあった。圭子は全く予想もしていなかったファーストキスに震えた。


「あなたたち、何してるの! こんなところで、下校時間に、そんなこと!」

 教室のドアが開く音の後に聞こえたのは、高橋先生の金切り声だった。

 そのすぐ後ろに倉本先生が入ってきた。

「高橋先生、今日の施錠は私ですが? 何故うちの教室に?」


 馬場君は圭子の手を握って「じゃ、帰ろうか?」と訊いた。圭子は頷くだけで精一杯だった。

 鞄を持って手を繋いだまま先生たちの横を通り抜けた。馬場君が言う。

「この人が僕の彼女ですから」


 後ろの黒板には大きく、


  罰怒常苦


 の四文字が書かれていた。

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