第7話 6月4日【夏目陽奈】

【夏目陽奈】



 昨日の夜は上手く寝付けなかった。受動的でいる事によって難を逃れてきた私は、その場所に若干の居心地の悪さを感じてはいたものの、「容姿以外取り柄がない事」を暴かれないで済む、という恩恵を充分に受けていた。


 あの時ヒカルちゃんに話しかけなければ、こんなに思い悩まなかった筈なのに。


 ミカとエリカとの関係と、ヒカルちゃんとの約束は私の中で相反している。ヒカルちゃんとの約束を果たすという事は、影山を肯定する事だ。影山を肯定するという事は、影山を否定したミカとエリカを否定する事になる。ミカとエリカを否定したら、彼女たちは私をどう思ってどんな行動をするだろうか。裏切られたと感じるだろうか、それとも「なんだそうだったんだ」と受け入れるだろうか、または受け入れたフリをするのだろうか。私が彼女たちに伝える場合、言い方や表情をひとつでも間違えれば致命的な亀裂が入る。これは私が2ヶ月ほど前に目の前で起こった経験から言えることだ。


 鈴木かえでの時がまさにそうだった。

 2ヶ月ほど前――つまり4月の中旬ごろ、私はまだ現在のように彼女たちと一緒にいることがそこまでなかった。だが、おそらく私はミカとエリカのグループに入るんだろうな、という予感はあった。誠に勝手な解釈だが、彼女たちは私の容姿と「ミス作星」の肩書に用があったのだろう、フレンドリーな笑顔で私に話しかけて来る事が多かった。クラスを見渡してみると、スカートの裾を短くしたり髪を遊ばせている子はちらほら見受けられた。大半の子は周りに合わせるぐらいのレベルだったが、ミカとエリカは派手にやっていた。派手にやっていれば普通の高校は先生に目をつけられるが、こと作星に関していえば「グローバル」をウリにしている所があり留学生も多く、髪の色については生徒の主体性に任せられているようだった。――とは言え、ミカとエリカはそのギリギリを攻めていた。先生に注意されないある一定の基準を彼女たちは他のクラスの子に示していた。派手な子は派手な子とグループになる、というのも私は経験から得ていた感覚だった。

 そんな二人が私と話していると三人の輪ができるが、その少し外から相槌を打ったり、ミカやエリカにつられて笑っている子が楓だった。

 楓はミカとエリカと無理して付き合っているように見えた。楓がミカの雰囲気を真似して会話に入ろうとするのだが、どこか二人とはポイントがズレていて、ミカがイラついていたのを覚えている。そんなある日、ミカがお得意の小馬鹿にした言い方で

「月島さんていつも本読んでんね」

とエリカに感覚の共有を持ちかけていたが、後ろから楓が

「読書家だよね」

 と、ミカの趣旨にそぐわぬ形で会話に入ってきた。

「そうだねー。で?」

 と、イライラの頂点に達したミカが楓に言い放った。楓はそのとき曖昧に笑っていた、ように私は見えた。


 しばらくしても後をついてくる楓に対し、ミカが

「何であの子、ダサいくせにウチらのグループに入ってんの」

 と楓に聞こえるように言い放った事が決定打となり楓はそれ以降私たちの元から離れていった。

 その後、用事がある時だけ二人は楓と話す事があるがその時の呼び方は以前のような「楓ちゃん」と名前で呼ぶのではなく苗字で「鈴木さん」だ。私も合わせて「鈴木さん」と呼んでいる。


 楓の件を鑑みて、これまで通りの生活を望むならば――ヒカルちゃんには悪いが――影山にこの事を伝えなければ済む。仮に伝えなかったことがバレて影山やヒカルちゃんに何と思われようが、私の生活に支障はきたさない。でも、それならなぜ私はヒカルちゃんにあんなに自然に話しかけられたのだろう。あのときはまるで私が私ではないような感覚になっていた。これまでメッキでガチガチに固めた防御線を張ってきた一方で、赤の他人であった彼女に話しかけられるような積極性を持っていた自分がいたことに私は驚く。

 ――考えが堂々巡りだ。利害を見極め有利な方の誰かの盾に身を隠す事をいつもなら、一瞬で、選択してきた。今回も、一瞬で選択できる筈なのに。


 そんな事を考えていたら朝起きられなくなり、電車を一本逃した。おかげで遅刻ギリギリになってしまった。不幸中の幸いか、チャイムのどさくさに紛れて影山の顔を見ておこうと思い私は教壇側から教室に入る。教室に足を踏み入れた瞬間、クラスの雰囲気が何となく分かってしまった。高木たちに挨拶を済ませ、影山に目をやると、あの電車の時の光景がフラッシュバックする。だけど、現実は流れが余りにも早く、考えを変える隙も与えてくれない。席に着くや否やミカとエリカがやってきて、私が登校する前の顛末を説明した。ああ、やっぱりか、と思った。影山の行動は誤ってクラス内に伝わっていた。真実を知っているのは私だけなのに、真実を伝えることが正しいのか、間違いなのか、分からなくなってきた。

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