第11話 6月4日【月島千春】

【月島千春】



 チャンスはすぐに到来する。お昼の時だった。影山君は、お昼はいつも飯田君と菊地原君とどこかへ出かけてしまうが、今日は一人、教室に残っている。そうなると、まずいことが起こる。中根君だ。中根君は影山君がお昼に教室にいないから、最近は影山君の席で高木君や遠藤君とご飯を囲んでいる。私だって伊達に推理小説を読んでいるのではない。これから起こる展開が、なんとなくわかる。

 もし影山くんが中根くんに「俺が飯食うからそこをどけよ」と言われたら、影山くんは「僕の席なんだ、なぜどかなきゃならないんだ」と、しっかりと反論して戦えないような気がする。「わかった」なんて言って席を明け渡すだろう。自分の席を自分で守れないなんて恥ずかしい思いを影山君にはしてほしくない。

 それよりは、「月島に呼ばれたからそっちでご飯を食べるから、僕の席は別に使ってもいい」という体裁にした方が、平和に、丸く収まるんじゃないだろうか。誰も怒らず、誰も悲しまず。

 そう考えているうちに中根君が影山君の近くに来る。影山君はお弁当を食べようとしている。


「なんでお前そこで飯食おうとしてんの?」

 想定通りだ。影山君は口をぱくぱくさせ、明らかに戸惑っているように見える。

 私は計画を実行する。


「影山くん」


 私は、中根君の事とこの事は何にも関係がありませんよ、というトーンで呼びかける。楓とかおりは突然のことに手が止まっている。私はお構いなしに彼に手招きをし、もう一方の手で空いている椅子をパンパンと叩く。なにが起こっているのか把握しきれていない彼は、私の異常な態度を察知したのか、お弁当をすぐにまとめて私の叩いた椅子に座った。

 そこからはもう、何を話したかは覚えていない。ただ、楓もかおりも影山くんも、唖然とした表情を浮かべていたのは知ってる。喋ることを喋りつくした時、



「ありがとう、月島。だけど僕は大丈夫だから」



 と言って影山君は席を立つ。私は「そんなつもりじゃないよ」と彼の背中に言葉をかけるが、彼は黙ったまま教室をあとにしていく。


「どうしたん」

 彼が去ったのを見てかおりが口を開く。

「ちょっと放課後、だいじょうぶ?影山君と少し話がしたいんだ」

 他の人には聞こえないように、私は小声で二人に尋ねる。


 私が楓(かえで)とかおりにそう言うと、二人はちょっとだけ驚いていた。でもすぐに

「ああ、やっぱそういうことか。助けたいんだね、影山を」

「千春らしいなあ」

 と状況を飲み込んでくれた。

 

 放課後がやってくる。「それなら私たちも残る」と言われたので私たち三人は作星高校の構内にある学食施設「メイカスタ」に行き、時間を潰した。「メイカスタ」は授業終わりの作星生でごった返していた。私たちは各々が購入した飲み物を片手に、窓際のカウンター席でお喋りを始める。


「楓もかおりも待ってなくていいのに」

 と私が言うと、

「まあいいじゃん、付き合いってことで」

 かおりがパックのレモンティーを飲みながら、ふふん、と鼻で笑う。

「それにしても千春ってなんでそんなに良い子なのよ。千春って絶対いい嫁になるじゃん」

 楓が身振り手振りでオーバーリアクションを取る。そのたび、手に持っているペットボトルのウーロン茶の泡立ちがよくなっていく。

「ああ、もしかして千春」

 かおりがにやっとして私を見る。

「違う違う、そんなんじゃないよ」

「まあ、影山君だもんね」

 楓とかおりが失笑する。影山君と私の間には、因縁浅からぬ過去があることを二人は知らないのだ。言ってないから知らないのは自然な事だけど。でも、影山くんとの過去を今ここで暴露すると話がこじれそうなのでやめておこう。

「じゃあさ、千春は誰が気になってんの?」

 かおりのこういう不躾(ぶしつけ)な所を私は気に入っている。

「うーん、かおりかな」

 私がそう言うと楓が

「何でかおりなの、私という人がありながら!」

 とドラマ仕立てでおどける。ウーロン茶がほとんど泡になっていく。

 楓は佐伯さんと篠原さんと一緒にいた時よりもずっと生き生きとしているように見える。


 「メイカスタ」の中央にある大きなアナログ時計に目をやると、午後の四時近くを指していた。授業が終わって30分以上経過していた。私が、じゃあ行ってくるね、と言うと二人は

