私の話を聞いてくれませんか?

@takamatsu_a

1日目


私の話を聞いてくれませんか?


いや、その、たいした話ではないんですが。そりゃあこんな風に話しかけられたら嫌になっちゃうよね。だって、あなたは私の顔も名前も知らないんだ。だから、ごめんなさい、聞かなくてもいいです。もしあなたがいまベッドの中でこれを見ているのなら、そのまま寝てくれていいです。プレイしてるソシャゲの更新時間が来たのなら、それを見に行くのを優先して。わたしは多分きっと、それでも勝手に喋らざるを得ないわけだし、私の話を聞いても聞かなくても、あなたの人生には一ミリも影響しないでしょう。...いいや、やっぱり聞いてくれた方が嬉しいかな、うん。この話を、わたしの声を、どうか見知らぬ誰かが、世界にたった一人でもいいから、聞いていてくれますように。そしてあわよくば、それがあなたでありますように。


えぇ...なんか、いきなり啓発本というか、陶酔度マックスみたいな出だしになっちゃったぞ...。いやごめん。全然たいした話ではないんだよ。ちょっとした相談みたいな感じ...そう、一応創作っていうテイをとるけどさ、これはただの雑談です。そうそう。つまりは誰かとお話がしたいんだけど、いかんせんコミュニケーションが苦手なので、ちょっと一方通行の雑談ってことで、この文を書き始めた次第でして。

物語にもなりゃしないし、オチはないです。いや〜...我ながら...そんなん誰が読むねんな!?...なんか泣きそうになってきた。


...それでもまだ、読んでくれるの?ありがとう。なんだか、本当に優しい人だね、あなたは。ありがとう。ああ嬉しいな。じゃあちょっとだけ、私とお喋りしよう。でも無理はしなくていいからね。一方通行のコミュニケーションなんて本当はちゃんちゃらおかしいわけだし...。




えーっと、えーっとどうしよう。本当は簡単な悩みを聞いて欲しいんだけど。いや、なんでこんな文を書き始めたのかって話を先にするのがいいのかな。あれ?でもそれは誰かに話を聞いてもらいたかったからってことで...いいのか。じゃあ。


うーんと。


じゃあ、あなたはさ、何か趣味とかある?

いやーあのね!聞いてよ!私今就活中なんだけど!

趣味って欄に書くことが本当に思いつかなくて本気で困っているんだよね。なんなら小学生の時からずっとそうなんだけど...趣味とか特技って、難しくない?書いたり言ったりするの!

中学とか高校の調査票?みたいなやつ...まあ自己紹介シートでもなんでもいいんだけどさ、あなたは趣味特技の欄になんて書いてた?

わたし、私はね、その...いつも迷いに迷った挙句、遠くのものがよく見えますって、書いてたよ...視力はかなりいいので...。最初はふざけ半分だったんだけど!それで意外と何とかなっちゃったんだよね...。

ただまあ、中高はそれでなんとかなったけど、今は視力ちょっと落ちちゃったからもう同じようには書けないんだな。趣味の欄に関してはもはやずーっと空欄か嘘だし。うーん...どうしようね。困るんだよなあ。


あなたは、趣味、という言葉を聞いてパッと何か頭に浮かぶ?どう?

...もしもその答えがイエスなのだとしたら、わたし、それは本当、凄くすっごく素敵なことだと思うよ。


...なんかわたし、また急にうさんくさくなっちゃった?いや〜...文にするととたんに啓発感すごいなこれ...皮肉とかじゃ無いし、何かの啓発本みたいなことを言いたいわけじゃ無いのよ...てかここでそんなことしても何の意味も無いし...。うーん...


...ちょっとだけ、急に隙自語してもいい?あ、いや、そんなこといったらこの創作自体全部隙自語だけどさ....まあ、そういうのは置いといて。なんかね、よく言われるんだけど、どうやら人のことを褒める癖があるんだ、私。

うぅーーん....こういう風に言うとなんかいい人っぽいというか、良い癖って感じに聞こえちゃう人もいるかもしれないけど、全然そんなことない。謙遜じゃなくて。

なんていうか...多分落ちぶれている自分に安心する節があるんだよね。だから、人の良いところがすごく目に付くの。きっと人の事を褒めるその語尾には「わたしと違って!」っていうのが常に隠れていて、相手を上げることで自分を下げられる気がするんだと思う。

あなたは服のセンスがいいね、私と違って!凄く頭がいいね、私と違って!って感じかな。うーん、なんという自己中!!

