第4話

「あ、寧伊〜。今日の体育、バレーらしいよっ」

「なんにしても私は保健室だよ?」


朝一番で、私の顔を見て嬉しそうに声をあげたのは白宮未知(しろみやみち)だった。

まぁ、たった1人の友達だったりする。


「テスト近いし、ちゃんと勉強しときなよ?」

「うん、そうする」


体育という科目は、私にとってとても危険である。

そりゃ、激しい運動ができないから、参加できないのはもちろんなんだけど。

どうしてもみんなが走ってるのを見ると、私も一緒にできるんじゃないかって思ってしまう。

やだね、馬鹿な頭してる。

実際は、わかってるつもり。

つもりなだけ、みたいだけど。


「寧伊、おはよう」


クラスが違っても、毎朝私の教室に来てくれる彼氏さん。

うちのクラスではもう、見慣れた光景と化していて、あ、また、残念イケメンが彼女愛でに来てる、くらいの認識成り下がった。

残念、とは甚だ愉快なものである。


「おはよ」

「来て早々悪いけど、数学の教科書持ってない?」

「持ってるよ?」

「貸して。忘れちゃった」

「うん」


私は下ろしてすぐのカバンを開けて、数学の教科書を渡す。


「ありがと」

「うん」


ん、と。

なんだろ、ちょっと違和感。

髪の毛、切った?

いや?そうでもなさそうだな。

襟足伸び切ってるし。

そういえば、いつもと匂いが違う気も。


「…シャンプー変えた?」

「あ、わかる?なんか髪質も変わっちゃったみたいでさ。風になびくんだよね」

「櫛通りよさそうでいいね」

「どっちの方が好き?」

「どっちもいいと思うよ」

「じゃあしばらくこのままにする」


愛玖くんはニコッと笑って私の頭を撫でると、教室を出ていった。


「あんま無茶しないでね」


と、言い残して。


「あんたら、ラブラブだねぇほんと」

「かなぁ?でもまぁ、楽しいことに間違いはないよね」

「うん、だろうね。笑うことも増えたし、倒れることも減ったんじゃない?」

「だね。あんまり無茶したくなくなったから」

「いいことだよ、きっと」


いいこと、なのかな?

そりゃ、みんなからしたらいいことかもだけど。

私が走ろうとしてるのは自分のためなんかじゃなくて…自分の、ためか。

結局何もかも、私の偽善でエゴでしかない、かな。

わかってるよ、そんなこと。

わかり切ってる。

それでも私は、走ることで報われる気がするし、倒れて寝ている時間が1番、期待している。

私の愛を受け取ってくれるんじゃないかって、手を伸ばしてくれるんじゃないかって。


まだまだ、足りない、のかもしれないけど。


「あ、そういえば寧伊。数学のテストの勉強、した?」

「…へ?なにそれ」

「え?今日小テストあるよ?」

「今初めて知った」

「勉強してない?」

「週末は愛玖くんとゴロゴロしてた」

「…ラブラブで何よりです」


当たり前だけど、数学のテストはボロボロだった。


* * *


ボーッと、保健室で寝ていた。

今日は保健室の先生もいなくて、誰にも監視されていない開放感から、ベッドに転がっていた。

んー…何もしたくない。

というか、この保健室、いつもより埃っぽい。

…きつ。


「けほっ」


咳が出た。

一度で始めたら、止めどなかった。


「けほっ、けほっ…げほっ…っ」


いつもより埃っぽいとか、そういうレベルじゃない。

昼休みに掃除でもしたのだろうか、埃が立っている。


あー…辛い。

今日は走ってもないのに病院に運ばれてしまいそうだ。


そう、そんな時。そんな時に限って。


───コンコンコン


「失礼します。2年3組、夏元愛玖です」


この男は来てくれちゃうのだ。


「けほっ、…め、ぐ」

「寧伊?もしかして、調子悪い?」


愛玖くんは頷く前に加湿器のスイッチを入れてくれて、私の隣に座って背中を撫でてくれる。

愛玖くんには、喘息の対処法とか、咳の止め方とか、そういうのは伝えたことがないから、一般的な処置をしてくれる。


「薬とか、持ってる?」


私は横に首を振った。


「こほっ…っ、げほっ」

「そっか。救急車、呼ぼうか」

「い、いい…げほっ」

「しんどいでしょ。俺、どうすればいいかわかんなくて、ごめんね」


謝らないでよ、愛玖くん、何も悪くないのに。


私は愛玖くんにギュッと抱きつくと、ボフッとベッドに倒れた。


「わっ、寧伊?」

「けほっ……こほ」


うまく、喋れない。

でも、愛玖くんは優しい顔をして、私の背中を撫でていてくれる。

次第に私の咳も治って、ただ私が愛玖くんに抱きついているだけになった。


「…ありがとう」

「なんもしてないけどね」

「一緒にいてくれたよ」

「それくらいならいくらだってするよ」


愛玖くんはニコッと笑って、わさわさと私の頭を撫でた。

そういえば、授業中、だよね。

保健室来たって、ことはさ。


「愛玖くん、調子悪い?」

「んー?ちょっと頭痛くて」

「わわっ、ご、ごめんっ、私ばっかり看病してもらっちゃって…っ」


愛玖くんは焦る私を見て優しく頭を撫でた。


「大丈夫。寧伊見てたら、調子良くなったから」


うぅん…そんなでいいのか?

でもまぁ、愛玖くんは嬉しそうに私を見つめてくれている。

かっこよくて、困る。


───これ以上、彼に溺れたら。

きっと私はダメになっちゃうんだろうな。


渇いた笑いが溢れた。

愛玖くんは私を不思議そうに見つめたけど、次の瞬間には、私を抱きしめて寝ていた。


次の無茶が、多分。最後になるよ。

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