第6話 解答と容疑
珠代を宥めて先に帰らせた。八割方は部活に行ったし、残り帰宅部組が二人、三人と減っていくのを、短歌を作る振りをして待った。馬場君のほうはできる限り見ないようにしたけれど、彼はその間、自分の席から教室の窓へ歩いて外を眺めたり、また戻ってきて席についたりしているようだった。落ち着きの無い馬場君はちょっと珍しい。
女子ふたりがまだ残っていたけれど、「あのふたりなら実害はない」と判断して圭子は馬場君に近づいた。馬場君はドキッとしたように圭子を見た。
「ワズンミー。私じゃないの」
「ノー?」
「ノー」
馬場君の肩から力が抜けるのが見えた。がっかりしているようだ。『犯人』は圭子だと推理したのに違ったから残念なんだろう。
最後のふたりの女子が教室を出ていった。馬場君と圭子ふたりきりだ。思い出したように馬場君がいう。
「酷いこと言ってごめん」
「うん、ひどかった。Cワード、Fワード、W。言っちゃいけない言葉の連発」
「僕も初めて言った」
馬場君は恥ずかしそうに頬を染めた。
「英語が話せる人を探したんだ。海外とか英語教室とかの経験者」
「うん。四文字も六文字もアイで始まりユーで終わる。英語かなって思うわ」
「それに最初のは教科書には出て来ない」
「口語だよね、それもアメリカじゃ余り言わない」
馬場君は圭子をじっと見つめた。
「どうして、志村は英語を? クラモトも知らなかった」
「父の仕事の関係で、イギリスで生まれたの。うちでは日本語、学校では英語だった。八才で日本に来て、小学校で苦労した」
「イジメ?」
「ううん、ただ溶け込めないって感じ。それで隠しておいたほうが楽で」
「そうか」
自分の状況に重ねてくれているようだ。
「珠代、相原さんが友達になってくれて、それからはもう大丈夫」
「よかった」
「うん」
「みんなびっくりして僕をぽかんと見てた。志村だけ赤くなって下向いて……耳を閉じたそうだった」
「イギリスの小学校は四才から。しっかり躾けられたもの」
ふたりで笑い合うことができた。
窓際の席に前後して座って話した。
「これで容疑者はふたりに絞れたわ」
「え? ヨウギシャ? サスペクツ? ふたり?」
「ええ。メッセージの内容が分かるかどうかもだけれど、放課後いったい誰が落書きできる立場かも問題じゃない?」
「部活で誰が残っているか?」
「とかね。たぶん、毎日教室に鍵をしてると思う。学活が終わってから鍵を閉める間に誰がこの教室に来れるか」
「クラモトが消させたから、僕のメッセージを見たのはここのクラスメイトだけじゃない?」
「だから馬場君はワザと英語を喋って私を疑った。でもあともうふたり、あのメッセージ見てる」
「あれを書いたのは昨日の昼休み」
「五時間目は英語、六時間目は社会」
「Oh dear」
「馬場君の教壇での叫び、クラモトはちゃんと分かってた、悪い言葉だって。かなり英語できるんだと思う。それから、高橋先生なら一目で分からないわけがない」
馬場君は頭を抱えた。
謎の漢字でなされた一連の会話は英語の音合わせのようなものだ。fやdの音は近しい音を採用している。最後の馬場君の名前だけは音そのものじゃなく、似たように聞こえる英単語を和訳してある。
相反志有 アイハンシユー “I fancy you.” あなたが好き
愛夢本当武勇 アイムホントブユー “I’m fond of you. “ あなたが好き
浮鮎翻飛 フアユホントブ “Who are you fond of?” 誰が好き?
激怒 散髪 “Rage Barber” 玲治 馬場
相手は教師、馬場君は大人っぽく見えても十四才だ。十才以上の年齢差があるハズなのに、こんな廻りくどい愚かな告白をしなくちゃならないなんて、ゾッとする。どれ程思い詰めているのか。このことに気付いてしまったから圭子は、馬場君とちゃんと話そうと決心したのだ。
「クラモトじゃあないと思うわ。容疑者が絞られて自分への疑惑濃くなるのにメッセージ消させたもの。もしかしたら鍵を閉めに来てる先生が高橋だと知ってて、その証拠を掴むためにわざと消すように言ったのかもしれない。それにこんな当て字なんて、女の執念深さみたいなもの感じるし」
せめてクラモトではないと祈りたい。同性の担任が
「馬場君、高橋先生に『消さないで、返事が欲しい』って言った」
「そういうことを言った……ね」
「もしかしたらヘンな期待を与えてしまったかも……」
圭子は自分で口にしながら、寒気を感じる。
歳の離れた教え子に恋をして苦しくて、その相手が自分のメッセージを理解している、「誰が好きなのか」と訊いてくれた、「返事が欲しい」と言ってくれた、それだけで舞い上がってしまうかもしれない。
「君ならよかった」
馬場君がつぶやいた。
「え?」
「書いたのが志村なら」
「そりゃ、先生よりはマシかもしれないけれど」
圭子は急いでそう言って紅潮する顔を誤魔化した。
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