第16話デートの終わりは甘やかされ生活の始まりだった
「今日は楽しかったね!」
夕暮れ前、水族館を満喫した俺達は帰り道を歩き始めた。
潮の匂いがつんと鼻を付く中、一日を振り返る。
「ああ」
「祐樹さ。小魚の水槽が一杯あるところで、私の事を、守ってくれるって言ったのを忘れないでよ?」
わざとらしい感じで言われた。
そんな涼香の頭を軽く小突く。
「忘れないから、安心しろ」
「ちょ、なんで頭を小突いたの?」
「お前が、馬鹿げた事を言うからだ。守るって言ったのに、すぐに破るような奴に見えるか?」
「うん、そっか。じゃあ、安心した」
ホッとした様子。
水族館を出て、シャトルバスへと向かう際、ちょっと良い景色の場所で立ち止まる。
「少しだけ景色でも見てかないか?」
「うん」
二人で景色を眺める。
もちろん、景色を眺めるためだけにこの場に留まったわけじゃない。
意を決して、カバンからちょっとした小包を取り出して、景色に釘付けになっている涼香に放った。
「涼香。ほれよっと」
「え、あっとっと。ちょ、いきなり、もの投げないでよ」
「わるい。わるい」
「で、これは?」
「お前へのプレゼントだ。と言っても、軽いものだけどな」
最初のデート。
気合いの入ったプレゼントなんかよりも、軽い感じのプレゼントの方が良い。
そう思って、選んだものを涼香に渡した。
「なにかな、なにかな~っと」
小包を綺麗に開けて行く。
涼香にプレゼントをしたことはあるが、恋人になってからは初めて。
そわそわとしながら、反応を待つ。
ごくりと生唾を飲み込むと、やっとの思いで包みからプレゼントが姿を現した。
「パスケースだ!」
「初めてのプレゼント。変に気合の入ったものを渡されても、困るだろ? まあ、恋人に渡すものとしては、いまいちな気もするが……」
保身に走る俺。
渡してから、本当にこれで良かったかと後悔してしまう。
恐る恐る、涼香の反応を見ると、
「祐樹からなら、何を貰っても嬉しいに決まってるよ?」
「パスケースなんて渡されて、実際のとこどうだ?」
「今日は別に誕生日でも、クリスマスでもないし、こういう風に気の抜けたプレゼントの方が良いに決まってるじゃん」
「つまり……」
「嬉しいってこと。だって、このプレゼントって、私が今使ってるパスケースが擦り切れ、汚れて来てるからくれたんでしょ?」
「そう言う事だ」
「よーく私の事を見てくれてるんだって分かるプレゼント。嬉しくない訳が無いでしょ?」
そんな心配そうにすることは無いと、優し気な笑みを浮かべながら言われた。
成功したプレゼント。
ドキドキはまだ収まらないがホッとした気持ちになる。
「それは良かった」
「というかさ~、ずるくない? いきなり、プレゼント渡してくるとかさ。私、何も用意出来てないよ?」
「そりゃまあ、お前へのサプライズだし」
「悔しいから、私も今度、祐樹を喜ばせるプレゼントを用意するからね?」
「期待しとく」
プレゼントを渡した後、少しだけ景色を眺めながら会話をする。
恋人のデートと言えば、仲が進む。
それこそ、キスとか色々としちゃうのかも知れない。
と思っていたが、何も性的な事がすべてじゃ無いと分かった。
ゆっくりと、確実に仲を深めて行かないで、先へ先へと進むのは勿体ない。
初々しい、今だからこそ感じられない幸せを噛みしめるべきだ。
「あのさ、祐樹」
「ん? どうした」
「ただ呼んでみただけ」
輝かしい笑顔を向けられる。
涼香は守ってくれる? と心配そうに言っていたのを思い出す。
この笑顔を守るためなら、俺はなんだって出来る。
「さてと、帰るか」
「うん、そうだね」
景色を眺めるのを辞めて歩き出す。
シャトルバスまでの道をゆっくりと歩いていると、階段に出会う。
そこそこ高めの階段を降りている時だった。
涼香の背中に勢いよく走ってきた男の子がぶつかった。
踏ん張りが効いて居れば、別に転びはしなかっただろう。
不意の一撃。
足腰に力なんて入れておらず、涼香は転げ落ちそうになる。
「っくそ、まにあえ!」
