第15話 6月8日【夏目陽奈】
【夏目陽奈】
私は再びきゅっと口元をしめて歩き出す。
チェーン店の、学割がきくカラオケ店につく。ラインの通りに指定された部屋番号の前に立つ。ひとつ息をついてからドアに手をかける。
重たい部屋のドアを開けると遠藤が歌っていて、高木もすでに座っていた。中根とミカとエリカがイェーイとか言って盛り上がっている。
「おお、ヒナきたじゃん」
と迎え入れられる。私のの少し前に来たであろうシュウの隣がひと席分空いていたから、そこに座る。
私は高木をはじめ、4人の盛り上がりに押されながら、でも押されていると分かられないような態度をとって、その場になじむように努力する。
ミカやエリカは今流行っている女性歌手のラブソングやアイドルの歌を歌ったりしている。
遠藤や中根は盛り上がる曲を中心にアップテンポな曲を歌っている。高木はメロディアスな男性ユニットの曲とか、ヒップホップとかレゲエっぽい邦楽を歌っている。私は、ちょっと前に流行った曲で、緩めの曲を歌う。こういう時、どうしていいか分からない。ほんとうに歌いたい歌が、私の中にない。デンモクで歌を選んでいる時は、たくさんドリンクのメニューが揃っているカフェに入った時と同じ気持ちになる。「私はこれが大好き」ってやつが、カラオケにもカフェにもない。これ歌ったら、とか、これ頼んだら、とか考えてしまう。私は人に引かれない程度の平均点を、いつも取り続けているんだとつくづく思う。
途中、頼んだポテトフライがやって来る。歌う頻度はそこそこになり、雑談がメインとなる。
「休みになったらみんなで海行きたい」
ミカが元気よく提案する。彼氏の前だと、いつもの性悪なミカはどこかに隠れてしまっている。
「いいね、海最高じゃん、エリカはビキニだろ?」
知った風な口を遠藤が彼氏ヅラで聞いている。エリカは、まあねー、とまんざらでもない様子だ。
「ヒナも行こうよ。シュウも行くでしょ? 」
またミカがテンション高めの天真爛漫キャラで尋ねてくる。
私は、水着まだ買ってないや、とあやふやな答えを返す。
高木は、まあな、と答える。
「海かあ、それならみんなで沖縄でも行っちゃう?バカンス、しちゃう?」
中根がおどけている。
「沖縄は行くじゃん、今度修学旅行でさあ」
ミカが冗談っぽくツッコんでいるけど、同時にムカッと来ているのが分かった。彼氏である中根の愚痴はしょっちゅう聞いている。こういうバカなところがマジで嫌なんだ、って。
じゃあ別れちゃえばいいじゃん、なんて間違っても言えないけど。
ミカの機嫌が悪くなる空気を察したのか、中根は話の矛先をそむけようとする。
「てかさ、うちのクラス、海似合わな過ぎな奴多すぎじゃね? 」
「あのオタクどもとかな」
遠藤がすかさず入っていく。
あー、と共感するのはミカだ。ミカはミカで思い当たる女子がいるのだろう。きっと楓に違いない。この間やり合ってから、楓の文句ばかり言っている。
「あの影山ってやつ、マジでムカつくわ。マジでクラスに要らねえわ」
この前の一件を思い出した中根は、怒りが冷めやらぬようだ。「マジで」を重ねがけしている。
「あんなクソみてえな奴、ほっとけよ。ダサさが移るぞ」
高木が平然と言いのける。中根や遠藤の、ああそうだよなあ、という声にかぶさって、まあ要らねえっちゃ要らねえなあ、と吐き捨てるように呟いたのは、他のみんなが反応していないことから考えると、隣にいた私だけにしか聞こえなかったようだ。
影山はダサくないよ、なんて死んでも言えない。
ミカに「別れろ」って言うよりも無理な事だ。
でも、死んだら、言えるのかな、なんて。
気が付くと、高木が私の目を見ていた。
圧迫感のあるギラついたその目は、お前もそう思うだろ、どうなんだよ、と私に強く問いかけている。
私はつい、いつもの癖で、当たり前じゃん、という表情を返す。
高木は安心したような、勝ち誇ったような表情になる。
そのあとも何曲か歌っていると、退室の時間が近づいてくる。
遠藤が「リンダリンダー」と絶叫している。私が生まれる前の曲だけど、何かのCMに使われていて、知っていた。とてもエネルギーがある曲で好きだ。まあ私から歌うことはないけど。これが最後の曲だということで、中根はもちろん、ミカもエリカも高木も、イェーイって言いながらぴょんぴょん跳ねながらみんなで歌っている。
何の感情もエネルギーもこもっていない、ただ盛り上がるから、ただ騒ぎたいだけの「リンダリンダ」を聴く私は、なんだかとてもイライラしている。
「ドブネズミ みたいに 美しくなりたい」って
本当に、本気で、本当に、そう思って歌っているの。
中根も遠藤もミカもエリカも高木も、そして私も、ほんっとに、だっさい。
カラオケ店を出ると、既に夕日が落ちかけていた。
ミカと中根、エリカと遠藤はそれぞれくっつきながら別々の方向に帰っていく。どこへ行くかなんて聞いてないけど、大体想像できる。
