第15話 イチゼロゼロヨン

 昼頃に起きると、横には星斗がいた。

起こさないようにそっと毛布をかけ、洗面台に行き、顔を洗う。

昨日の事がまるで夢のようで現実感があまり無い。

 気持ちがふわふわしていたが、とりあえず昼食を作っておく事にした。

保温していたご飯の量を確認し、豆腐とワカメの味噌汁を作る。

少し辛めの野菜炒めは星斗の好みだが、この家に来て私も好きになってしまった。

 味見をする。

決してつまみ食いではないのだ。

うん、七味が効いていて、丁度良い。

私の自炊スキルも上がったものだ。


「おはよう。起きるの早いね」


 星斗が頭を掻きながら階段を下りてくる。

意識せず普通な顔をしていればいい。

そう、まったく問題無し。


「おはようございます。ご飯出来てまっすりょ」


 今、私はなんて言った?

まっすりょ?

まったく問題無かったのは勘違いだった。

 だが、星斗は気にする事無くテーブルにつき、食事を始めた。


「そういや、つみきの銀行カードって誰名義なの?」


「え?私名義ですよ。親が作ったんですが、キャッシング出来ないと分かって捨てたんです」


「そっか。親は暗証番号知ってるの?」


「知ってますね。なんせ親に作らされたので」


「じゃ、変えといた方がいいな」


 何故だろうとは思ったが、特に気にならなかった。


「そうですか?番号は何にします?」


「んー。イチゼロゼロヨン、とか?」


「星斗さんの誕生日とかですか?」


「いや、つみきが家出した日。ある意味、記念日かなって」


「悪くないです。今度変えておきます」


「良かった。で、その親と……イジメの主要メンバーは何人くらい?」


 味噌汁をすすりながら聞いてくる。

何も食事中にそんな事を聞かなくてもいいのに。


「女子三人、男子三人って所ですね。それと先生かな」


「先生は別として、まぁ六人なら仕掛けるタイミングを間違えなければ何とかなるな」


「なりますかね?」


「大丈夫、何とかなるだけの修業はしてきたつもりだよ。後は勇気だけさ」


 その勇気に不安が残るのだが……。

私は本当に人を殴る事ができるのだろうか。

未だに迷いがある自分が情けない。


「ご馳走さまでした。よし、今日は制服で地下に来てくれ。寒いだろうからカーディガン着てね」


「あ、はい。すぐ行きます」


 制服で何をするつもりなんだろう。

黒ジャージじゃないと気が引き締まらない。

昨日の事もあり、私は一層気が緩んでいる。

切り替えなくては。

 私は言われた通り、冬用のセーラー服を着てカーディガンを羽織り、地下へ向かった。


「恐らくだが、戦う時は制服だと思う。少しでも制服での実戦に慣れておこう」


 確かにジャージよりも動きにくい。

いつもの準備運動もぎこちなく感じる。


「よし、集中して来い。手加減はしない」


「はい。いきます」


 先手の構えで一歩踏み出し、様子見のジャブを入れる。

星斗はそれを躱すと同時に膝蹴りを腹に入れてきた。

が、私は膝蹴りを右手で受け、星斗の脇腹目掛けて横蹴りを放つ。

星斗はそれをバックステップで躱し、バランスを失った私の足を払う。


「それで全力か?人は無意識の内に手加減をしている。斃す為には脳のリミッターを外す必要がある。怒りを思い出せ。やらなきゃまた地獄に戻る事になる。感情のままに来い」


 頭では分かっていても身体が動いてくれない。

でもやらなきゃ、やられる。

もうあの日々には戻りたくない。

ずっと星斗と一緒にいるんだ。

今の私を勇気づけるのは星斗への気持ちと感謝。

リミッターを外せ。


「シッ!」


 浅く息を吐き、前蹴りを放つ。

避けられるが、それも想定内だ。

 蹴り損じた足を踏み込みに使い、間合いを詰める。

左手で目打ちをし、ガードさせる。

間髪入れずに左足で脇腹に横蹴り。

それもガードさせて本命の右フックを星斗の頬に思いっきり打った。

綺麗に入り、血が飛び散る。

真っ白なカーディガンに赤い斑点が付いた。

 星斗は距離をとり、構えを解いた。

私も息を弾ませながら膝に手をつく。


「良くやった。つみきが俺に入れた最初の一撃だ。重く、的確な一撃だった」


「ありがとう……ございます」


「今の感覚を忘れないように。喧嘩はスポーツじゃない。勝負は一瞬で決まる。

 その機を見逃すなよ」


「はい。あの、血が出てますが、大丈夫ですか?」


「今までつみきがされてきた事に比べればなんて事はない。

 俺は上に行くが、つみきは今の動きを反復していろ」


 星斗はジャージの袖で血を拭いながら一階に上がっていった。

怒らせてしまったのだろうか。

いや、そんな事は無いと思いたい。

 嬉しいのか申し訳ないのか分からない感情のまま、私は反復練習をした。




 最近ずっと実戦の修業してないな。

一人で反復練習をする時間が増えた。

やっぱり何かあったのだろうか。


「ちょっとコンビニ行ってきていいですか?」


「あぁ、構わないよ。ついでにチョコパン買ってきてくれるかな?」


