第8話 罰天マンの過去

「落ち着いたかい?」


「はい、ありがとうございます」


 星斗が淹れてくれた緑茶を飲み、ホッと一息吐く。


「じゃ、意志が固まったという事で案内する場所がある」


「どこかに行くんですか?」


「まぁ外出は後で、かな。とりあえず家の中だよ」


 家の中で行って無い場所は二階の二部屋くらいだ。

趣味の部屋と言っていたが、とんでもない趣味が出てきたらどうしよう。

スパコンがいっぱいあって、あらゆる機関へのハッキングが趣味とか。


「ど、どこへ?」


「地下さ」


 そう言って星斗は仏間の畳を一枚剥がした。

そこには人ひとりがようやく入れそうな縦穴が掘ってあった。

 家の中に地下室だって?

星斗の事を信じようと思ったのは確かだが、謎の地下室は流石に怖い。


「頑丈に作ったつもりだけど、気を付けて降りて来てくれ」


 私の心配をよそに、さっさと降りて行ってしまった。

 穴はコンクリートで補強されており、梯子は鉄製でグラつきも感じない。

確かに頑丈そうだが、下が見えないとやはり怖い。

と思っていたら急に明るくなった。

 深さは大体三メートルくらいか。


 降りてみて、その広さに驚いた。

コンクリートで塗り固められたその部屋は約二十畳はある。

壁には見た事も無いような物々しい武器が飾られ、トレーニングマシンの様なものまである。


「なんですか、この部屋……」


「俺の趣味部屋の一つ、練武場だ。身体を鍛える為に作った。これも漫画から教わった事だ」


「また漫画ですか……」


 本当にこの人は大人なんだろうか。

漫画だらけの部屋に、漫画の真似をして作った地下室。

まるで歳の差を感じない。


「あの、その資金てどこから出てるんですか?」


「あぁ、両親が亡くなった時の保険金と遺産だよ。遺産が大きいかな。お陰で無職さ」


「働かないんですか?」


「それは、追々だ」


 頼りになる人だって思ったのは錯覚だったのだろうか。


「そんな事はいい。明日からここで訓練をする」


「訓練……?なんのですか?」


「勿論、喧嘩だ」


 喧嘩……。

殴る蹴るって事かな。

日常的に殴られてトラウマになってる私にできるとは到底思えない。


「無理です。殴るのも殴られるのも嫌だ……」


 星斗は、より一層真剣な顔になり、羽織っていたジャージを脱いだ。

Tシャツごしにだが、意外と筋肉質なように見えた。


「何故、無理だと思う?」


「怖いからです。痛いのもやだ」


 身に覚えの無い罵声、振りかざされる拳、私を傷つける為に握られた凶器。

思い出したくも無い。


「ここがカッターで切られた傷、ここは煙草を押し付けられた所、左下の奥歯はほとんどがインプラントだ。

 レンガで殴られた時に何本か折れた。他にもいくつか傷が残ってる」


 星斗はTシャツを捲りながら説明している。

 それを私に見せてどうしようというのだろう。

昔はやんちゃだった自慢だろうか。


「俺は昔、イジメられてた。何がきっかけかは忘れたが、そのイジメはエスカレートした。

 そして俺は最大のトラウマを植え付けられた」


 星斗がイジメに遭っていた?

確かに身長もそんなに高くないし、喧嘩なんてするタイプに見えない。

どちらかと言うと物静かで、勉強が好きそうな見た目だ。

 そんな過去があるから、イジメから子供を救いたいって思ったのだろうか。


「身体の傷も心の傷も一生、消えない」


 星斗は髪をかき上げて見せた。


「これはナイフで切り取られた耳だ。幸い手術でくっついたが、この身体の傷は消えない」


 酷く痛々しい傷が耳に残っていた。

 私はゾッとして、スウェットの端で手汗を拭った。

 決して他人事では無い。

私にも降りかかるかもしれない事だ。


 星斗はジャージのポケットから一枚の写真を取り出した。

そこには中学生くらいの星斗と、嬉しそうにはしゃぐ犬が写っていた。


「この犬は俺が赤ん坊の頃から飼っていた。俺にとっては兄弟そのものだった。

 だが、俺をイジメてた奴らに殺された。ズタズタにされ、玄関に捨てられてたよ。

 ご丁寧に『お前もこうなるぞ』って書かれた紙の切れ端と一緒にな」


 段々と吐き捨てる様な荒い語調になる星斗が少し恐い。

恐いのに、気持ちが分かってしまう。

きっと、そいつらを殺してやりたかっただろう。


「それが俺の消えない心の傷だ。今でも夢に出てくる。元気だった頃のこいつが」


 星斗は泣いていた。

死ぬほど悔しかっただろう。

絶対に許せなかっただろう。

 気が付くと、私も泣いていた。


「その一件で俺は復讐を決めたんだ。同じ目に遭わせようってね。

 暴力はいけません、なんてのは綺麗事だ。奴らは何の罪も無い他者の身体を傷つけ、

 心を殺そうとしてくる。そんなゴミ共に抗うには同じ暴力しか無いんだよ」


 暴力しか無い。

その言葉には実感がこもっていた。

 きっと星斗は復讐を遂げたんだ。

方法は分からないが、それ相応の罰を加害者達に与えた。

もしかしたら、その結果が星斗にイジメ被害者を守りたいという気持ちを持たせたのかもしれない。


 私が受けてきた数えきれない暴力。

それによってできたトラウマと死まで考えた地獄の日々。

 私だってあいつらを絶対許さない。

怖いからヤダ?痛いからヤダ?甘ったれていた。

どんな犠牲を払ってでも復讐したい、やり返したいって言ったじゃないか。


「……強くなったら、私のトラウマは消えますか?」


「分からない。でも真っ暗なトンネルから抜け出す事は出来る。その先がどうであれ」


「分かりました。よろしくお願いします」


 星斗は、うんと頷きジャージを羽織った。


「とりあえず、ここの紹介は終わり。上に行こうか」


 私の前で泣いてしまったのが恥ずかしかったのか、無理に明るい声で言った。

壮絶な過去を知ったからか、それを茶化す事が出来ない。

むしろ慰めたい気持ちでいっぱいだった。

 まぁこんな子供に慰められてもって感じだろうけど。


 リビングに上がると、星斗は出掛ける準備をしていた。

ここに私を連れてきた時と同じデニムとジャケットだ。


「つみきは制服……じゃマズいか。何か着れそうな服あったかな」


「どこか行くんですか?」


「あぁ、君の服を買いに行く。スウェットじゃ散歩もできないからね」


 私は碌な私服を持っていなかった。

だからいつも制服を着ていた。

 どんな服だろう。

お洒落には興味が無い私でもちょっとワクワクする。


「このスカートと、上着はこのコートでいいか。母のお古だからちょっと古臭いけど我慢してくれ」


 クローゼットの中からごぞごぞと取り出してきた。

 これは古臭いのか。

それすらも分からない。

この真っ白なコート、可愛いと思うんだけどなぁ。


「さ、行こうか」


 平日の昼間に出歩いてて大丈夫なのだろうか。

しかも一緒にいるのはSNSで知り合った無職の男性。

結構危ない事をしているのでは……。

 そんな事を考えながら私は助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。

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