転げ落ちる涼香を何とか抱きかかえ、そのまま俺と涼香は階段を転げ落ちた。
「いっつ……」
涼香を良い感じに抱きかかえたまま、地面にぶつかる事が出来た。
おそらく、涼香は無事だろう。
しかし、俺は……ヤバそうだった。
「ゆ、祐樹!? だ、大丈夫!」
「っつ、あ、ああ」
声を振り絞った。
悲鳴を上げる腕と手に目をやると、明らかにダメっぽい。
意識こそ失いはしないが、痛みで一杯、一杯になる。
俺を押した男の子の親が呼んだであろう救急車に、乗って近くの病院へ。
思いのほか、腕は平気だったが、指の状態が良くなかったのか手術。
結構な大惨事に見舞われたのだった。
まあ、とはいえ、たかがと言うのはおかしな話だが骨折だ。
何日か入院した後、無事に退院だ。
「んしょっと」
退院の付き添いで来てくれた涼香が、俺の荷物を持ってくれる。
左腕は無事だが、気を使ってくれているのだろう。
「悪いな」
「ううん。左手しか使えないのに、左手に荷物を持ったまま、転んだら手が着けなくて大変でしょ?」
「言われてみればそうか。ほんと、悪い。退院の付き添いまでして貰って」
運ばれた病院は水族館の近く。
そこで手術を受け、入院していた俺。
当然、家から来るとなればそれなりに時間が掛かる。
お見舞い含めて、何日か俺の様子を見に来てくれた涼香には頭が上がらない。
「ううん。平気、平気」
「さてと、久しぶりに帰りますか」
水族館から家に帰るまで、こんなに時間が掛かるとは思ってなかったな。
苦笑いしながら、運賃が怖いがタクシーで家まで帰るのだった。
で、家に帰ると母さんと父さんは仕事で居ない。
久しぶりの我が家は不思議な気分だった。
「そういや、俺の事故はどうなってるんだ?」
「一応、治療費は全部あっちもちは確定してる。後は、損害賠償でいくらか請求できるって弁護士さんは言ってた」
「それなら良かった」
そこそこと言うか、手術、入院込みの治療費。
普通に宝くじが当たったとはいえ、手痛い出費だしな。
「……左手しか使えないのは不便だな」
「そろそろ薬の時間じゃない?」
水を用意してくれる涼香。
貰って帰って来た薬を水で流し込む。
「ちょっと、気疲れした。寝る」
自分の部屋に行き眠る。
片手で布団を敷くのが面倒だったので、すっかり涼香が占領している俺のベッドで、久々に眠るのだった。
起きたら夜。
リビングに行くと、母さんと父さんが帰って来ていた。
どうやら、涼香と俺の怪我について話しているみたいだ。
「母さん、父さん。ただいま。そして、お帰り」
「祐樹こそ、お帰り。怪我は大丈夫?」
「まだ痛むけど平気だ」
「そう、それなら良かったわ。そう言えば、体は拭いてたんでしょうけど、久しぶりにお風呂に入ってきなさい。袋で覆って濡らさなければ入って良いんでしょう?」
「まあな。でも、片手じゃしんどいから袋をしてくれないか?」
「あらあら、私に頼まなくても、祐樹には可愛い奥さんが居るじゃ無いの」
涼香に目配せをする母さん。
そして、涼香は俺の手に袋を捲いていく。
「……んじゃ、入って来る」
左手にタオルと服を持ってお風呂場に行くのだが、なぜか涼香までお風呂場まで着いて来た。
「どうしたんだ?」
「お義母さんが祐樹の入浴を手伝って来なさいって」
「……なるほど。俺達、恋人みたいにしてるけど、形式上は夫婦だもんな」
「で、どうする?」
「お前が嫌なら別に一人で入る」
「うーん。嫌じゃないと言えば、嫌じゃないよ? でもさあ、なんか気まずいというか、なんて言うか……」
キスすらした事の無い俺と涼香である。
お風呂で洗うとか、ハードルが高すぎだ。
ただでさえスローペースな俺達。
何段も階段をすっ飛ばすような行為にたじろがない訳が無い。
が、しかし。
母さんが脱衣所に俺達の様子を見に来た。
「あら、まだ入ってなかったの?」
「なんで来たんだ?」
「そりゃ、息子が心配だもの」
そう言うや、すぐに去って行った。
家族をしているからこそ、分かる。
母さんは絶対に脱衣所にまた来ると。
その際、涼香が俺を手伝わずに待ちぼうけしていたらどうだ?
