第13話 子供とコドモ
クリスマスの翌日、私達はいつも通りに黒ジャージを着て地下室にいた。
「今日は戦いに一番必要な事を教える」
「はい。お願いします」
予備動作の無い鋭いパンチ、速く重い蹴り、相手の攻撃を受け流し隙を作らせる防御。
その他に色々な技や、道具の使い方など、沢山の事を教えてもらった。
自分で言うのもなんだが、よくここまで成長できたと思う。
それでも私はまだ一番必要な事を覚えていないのだろうか。
「思い出して欲しい。イジメられていた時の事を。父親に蹴られていた時の事を」
そんな事を思い出させてどうしようと言うのだ。
幸せだった数ヶ月の間に頭の隅っこに追いやった記憶だ。
思い出したくもない。
だが、星斗の事だ、きっと何か意味があるに違いない。
「痛くて、悔しくて、怖くて……。思い出すのも辛いです」
「そうだろうな。自分に害をなす人間を前にするとどうしても恐怖で委縮する。
その恐怖心を無くす修業をしようと思う」
「どうやって……?」
「実戦だ。俺と本気の試合をする。今まで覚えた事を全部使って俺に勝て」
私は今まで誰かと面と向かって戦った経験が無い。
技を教えてもらう時もサンドバッグが相手だった。
反撃されるものを相手にした事が無かったのだ。
「今までの修業は、この実戦の為の布石だ。恐怖心を乗り越える為のな。
確かに殴られれば痛く、敵意の目は怖い。恐怖を知っている事は強みにもなり、
痛みを知ってるからこそ人に優しく出来る。だが、そこで止まっていては駄目だ」
「でも、怖いです……」
「分かってる。だから今日からつみき、お前に勇気を教える。構えをとれ」
私は咄嗟にカウンターの構えをとった。
星斗がノーガードで近づいてくる。
「仮想敵はつみきの父親だ。遠慮無く行くぞ」
大振りな右フックが来る。
左手でなんとかガードしたが、星斗の中段蹴りが脇腹に入っていた。
「うっ、げほっ……」
「怖いか?本物の殺意はもっと怖い。でもそれに勝つ修業はしてきただろう。思い出せ」
星斗の前蹴りを左足で受け、正拳を打つ。
が、軽く払われた瞬間、顎先を何かが通り抜け、目の前が揺れてブラックアウトした。
「ん……」
「大丈夫か?苦しくはないか?」
「大丈夫みたいです。私、気絶してたんですか?」
目を擦り、周りを見る。
頭が少し鈍く痛む。
「そうだ。いきなりの実戦じゃ仕方ないな。怖くなったか?」
「はい、怖いです。でも手加減しないでください。次は一発入れます」
「あぁ。相手は同じ人間だという事を忘れるな。あるのは鍛錬と経験の差だけだ」
私はその日、三回も気絶したらしい。
恐怖はあるが、悔しさの方が大きい気がする。
今までは悔しくても、それをどうにかする事ができなかった。
ただ、されるがままだったのだ。
だが、今は防御も反撃も出来る。
耐えるしか無かったあの頃とは違うんだ。
その日から実戦形式での修業が始まった。
「俺の攻撃をよく見ろ。怖がって目を瞑ったら何もできなくなるぞ」
「酔っ払いは加減してこない。だがその代わりに隙がでかい。こっちも大振りでいいから強い攻撃を当てろ」
「蹴りに対しては受けるより避けろ。そうすれば相手に隙ができる」
「おっと、倒れるなよ。倒れたら囲まれて、それまでだ。膝をついても目だけは俺から離すな」
「構えをとくな。全方位に神経を張り巡らせ、集中しろ」
「自分の大切な何かを思い浮かべろ。それを守る為に戦うんだ。死んでも譲れない何かの為に」
私の大切なもの。
ここで暮らした数ヶ月と、星斗に教わった戦う意志。
そして二人で撮った写真。
生まれてからこんなに幸せで充実した日々は無かった。
それを否定されたら私はきっと戦う。
例え絶対に勝てない相手を前にしても私は戦う。
_________________________
あっと言う間に大晦日になり、正月を迎えた。
初詣には行くべきだという星斗の意見に従い、近所の神社にお参りに行く事になった。
深夜の割に結構な人が初詣に来ていた。
人込みが苦手な私は無意識にパーカーのフードを被っていた。
「お守りを買わないといけないな」
「お守りですか?受験には早いですよ」
私は、忙しそうにしている巫女さんを物珍しそうに見ながら言った。
「そうじゃなくて、これは幸守りだよ。つみきの幸福を一年間、守ってくれる」
「じゃあ星斗さんの分も買わないとですね」