「教室のそばまで一緒に行くよ」

と言ってくれたので、素直に受け入れた。


「じゃあ楓とかおりは教室の入口あたりで待ってて」

 と言い残し、私は教室へと入っていった。

 そこには案の定、影山君が一人でいた。影山君は放課後になると机に向かって勉強している事がある。私も私で、読んでいる本の続きが気になって中々席を立てないまま、気がつくと教室には影山君と二人きり、という状況になったことがしばしばあった。



「影山君」



 さも、何事もなかったかのように影山君に私は話しかけた、つもりだ。

 数学の問題集「青チャート」を解いていた影山君は顔を上げ、「ああ、月島か」と答える。


「影山君に教えてもらった『CUBE(キューブ)』、こないだ観たよ。『SAW(ソウ)』よりも私はこっちの方が好きだな」

「ソリッドシチュエーションって言うのかな、お金をかけなくてもアイディア次第で面白くなっちゃうような映画。私は好きだな」

「『キサラギ』は香川照之が良かったよね。ていうか香川照之が出てる映画ってアタリが多いよね。例えば『鍵泥棒のメソッド』とか『クリーピー』とかさ」

 私は手当たり次第にべらべらと喋った。影山君は控えめに相槌を打つだけであった。


しばらくすると、

「なあ、月島」

 と、影山君は私の独り言にも近いお喋りを制してこう言う。


「気持ちはありがたいんだ。けどさ、月島がわざわざこっち側に来る必要ないよ。鈴木や前田が心配そうに見てる」


 私が振り向くと、確かに楓とかおりが不安げな表情を浮かべて私たちを見ている。

「今朝のことで、僕と話してる所を見ると、目をつけらるんじゃないのか」

「そんなことは関係ないよ。私、みんながみんなと仲良くして欲しいだけ」

 言った、言ってしまった。実際に言ってみて私は思った、ズルい言い方だな、と。影山君の反応が気になった。

 しかし影山君は、「月島は優しいな」と楓のように褒めてくれるわけでもなく、少し考えて、短く、端的に、私の目を見てこう言った。


 「なあ月島、穢(けが)れるのが怖いんだろう」


 この言葉は、私の心臓ではなく、心に刺さる、

 ひと突きで私の心に到達した槍は、勢いそのまま全身を貫く。

 貫かれた事を私が自覚したのは、血液の代わりに涙が溢れ出てきたあとである。


 なんで、しってるの? 

 

 私が平和を願う理由は、私自身をこれ以上穢(けが)れたものにしたくないからだ。私はあの日以来潔白でありたいのだ。誰からも後ろ指をさされることなく生きてきた、と自負したいのだ。一人ぼっちになっている影山君に声をかける事で、私の心はなんとかまだ潔白を維持することが出来るのだ。私だけは、穢れていない、と――こんな私の独りよがりな思想を影山君は見抜いていたのだ。


 私の尋常ではない様子を見て、楓とかおりは慌てて私の元へ駆け寄ってくる。私の傷口を塞ぐ応急処置のため、私に慰めの言葉を、影山君には罵声を浴びせているが、どうにもこの胸の風穴は開きっぱなしで、元に戻ることはない。ならば……

 私の秘密の扉を開いた張本人に対し、

「小説、書いたら見せてよね。絶対だからね」

 破れかぶれになりながらこう言い残し、楓とかおりに抱きかかえられるようにして教室を後にする。


 教室の出口から伸びる廊下に、夏目さんが立っている。こんなところを彼女に見られるとは。

 私は笑いたければ笑え、と言わんばかりに彼女に向かって


「なんかおかしい?」


と挑発する。楓とかおりに抱きかかえられながら、涙でぐしゃぐしゃの顔をした私。彼女から見れば、明らかに異常な光景として目に映ったはずだが、彼女が発した言葉は


「べつに、おかしくないよ」


だった。彼女は、私の事に興味がないとか、私をあざ笑うとか、そんなものではなく、影山君と同じく私に対して真摯しんしな眼差しをしていた。

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