怪しまれるに決まっている。
不和を疑われたら、それはそれは、母さんのお節介が俺達を襲うだろう。
「祐樹を洗ってあげなかったら、色々と面倒事になりそうだし洗う。というか、そもそも、祐樹は私をかばって怪我したんだもん。普通にお世話させて?」
「分かった。じゃあ、頼む」
「ただ、腰にタオルは巻いてよ?」
「初心なお前に見せつけて喜ぶ趣味は無いし、巻くっての。ほら、うしろ向いとけ」
後ろを向かせ服を脱いだ。
で、腰にタオルを巻き終えると、俺と涼香はお風呂場へ。
椅子に座ると、涼香はスポンジを手にし泡立て始めた。
「やっぱり、無理しなくて良いからな?」
涼香もお風呂場に居る今。
曇りガラスで覆われた中を知れるのは俺達だけ。
普通に俺の事を洗っていると母さんは思うに違いない。
別に涼香が俺の事をわざわざ洗う必要なんて無いと言ったのだが、
「私のせいで、こんな体になってるんだからお世話させて? はい、背中向ける」
ゴシゴシとスポンジで俺の背中や腕を洗い始める涼香。
始まって見れば、ちょっと恥ずかしいが意外と平気。
水族館で涼香にも言ったが、『甘えたい』願望が割とあるのだ。
その願望が満たされて行くのが分かる。
「……っくそ、涼香にこんなことされるとか最高すぎるだろ」
「そういや、水族館で祐樹は私に甘えたい? って聞いた時、甘えたいって言ってたね。甘えたい気持ちに響いてるって感じなの?」
「響きまくりでヤバい」
「えへへ。そうなんだ。じゃあ、がんばちゃお。お客さん、痒い所は?」
ゴシゴシと体を洗われ、髪の毛も丁寧に洗って貰った。
もちろん大事な部分は、自分で洗ったのは言うまでもない。
そんな経験を経て俺達は気が付いてしまう。
「俺達って、性欲薄すぎじゃ無いか?」
「言われてみればそうだね。なんで、普通に何事も無く祐樹を洗ってたんだろ。普通だったら、絶対に何か起こってたでしょ」
「……まあ、こういう形もありなのか?」
「う、うん。ありじゃない?」
どこか歯切れの悪い涼香の返答を聞いた俺は、心に決めた。
涼香もこう言ってるんだし、性的な事はまだ避けるべきだと。
病院から退院し、久しぶりに迎えた家での朝。
目を擦りながら、俺は目を覚ました。
「おはよ。祐樹」
「ん、ああ。おはよう」
挨拶を返して横で寝て居た涼香を見やった。
スウェットのズボンがちょっとずり落ちていて、見えているパンツ。
……ゴクリ。
生唾を飲み込む。
昨日、性的な事はまだ避けるべきだと結論を出したというのにだ。
それを忘れてしまいそうになるくらいの刺激が襲う。
「ズボンがずり落ちてる……。あ、祐樹、ずり落ちてるズボンから見えてたパンツ見てたでしょ?」
お得意のからかいを食らった。
こいつ、こう言う事を言うくせに『ああ、エッチだった』とかカウンターを返すと、途端に恥ずかしがるんだよな……。
「見てないぞ」
「え~、本当に?」
「じゃあいう。わりとエッチだった」
さあ、いつもみたいに初心に恥ずかしがれ。
「ふぇ? あ、そ、そうなんだ。へー」
いつも通りに恥ずかしがる涼香。
だが、今日はいつもと少しだけ様子が違った。
「しょ、しょうがないなあ~。ちょっとだけだよ? ……はい、おしまい!」
ちらっとズボンを下げて、可愛い可愛いパンツを恥ずかしそうに、俺に見せてくれた。
そんなことをされた俺はと言うと。
性的な事はまだ避けるべきだという結論を出した癖に、もうヤバくなる。
「……」
「だ、黙って、どうしちゃったの?」
「い、いや。何でもないぞ?」
ゆっくりと、それでいて俺達らしくを大事にしたい。
でも、俺は涼香の事を襲わずに居られるんだろうか?
「あ、祐樹。今、着替え用意するから待ってて?」
「そこまでしなくても良いんだぞ?」
「かばって貰った結果、怪我しちゃったんだから、祐樹は甘えて良いんだよ?」
こうして、涼香に甘える日々は幕を開けるのだった。
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