「そうだなぁ、一応買っておこうか」
私はピンク、星斗は黄色の幸守りを買った。
その足で参道の横にずらっと並んだ出店に向かった。
たこ焼きにお好み焼き、じゃがバターや牛串なんていうワイルドな店もある。
折角だからここで夜食を買って帰ろうという事になった。
私は目玉焼きの乗った焼きそばと気になっていた鮎の塩焼き。
星斗はたこ焼きとイカ焼き、牛串数本と綿あめだ。
人込みの中、いい歳した大人が綿あめを食べ歩いている。
無性に愛おしく感じるのは星斗だからだろう。
「いつも思うけど、思ったよりふわふわしてないんだよなぁ」
「じゃなんでいつも買うんですか」
私は無理して呆れ顔を作る。
「なんでだろうね。子供の頃を思い出すのかな。なんか安心するんだよ、この味」
笑顔で綿あめを食べる、感性が中二のこの人が好きだ。
その気持ちはもう止まらなくなっていた。
参道を出て人もまばらになった頃、私は意を決して星斗に話しかけた。
「星斗さんて彼女とかいないんですか?」
「もう随分いないなぁ」
「作らないんですか?」
「昔ね、好きだった女の人がいてさ、家に来た事があったんだ。脈ありだなって思ったよ。
でも俺の漫画部屋を見ると態度が豹変してね。それから好きな人は作らないって決めたんだ」
「あー。でもあの漫画部屋、私は好きですよ。居心地良いですし」
「嬉しいね。実は結構読んでるだろう?」
「バレてましたか。日常ものとバトルものメインで読んでます」
「いいねー。是非、色んな漫画を読んでくれたまえ」
私はポケットの中で手汗を拭いて、パーカーのフードを脱いだ。
「私は漫画部屋で引いたりしませんよ?」
「みんなそうならいいんだけど」
「私は地下の練武場も好きですよ?」
「あそこは流石に誰にも見せられないな……」
星斗は苦笑いしながら綿あめを食べている。
「私の髪の白い所が可愛いって言ってくれたじゃないですか。
それ以来、この白い部分が好きになりましたよ?」
「助けてってダイレクトメール送った時、すぐ返信くれたじゃないですか。
他のメールにもすぐ返信をくれた。そんな暇な所も好きですよ?」
「私を家出に導いてくれたのも、自由をくれたのも、いちいちやる事や言う事がクサい所も……」
「朝、おはようって言ってくれるのも、一緒にゲームするのも、美味しいご飯を一緒に食べるのも、
ユーザー名に罰天マンなんてつけるコドモっぽい所も、全部、全部……大好きですよ?」
気が付くと私は泣きながら脈絡の無い言葉を一人で発していた。
涙ってこんなにも熱いものなんだと初めて知った。
体温そのものが流れている気がして止めようとしても止まらない。
「私を子供としてしか見てない事は分かってます。恋に恋してるだけだろって思ってる事も分かってます。
でも、信じてもらえないかもだけど、私は本気で星斗さんの事が好きです。
これからもずっと一緒にいたいよ……」
俯いて涙を拭いていると、星斗がそっと私の頭に手を置いた。
「俺はそんな事、思ってないよ。なんていうか、その、凄く嬉しい」
星斗が涙を拭く私の手をぎゅっと握る。
その顔はグズった子供を見る様に笑っていた。
「つみきの人生は始まったばかりだ。これから素敵な男に出会うかもしれない。
俺といる事に飽きるかもしれない。そういう心変わりは仕方無いけど……。
これが返事だと思ってくれるかな?」
星斗がポケットから小さな紙袋を取り出した。
「渡していいものかずっと迷ってたんだ。彼氏でもないのにさ……。受け取ってくれるかな?
遅くなったけど、クリスマスプレゼント」
それは惑星をモチーフにしたお揃いのネックレスだった。
「俺も好きだよ。つみきが結婚できる年齢になったら迎えに行く。
その時、今と同じ気持ちだったら、これを付けててほしい」
「待ってます……ずっと……」
その日、初めて一緒のベッドで寝た。
何回、絶対に手は出さないからなと言われたか分からない。
そんなに言わなくても分かってるのに。
この人は衝動に任せて十四歳の私に手を出す人ではない。
例えそうなっても私はこの人を嫌いにならない。
迎えに行くという言葉が、嘘だとしても嬉しかったから。
私達は背中合わせでぐっすりと眠った。
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