第19話脱甘やかされ生活

「じゃ、遊び行ってくるね」


「気を付けてな」

 玄関で遊びに行く涼香を見送った後、俺は左手でお腹を掻きながら、久しぶりに家での一人という時間を満喫し始める。


「コーヒーでも飲むか」

 キッチンでお湯を沸かす。

 ほぼ右手は使えないが、このくらいお茶の子さいさいだ。

 まず、台所で水を出す。

 で、出ている水を入れるべく、やかんを近づけるのだが……

 やかんの上部にある蓋を外していない事に気が付く。

 右手は使えない。

 仕方がないので、やかんを置いてから、左手を使って蓋を外したのだった。


 そして、気が付いた。


「あれ? 俺、甘やかされ過ぎてね?」

 左手しか使えない今、やかんを置いてからじゃ無いと、蓋が外せない事すら分からなかった俺。

 なぜ、そんな風になってしまったのかは簡単だろう。

 涼香が色々とやってくれるからだ。

 俺を気遣って、色々とやってくれてしまう。

 嬉しいと言えば、嬉しいのだが、これは不味い。このままでは、着々とダメ人間になって行くんじゃ……


「さすがに甘えすぎてたな。自重しよう」

 大学に入学した後も、ある程度は右手が使えないまま。

 涼香を横に歩かせ、お世話して貰うのは出来ない場面が絶対にあるし、四六時中一緒に居て貰えるなんてありえないのだから。

 

 お湯を沸かす間、マグカップにインスタントコーヒーの粉を注ごうとする。

 個別包装になっているスティックタイプ。

 封を開けようとするも、右手は添える程度は出来るが、掴むことは出来ない。

 よって、開けるのに苦労してしまう。

 怪我をして結構な時間が経っているというのに、順応が追い付いていない事をより一層と知り、脱涼香を真剣に考えるのであった。




 そこそこ日が暮れて、外が真っ暗に成りかけの頃。

 玄関の開く音と同時に、涼香の声が聞こえて来た。


「ただいま~」

 一人で過ごす時間はあっという間。

 リビングにあるテレビで映画を見たり、ソファーでスマホを弄ったり、カップ麺を食べたり、お菓子をつまんだり、そんなことだけで終わった。

 そんなことを考えていると、リビングに涼香が入って来て、俺に言う。


「祐樹。元気してた?」


「そこそこ」


「え~、そこは私が居なくて寂しかったとか言ってくれても良いんじゃない?」


「おうおう、じゃあ、寂しかった」


「テキトーすぎるけど、ま、いっか。で、久しぶりに家で一人だったけど、何してたの?」


「映画とか見てた。ま、一人も悪くなかった。そして、気が付いた。って、おい」

 人がちょっと大事な感じで話をしようとしているのに、部屋へカバンを置きに行った。 

 ったく、わざとこう言う事をするとか酷くないか?

 

「お待たせ。気が付いたって何に気が付いたの?」

 カバンを置いて来た涼香は俺が座っているソファーの横に座って来る。

 横顔を見ながら、涼香が居ない事で気が付いた事をはっきりと告げた。


「左手しか使えないだろ? で、まあ、それを気遣って涼香が色々としてくれるわけだ」


「うんうん」


「甘やかされ過ぎて、退院してからそこそこ経ってるのに、全然、片手で何も出来るようになってない。お湯を沸かす事すら、お前がやってくれてるから、片手でやる方法を知らなかったんだぞ?」


「なるほど。つまり、甘やかされ過ぎて、ダメ人間になりつつあるって事に気が付いた感じだ」


「という訳で、甘やかすのも程々にして貰えると有難い」

 このままじゃ不味い。

 甘やかされ過ぎて、大学での生活が始まったら、まず間違いなく、片手での生活に慣れていないせいで、苦労するからな。

 

「それもそうだね。じゃ、程々にしよっと」

 こうして、脱甘やかされ生活が始まった。



 

 脱甘やかされ生活が始まってすぐにやって来た夕食。

 父さんはまだ仕事で帰って来ていないので、俺、涼香、母さんの三人だ。

 おかずを大皿から取り皿に取ろうとするも、片手しか使えない。

 取り皿を大皿に近づけようにも、周りには他の料理が並んでいるせいで近づけることが出来なかった。

 ポトリと机に落ちるおかず。


「もう。涼香ちゃんにとって貰えばよかったじゃ無いの」

 母さんから叱られた。

 で、甘やかされを脱却しようと、一人で頑張ろうとしている経緯を知っている涼香は笑いを堪えていた。


「お義母さん。祐樹、今、私に甘やかされ過ぎてる気がして、一人で頑張ってんだってさ」


「あら、そうだったの。確かにそうね。大学生活が始まったら、四六時中、涼香ちゃんが居る訳じゃないもの。片手しか使えないのに、慣れも必要ね。じゃあ、フォークも外でご飯の時、貰えるか分からないから没収しちゃいましょうか」

 母さんによって、フォークを奪われる。

 そして、渡されたのはお箸。

 飲食店で、怪我してるのでフォークとかスプーンをくださいと言ったら、大抵出て来るだろうが……。

 そう、これは俺への虐めである。

 この年になって親から虐待を受けるとは思って無かったぞ?


「っく。ぬっ。ふっ」

 悪戦苦闘しながら、箸でご飯を食べようとする。

 そんな様子を見て、涼香と母さんはニッコリだ。

 意地になった俺は、なんとしてでも今日は箸で夕食を食べて見せると意気込むのだが、箸でご飯をうまく食べれない。


「汚いな~。しょうがない。はい、こっち向いて?」

 横に座っている涼香の方を向く。

 すると、箸で俺の口にご飯を運ばれるのでパクリと食べた。


「なあ、俺は甘やかされ過ぎてるのを卒業したいんだぞ? これじゃあ、さらに甘やかされてる気がするんだが?」


「え~、そう? はい、もう一口」

 再び、俺の口元にご飯が運ばれてきた。

 これまた、パクリと食べるのだった。正直、悪くない気分である。

 親鳥とひな鳥かのような俺と涼香を見ながら、母さんが言う。


「若いって良いわね」


「あ」


「へ」

 気が付けば、母さんの前でイチャ付いていた。

 親に好きな人とイチャイチャするのを見られるのは、当然のように恥ずかしい。

 顔を真っ赤にしながら、よそよそしく、残りのご飯を食べるのであった。


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