高木が、いこうぜ、と部活のバッグを乗せた自転車を駅の方角に向け、歩き始める。
私を呼んだ理由ってこれだよね。予想通りだ。
私は細心の注意を払って、決して間違わないことを胸に誓う。
高木はなんの取り留めもない話をさっきよりも落ち着いた低い声で続けながら、大股でゆっくりと私の歩調にあわせて、歩いている。Tシャツから見える二の腕は、筋肉のしなやかな線がいくつも通っている。スタイルもいいし顔もかっこいい。取り留めのない話でも、そのなかに垣間見える自信と強さと危険さとが合わさって、ほかの男子にはない魅力がある。
駅が見えてきた。なんとかやりすごせそうだ。そんな気の緩んだ瞬間だった。
「そのピアス、すげえかわいいじゃん」
高木の一言により、今日の電車での出来事が蘇る。記憶が蘇ったまま、ありがとう、と小さくお礼を言う。とたんに空気ががらりと変わる。間違った言い方をしたんだと私は気づく。もう、さっきの雰囲気には戻れそうもない。守備の空いた隙を、強豪サッカー部のエースが見逃すはずがない。太陽はもう見えなくなり、夜が支配する時間がすぐそばまで来ている。
「なあ、ヒナ。俺達、もう付き合わねえ? 」
力強く、とても勢いのある高木の一言が、私の時間を止める。イエスかノーか、じゃなくて、イエスしか言えないこれまでの過程と今の状況を私は黙ったまま考えていた。黙っていることがイエスになるタイムリミットのほんの少し前、私の止まった時間が動き出した。
「ねえシュウ、『罪と罰』って読んだことある? 」
高木は私から目を離さずに答える。
「いや、ない」
「まあ、私も読んだことないんだけどね。じゃあさ、シュウにとっての罪と罰って何?」
「俺にとっての?」
要領を得ない問いかけに、高木は私の言いたいことを探っているようだ。
「そう、シュウにとっての。どんな人に罪があって、罰を受けるべきだと思う? 」
高木は即答する。
「弱いやつ」
続けてこう言う。
「弱いやつは守れないだろ。好きな女も自分も。そんで守れなかったのを自分の力不足を棚に上げて、わーわー嘆くんだよ」
高木の自信は、勝ち続けてきた過去がもたらすものだと思った。どんな時も、どんな場面でも、たとえやり方に問題があっても。
「そうだね」
ほんとうにシュウのいう通りだよ。私は今までの暮らしを振り返る。私はこれまで勝ち馬を見極めては、それにただただ乗ってきた人生だ。そうしてきたから、いじめられずに済んだし、居心地はあまり良くないけど安全な立場にいることができているんだ。でもさ......私は胸のあたりがズキンと痛むのを感じながら話す。
「私はさ、今までの私が、ぜんぶ、罪」
バスでも教室でも電車でも、私のまるごと全部が罪なんだ。言わなければいけないことを言わなかったり、考えなければいけないことを考えなかった。その代わり、その場をどうやってうまく立ち回るかだけを意識してきた。だから......
「だからさ、罰を受けないといけないんだよ」
高木が何か言いだす前に、会話をストップさせる。
「またあした」
そう言うと私は振り返り、駅へと進む。
鼓動が早くなる。自然と進む足も早まる。
立ち尽くしている高木が遠くなっていく。
ドブネズミ みたいに 美しくなりたい
涙で前がもう滲んで見えない。私は思いのままに走り出していた。
破れかぶれで電車に飛び乗る。化粧はもうぐちゃぐちゃで、不細工な横顔が窓に映る。
太陽はすっかり沈んでいる。窓から見える住宅の明かりが目に染みる。
やがて金井山駅に電車は到着する。雨が降っていることに気づく。急いで出かけたから、傘も何も持ってきてない。私は仕方なく降りる。俯いて駅のホームを歩き、改札を出る。
私のすぐ前を歩き、一緒に改札を出た人が急に立ち止まる。ぶつかりそうになり、私も思わず足を止める。その人は振り向き、何も言わずに私にティッシュと除菌シートを渡してくる。
影山だった。
これじゃ、メイクは落とせないかな、と一人で笑っている。それじゃ、という彼の背中に私は鼻声で叫ぶ。
「かげやま、小説できたら、私に、見せてよね」
わかった、と振り返らずに彼はうなずく。
「あとさ、あんたが、痴漢から助けた女の子、本当にありがとうって、ありがとうって――」
その先が言葉にならない。影山の今までの苦しみは、全部私のせいだ。私のせいで殴られ、私のせいで顔が腫れ、私のせいで見下されてる。
すこし時間が空いて、「よかった」と返事が来る。怒りも非難もない、すべて受け止めた声だ。
「それでね、私、いなくなろうと思ってる」
それが一番いい。私なんか、もう要らない。必要ない。
「私の罪と罰だよ」
影山が振り返るその前に、私は全速力で逆方向へ走る。雨が冷たく私の体を濡らす。
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