第5話 返答と馬場君
次の朝、黒板には新しい文字があった。
激怒 散髪
「何で床屋にゲキドするんだよー」
と笑っている者が多かった。
いつも朝の学活ギリギリに登校してくる馬場君は、教室へ入るや否やつかつかと後ろの黒板に行き、一拭きで文字を消した。怒りが籠っているのか、少し紅潮していると圭子は見てとった。
「何だ、今度は消すのかよ!」
男子は口々に文句を言った。
朝の学活に来たクラモトはクラスのざわつきから思い至って「返事があったのか?」と馬場君に訊いた。
馬場君は「あったけど止めた、もう探さない」と答えた。
男子が騒ぎ始める前に有本さんが
「二人だけで分かっちゃってヤな感じ。こっちは自分の苗字かと思って冷や冷やしたのに、いい気なもんね」
と皆に聞こえるように言った。
「そうだよ、先生、説明しろよ、気分悪い」
富田が吐き出すように言った。
クラモトは、「先生はまだ分かってないんだ。馬場とゆっくり話してから皆に説明するから」と言った。
それではクラスの誰も納得しない。
「じゃあ馬場が説明しろよ、聞いてやるからよ!」
「そうよ、勝手に返事して勝手に消して、いい加減にして欲しいわ」
その他大勢もがやがやと自分の意見を披露し始める。
収拾がつかない、と圭子は心配になる。ガタンと音がした。圭子より後方の席の馬場君が立ち上がって教壇に歩を進めた。
「説明できることがあるのか、馬場?」
クラモトは馬場君が頷いたのを見てとって一歩退きその場を譲った。馬場君は教卓に両手を置き、真ん中に教師のように背筋を伸ばして立つと、深呼吸して大きな声を出した。
ワッタカン、ファッキンカウオアホア
クッビーアモンキーフロムダファーイースト
エニウエイゴーバック、フエアユーカムフロム!
皆驚いた。呪文が通り過ぎ、空白が教室中に充満したみたいだ。クラモトが我に返って馬場君を諭す声がする。
「通じなくとも使っていい言葉と悪い言葉がある……」
圭子が顔を上げて前を見ると、クラモトが馬場君の腕を引いて教卓から引き離していた。馬場君は声の調子ほどには怒ったようでもなく、自分の席に戻っていった。
お昼、圭子はいつも通り珠代とお弁当を食べていた。そこへ馬場君が来た。圭子を見下ろしている。
「Do you speak English, don’t you?」
圭子は箸を置いた手が膝の上で震えるのを感じた。
「話したく……ない」
「放課後、話したい」
馬場君はそれだけ言って席に戻った。珠代は
「圭子、大丈夫? 今日馬場君ちょっとヘンね」
と言った。
圭子は頷くだけにしてコメントはしなかった。
放課後、珠代は珠代らしく、「一緒にいるか、どこかで待ってるから」と言い張った。
「馬場君は大人っぽいけど、それだからこそ二人っきりじゃ、恐くない?」
「大丈夫よ」
圭子は笑ってみせた。昼は「逃げたい」と思ったけれど、五時間目、六時間目が過ぎるにつれて落ち着いた。自分のするべきことも見えてきた。ちゃんと話したほうがいい。
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