第8話 6月4日【月島千春】

【月島千春】



 休み時間が終わりそうだ。本をしまわないと、と思った時だった。


 あれ、さっきまでここに置いてたのに、ない


 私はつい先程まで使用していた栞を失くしてしまった。長編の推理小説を読破した開放感の勢いで、きっと教室の床に落としてしまったのだ。気がついた時には行方が分からず、もうすぐ授業のチャイムが鳴ってしまう、と私が半分パニックになっていると、影山君が私の栞をつまみながらやってくる。


 「これ、月島のだよね?栞、落ちてたよ」

私は驚きを隠せない。

 「影山君、ど、どうしてそれを?」

 


 「尻尾の所がツマミになってるのか、よく出来てるね。」

影山君は、私の話を意に介さず、じっくりと栞を見ている。

 「ありがとう、でもそんなことより影山君、なんで私の栞だって分かったの?」

 褒められたのは嬉しいけれど、それよりも謎が深まった私は、影山君に質問する。気づくと私の体は前のめりになっている。


 「だって月島、四月の自己紹介で猫が好きって言ってたから。僕も猫が好きだから覚えてた」

 「それだけ? たったそれだけ?」


 2ヶ月以上前のことを覚えててすごいな、影山君は。

 失礼な話だけど、影山君は自己紹介で何をしゃべったか、私は全然覚えてないよ。あの時は話の内容より、君の名前の方が気になってたから。

 影山君は苦笑いをしてこう答える。

 「それだけじゃなくてさ、読書した本が月島の机に置いてあるのをよく見るんだ。かけてあるブックカバーも栞と同じく手作りだよね、布生地にワッペンで。」

 私はうんうんと頷く。影山君は続けて話す。

 「落ちてるのを拾った時にさ、手作りの栞で猫で読書、と言ったら月島だなあって思った」

 「すごいね、影山君! 名探偵だね、ポアロだね!ありがとう」

私は、私にできるだけのありったけの感謝をする。

 「ポアロの方がホームズより好きだな、僕は。変人な所が」

影山君、ポアロもホームズも知ってるんだ。

私は推理小説やサスペンスが好きだけど、影山君はどんな本を読むんだろう。

 「影山君も小説、読むんだね。どんなジャンルが好き?推理小説?」


 影山君の苦笑いの苦味が更に増していったのを私は感じた。

 一呼吸を置いて、影山君は意を決したかのような表情で私に

 「書いてるんだ、小説」

 と小さな声で話した。


 私の質問の答えにはなっていなかったが、それが逆に影山君がジャンルを問わず、小説を読み漁っているという事を私は容易に想像できた。今度読ませてよ、ともし私が言ったら、影山君の顔がますます険しくなるに違いないと思ったので、それは言わないでおいた。

 校庭から雲雀ひばりの声が聞こえた。



 今の影山君は、まるでドーナツの穴のような、ぽっかりとした佇(たたず)まいのようだと私は思った。うん、我ながら変な例えだ。私にはきっと、小説は無理だろうな。



 影山君が電車でナンパしたっていいじゃん。取り立てて騒ぐことでもない。きっと佐伯さんか篠原さんか夏目さんが高木君たちに言いふらしたのだ。でも、佐伯さんと篠原さんはともかく、夏目さんは我関せずな所があるから、二人のうちのどっちかだ。


でもこの影山君は、あの影山君と同じ人だ、と私は確信する。

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