第3話 種と歯車

 雪が徐々に融け、蕗のふきのとうが小さな頭を出し始めたころ、勇者は町へ降りた。


 王都だけあって人々は活気にあふれている。勇者と呼ぶものは誰もいなくなったが、彼は誰かしらに会いに来たわけではない。人ではなく、物の賑わいが彼の目的だった。


 勇者は野菜の種を買いにきたのだ。


 雪が完全になくなったら、彼女と野菜を育てようと話していた。


 旅をしていた時、仲間内で魔王を倒した後に何をしたいかという話題でよく盛り上がった。


 幼馴染は世界各国を巡りたい、魔術師は学校の教師になりたいと話していた。彼らが今その夢を果たせているかどうか他人になった勇者に知る由もない。

 

 その時の彼女は、小さな農園を作りたいと語っていた。湖畔湖畔に小さな家を建て、自分たちで野菜を育てながらのんびり暮らしたいと。


 それがいいものなのか、昔の勇者には分からなかったけど、彼女が言うのならきっと素晴らしいものなのだろうと、彼は彼女の夢に賛同した。


 勇者の呪いのことが分かってからは、そんな将来のことについて花を咲かせる余裕はなかった。

 けれど、彼女が自分の事を覚えているのなら、彼は約束を果たしたかった。


 勇者が王都の雑貨屋を訪ねる。町に詳しくないが、大きな看板を掲げ、客の出入りも多い。きっとお目当てのものが見つかるだろう。そう期待して店のドアを開けた。


「あ、あんたは!?」


 勇者の顔を見て店主らしき男の顔が曇った。

 勇者の記憶に店主の顏はない。どこかで会っていたとしても、きっと店主も彼を覚えていないだろう。それなのになぜか、店主は勇者に警戒の目を向けている。


 気にしていても仕方がない。勇者は、種を買ってさっさと帰ろうと店主に話しかける。


「あ、あんたに売れるものは何もないよ! 帰ってくれ!」


 店主はそう叫ぶと、箒を不格好に構えて勇者を店外へと追っ払った。


 おかしい。なにか失礼なことをしてしまったのだろうか。理不尽な態度に多少の苛つきを感じながらも、勇者は素直に他の店で買い物をすることにした。


 しかし、なぜか理不尽は続く。行く店行く店で勇者はけむたがられ、何も打ってくれないどころか追い出さられる始末。ここまでくると、苛立ちを通り越して不可解だ。


 残された店はあと一件。中心部から外れ、見るからに儲かってなさそうな古びた雑貨屋だった。


「……いらっしゃい」


 店の奥に座る老婆が少しだけ眉をしかめた。しかし、それ以上は何も言ってこない。追い出すつもりはないみたいだ。


 さっさと済ませてしまおう。勇者はめぼしい種が入った袋を手に取り、老婆へもっていく。


 何はともあれ、ようやく目的の物を買えた。店をたらい回しにされている間にもう夕刻だ。ずいぶん時間が掛かってしまったので彼女も心配している事だろう。


 清算を終えた勇者は、謝辞を述べて店から出ようとした。


「二度と来ないでおくれ。悪魔の使いめ」

 

 妙に引っかかる発言だった。勇者は脚を止め老婆へ詰め寄る。

 すると、老婆は短い悲鳴を上げ座っていた椅子から転げ落ちてしまった。


「こ、殺さないで! あんたがここに来たことは誰も言わないから。あたしは物が売れればそれで構いやしないんだ!」


 老婆は興奮してまくし立てるが勇者には発言の意図がさっぱり読めない。

 勇者は必死に老婆をなだめるが、彼女は依然として興奮と、そして恐怖に満ちた金切り声でこう喚いた。


「惚けても無駄だよ。あんたと一緒に住んでる女。あいつは悪魔さ!」


 時計の秒針が壊れてしまったかのように勇者の体がピタリと止まる。


 思考も一緒にとまってくれたらよかったのに。こんな時は、いつも以上に脳が回る。


 そう、最終決戦前夜のように、最悪の思考がぐるぐると。


「証拠は出そろってる。その女が魔王軍の生き残りだってことは騎士様たちがとっくに調べ上げてるんだからね!」


 勇者の手から種の袋が落ちる。


 袋が弾けて床に転がった種の音は、たった今勇者の頭の中で鳴っているある音そのもの。

 

 はまってほしくない歯車がぴったりと嵌り、回り始めてしまった音だった。

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