伝わるかなあ...。本気でその人を凄いと思って、素敵だと思って褒めるから、そうで無い自分の不甲斐なさが際立つの。尊敬語と謙譲語の、あのシーソーみたいな図を思い出してもらえたらわかりやすいかなと思うんだけど...いや、何言ってるかわかんないよね?ごめんね...。


まあだから、つまりは。このあとももしかしたらこんな感じのこと言いがちだと思うけど、打算でゴマすってるわけじゃないからさ、動機はどうであれ、いや動機が不純だからこそ、全部心からの気持ちなので、素直に思ってることとして聞いてくれたらありがたい。良くも悪くも。


と〜っても話が逸れました!!!!

何の話????趣味の話!!!


趣味もそうなんだけどさ、何かを好き〜とか嫌い〜とかって、相対評価で決まるのか、それとも絶対評価で決まるのか。どっちだと思う?

また、いきなり意味わからないこと言っちゃったかな。まあ全然話半分で聞いてくれればありがたいんだけど。

何か〝モノ〟があって、それに対応する感情があって。その感情が〝好き〟なら〝好き〟ってことじゃん!ていうのが絶対評価ってことになるかな。

でもわたしは、〝好き〟っていうのはそういう無意識に湧き上がる、本能的な感情そのものの名前じゃなくて、もっとこう、その次の段階というか、意識的に作り出す物だと考えているのね。

何かに対して生まれてきたその感情を、他の〝モノ〟に対する感情に比べて線引きしたり優劣をつけたりしていく。自分の中のそれを見比べた上で、じゃあその〝モノ〟が〝好き〟って線の上にあるかどうかを品定めするでしょ。

その〝モノ〟に、〝好き〟とか〝嫌い〟とかって、どういうラベルをつけるか、呼ぶのかを決定して、それでようやくそれは私の〝好き〟ってことになるんだ。


本当はその過程を経て、〝好き〟〝嫌い〟を自分の価値観ベースで決めているんだけど、

好きという感情を絶対評価だと感じる人は、その過程をいちいち認識しないでもできている人なんだと思うの。判断の部分が無意識にできるから、好きなものを好きと疑うことがない。

つまり...価値観がしっかりしている!アイデンティティがちゃんと確立されているってこと!これってマジで人間としてすごくない?


え、何!?なんか今度は講義みたいになってしまったな?!違うんだよ!雑談がしたいのに、!

難しいな〜!わたしはもっと、ひだまりの中でうたた寝しながらお話しするみたいな、あるいは修学旅行の夜、仲のいい友だちとお布団かぶりって笑い合うような、そんな雑談をここであなたとしたいのに...全然上手くいかないじゃん...。コミュニケーション下手だなあ...。


まあいいや。自分のペースでやっていこう。ほんと、こんなのに付き合ってくれてありがとうね、ここまで一緒にいてくれてる「あなた」が、果たして本当に存在するのかはわからないけど。それでもありがとう。


いや違う違う、だから趣味の話だって。もう!

まあね、本当は趣味の話はたとえみたいなもんで。たまたまわかりやすく趣味の話をしたんだけど、私はその、別にそれは趣味に限ったことじゃなくて。恋愛、友だち、食べ物、...もうほんと色々!それらに対する〝好き嫌い〟全部...いや、それだけじゃなくて、下手したら感情という感情全部かな!みんなみんなそういう、相対的に、〝名前をつける作業〟をすることで、初めて生まれるものだと思ってるんだ。

簡単に言えば、あなたの好きが、私の好きとは限らないでしょ?それで、そのあなたの好きを〝好き〟と定義したのはまぎれもなくあなた。ま、その程度のことなんだけど。

私の感覚、感情、気分、好み、全てが、意識的にしろ無意識的にしろ、私の決断に委ねられている。つまりね、そういう判断があんまり得意じゃないような、自分の中の価値観が曖昧な人間は〝わたし〟すら、わからなくなっちゃうってこと。何もかも、「果たしてこれは〝好き〟と呼んでいいのだろうか」って、疑心暗鬼になるしかないって。