「はい。いつも買ってるやつですね」


 時間は午後六時。

 私はスウェットの上から星斗の母の真っ白なコートを羽織り、家を出た。


「さっむ……」


 吐く息の白さが気温の低さを物語っている。

辺りはすっかり暗くなり、すれ違う人も仕事帰りであろうサラリーマンばかりだ。

 坂道を下ると、コンビニの看板が目に入ってきた。

歩いて十分のコンビニは近いとは言い難いが、ここら辺は車社会なのでしょうがない。

 コンビニに着いてまず行くのが雑誌コーナー。

漫画の新刊をチェックして、今週発売の雑誌を読んでいく。

それが終わると好きな飲み物やお菓子なんかを物色するのだ。


 雑誌を立ち読みしていると、後ろから不意に声を掛けられた。


「君、織原つみきさんだね?」


 会った事も無い、スーツを着た初老の男性。

私は訝しげに、そうですけど、と答えた。


「私はこういう者です。君に捜索願いが出ているんだ。

 保護して詳しく話を聞きたいから車まで来てもらえるかな?」


 警察手帳という物を見せられた。


「え?警察の人ですか?」


「そうだよ。とりあえず車へ」


 外には普通の乗用車とパトカーが一台ずつ止まっていた。

 私の心臓が大きく脈打つ。

外はこんなに寒いのに冷や汗が止まらない。

 乗用車の中には初老の男の他に、二人乗っていた。

その内、一人は女性だった。


「私達はこの事件を担当している刑事です。今までどこに居たか話せる?」


 女性の警察官が猫撫で声で話しかけてきた。


「えっと、その……」


「まぁ調べはついてるから無理しなくていいよ。

 とにかく一緒に彦川星斗という誘拐犯の家まで来てほしいんだ」


「誘拐……?」


 何がなんだか分からなかった。

何の前触れも無く刑事が来て星斗を誘拐犯だと言い、私を保護すると言う。

誘拐でも何でもない。

私は私の意志で、あの家にいるのに。


 訳が分からないまま、車で星斗の家に連れて来られた。

男の刑事がチャイムを鳴らし、星斗と何やら話をしている。

内容は聞こえないが、星斗はなんの抵抗もせず、手錠を掛けられていた。

刑事は星斗の腰の辺りを掴み、パトカーへと誘導する。

真っ直ぐ前を向いて連れられる星斗が目の前を通る。


「星斗さん!なんで!?」


「つみき……。ちゃんとクローゼットの荷物をまとめるんだよ」


 警官が、星斗に近づこうとする私を制止する。


「なんで!?どうしてこんな事するの!?」


「落ち着け。約束は必ず守る。だからつみきも負けるなよ」


 星斗はパトカーに乗り込み、そのまま連れて行かれてしまった。

私は状況が飲み込めず、ただパトカーに向かって星斗の名を叫ぶ事しかできなかった。


 その後、女性刑事が私に事情を説明していたようだが、あまり覚えていない。

父親が捜索願いを出していた事、星斗が私にしてくれた事は未成年者略取誘拐罪になるという事。

そんな事を言ってたような気がする。

 でも私にとってそれはどうでも良かった。

星斗は何も悪くないと訴えた。

私に何もしていないと言葉足らずに説明した。

帰りたくないと叫んだ。

でも、何を言っても無駄だった。

 結局私は家に帰される事になり、荷物をまとめるよう言われた。


 漫画部屋に入り、私は畳んである服をまとめた。

どれも星斗との思い出があるものばかりだ。

 ここに来てから増えた荷物は、持ってきたカバンには入りきらない。

途方に暮れていると、パトカーに乗る前の星斗の言葉を思い出した。


『クローゼットの荷物をまとめるんだよ』


 この部屋にクローゼットは無い。

じゃ、どの部屋のクローゼットだろう。

私は漫画部屋を飛び出した。


 一つ目の部屋にもクローゼットは無かった。

あるのは壁一面のレコードと高価そうなコンポに大きなスピーカー、

そして天井から吊るされたスクリーンだけだ。

スクリーンの裏も見たがやはり無い。


 二つ目は、いつも星斗がいる部屋。

ベッドの横にはサイドテーブルがあり、コップが寂しげに置いてある。

他にはパソコンや間接照明など、ごく普通の部屋だ。

 ただ、フォトフレームが印象的だった。

天井に付く程大きな木の形をしたフォトフレームの中には、家族や犬の写真が沢山飾ってあった。

 犬の写真を散りばめた場所には、銀と一緒に、と書かれたプレートがある。

恐らく犬の名前は銀だったのだろう。


 その横にクローゼットがあった。

きっとこれだと思い、恐る恐るクローゼットを開けてみる。

そこには光沢のある真っ赤なキャリーケースが一つ、入っていた。

 四桁の番号を入れる鍵がある。

思い当たる番号は一つしか無い。

イチゼロゼロヨン。

 カチリと音がして鍵が開いた。

その中には、封筒が一つ入っていた。

手に取ると若干の重みを感じる。

 封筒の中には、幸守りを付けたこの家の合鍵、惑星のネックレス、そして私への手紙が入っていた。

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