いやーーなんでこんな急に語り始めちゃったんだろう。さっきからごめんね。でもさ、最近それに気付いて、わたしは、本当に本当に、怖くなってしまったんだ。

まあ、この理論でいくとこの感情すらも本当かはわからないね。ていうか怖いって何?っていう無限ループだよ、つまりは本当は怖くないのかも。あーわけわからん。めちゃくちゃこわい。

...なんか、自分が発見したみたいな雰囲気で話しちゃったけど、まあこれ、ずっと前に偉い人がすでに提唱してたこと?なんだ。あとから調べてわかったんだけどさ。自殺論、みたいなやつだったかな、自殺の傾向?みたいな感じの切り口だったと思うけど。アノミーがどうとか...詳しくは忘れちゃった。特に近代増えている自殺の原因傾向がこれなんだって。でもやっぱり少しわかるところがあるよなあ。


たとえば、私があるアニメを見て、それを〝あ、良いな!〟って思うとする。でもちょっとSNSをのぞいたら私よりずっとそのアニメのことが好きな人が、世の中には溢れている。でも自分の中に確固たる価値観の軸がある人は、別にそこに引っかかることなく、このアニメを「好きだ」と定義できそう。

でも、それが無い人は?そこにある「外側の尺度」から自分の〝好き〟を測るのが手っ取り早い。

さて、じゃあ、私のこの感情は、snsの人達を物差しにして、果たして〝好き〟と呼べるものなのでしょうか?私ならわからない、いや多分違うかも。

趣味だって同じ事。趣味と呼ぶほどじゃないかなあで、留まっちゃってるもの、いくつある?わたしはたーくさんあるよ。むしろそれしかない。じゃあ、それは、それらは、どんな尺度で見て、どんな基準で判断されて、そこにいるのだろう...ねえ、怖いよね。そうなってくると、もう何を信じたらいいんだろう。相対的というのは尺度が不確かである以上、尺度に、つまりは自分に自信が持てない以上は、常に不確かであり続ける。

わたしの〝好き〟は本物?

ていうか本物の好きって何?

それを永遠に考える。問題なのは尺度の方なんだから、そんなことをしても答えが出ないのはわかっているのに。


あはは...ちょっと正気を失いすぎたかなあ、ごめんね。ひだまりみたいな雑談はもう諦めよう...。あぁ、文字数増えてパソコンがすごく重くなってきた。そろそろメモのページ変えないとな。


うん、今日はここで終わろうかな。あなたに本当に話したいことはまだ全然一ミリも話せてはいないんだけど、ずっと誰かに聞いて欲しかった事を、少しは吐き出せたかなって。それにちょっと本気でパソコンが限界みたい。さっきから5秒後くらいにようやく文字が打たれてる。やりにくい...。

もしもここまで私の話を聞いてくれた人がいるなら、それが本当に嬉しい。

また続きを文字に表現できたらここにこっそり足すことにするね。たぶんすぐになるけど。

だからさ、もしまた、気が向いたらでいいからさ、話を聞いてくれたらありがたいな、なんて。

もちろん、ここまで一緒にあなたが寄り添ってくれただけで、わたしはもう膝から崩れ落ちて泣いてしまうくらい嬉しいのだけど。

でも次はきっと、そんなあなたに、ちゃんともっとあなたに、この〝わたし〟のお話が、できるようにするから。そうだなあ、恋愛の話でも聞いてもらおうかな!恋愛の話っていうのは、多分自己開示に1番適したステージなのだろうし。

えぇ、それは別に聞きたくもない?それなら全然違う話にしようかな...考えておくね。


...じゃあ、ありがとう。いつかまた気が向いたら。




...でもさ、ちょっと論点ずれるけど、自殺論ってやつ。その自殺すらも世の中や社会と「相対的な」統計や傾向にされちゃってるのって、なんかすごい皮肉だよねえ。ま、解釈間違ってるかもしれないけど。

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