真理

     ○


 最後の文を書き終えた、まさにその瞬間に電話がかかってきた。


「もしもし」


「南雲先生、どうですか原稿は?」


「たった今、ちょうど書き上がりました」


「いや~良かった~!」


 恩田氏が安堵の声をあげる。


「いや、恩田氏にはとんだご迷惑を……」


「ほ、ほんとですよ! 有野編集長には殺されるんじゃないかと思いましたよ!」


「わ、悪かったですよ。今度焼肉でも奢るから赦して呉れ給え」


「まったく~。でも、何はともあれ一安心です。これで、いよいよ単行本が出せますね!」


 書きためていた短篇が溜まり、いよいよ短篇集が編めるほどの量になった。ここ数週間まったく気が休まらなかったが、これで一段落といったところだ。

 だが、私の胸に去来するのは、地獄の締め切りの思い出などではなかった。湖畔に佇む少女。神秘的な少女。明るく振る舞いつつも、どこか屈託を抱えていた少女。私の作品に手厳しい評価を下した少女。ふんわりと微笑む少女。濡れ鼠の少女。疵だらけの少女。疲れ果ててぐっすりと眠る少女。満月の夜に嗤う少女。哭いている少女――。

 あの満月の夜の邂逅から一週間が過ぎた。あれから燈乃が私の前に姿を現すことはなかった。私は、あの夜の意味をいつまでも頭の中でぐるぐる問い続けながら、それでも小説を書くことしかできなかった。燈乃に会いたいのかどうか、もうわからなくなっていた。それとももう燈乃に会うことはできないのか。あの魔女が言っていた意味がわからない。わかったのは、私がどうしようもなく無能であるということだけだった。


「――にしても、不可解ですよねぇ」


「えっ、すみません、聞いてなかった。何の話です?」


 思考が散り散りになった。恩田氏は別の話題に移っていたようだ。私は耳を傾ける。


「いや、だから、あれですよ。先日南雲さんが住んでる市内で起きた、殺人事件」


「は? 殺人事件?」


「あれ、もしかして南雲さん、ご存じない?」


「はあ、ここ数日はどうも……。それに、新聞もとっていませんから」


 市内で殺人事件があったとは、まったく知らなかった。


「いえね、事件があったのはごく普通の家庭内なんですけど、これがまた妙でして」


「妙?」


「夫婦と女の子の三人家族なんですけど、そのうち母親と女の子は、父親でない別の男とともに家の中で遺体の状態で発見されたそうなんです。父親は失踪中で、警察は参考人として行方を追っているとか何とか」


 殺人事件。母親と女の子。男の遺体。父親の失踪。


 女の子。


「恩田さん、もう少し詳しく」


「え? ああ、いいですよ。ちょっと待ってね、週刊誌週刊誌っと……。ああ、ありました。その失踪中の父親っていうのが望月満也っていう男で、中小企業の社長というわりにはかなりのやり手だったみたいですね。ただ莫大な借金があったとか何とか。失踪もそれが原因じゃないかと云われてますね。

 それよりも不可解なのは殺人事件の内容なんですよ。何でも、女の子の死亡推定時刻は発見時からすぐ前の時間で、男と母親の死亡推定時刻の方が、それより数日ほど早く出ているそうなんですよね。不思議だなぁ」


「恩田さん。望月氏の、望月氏の殺された家族の名前はわかりますか」


 私の声は、震えていたように思う。


「ああ、それも確か週刊誌に載って……、いますね。母親の名前が望月潮乃しおの。それから女の子は、望月燈乃。へえ、少し変わった名前ですね」


     ○


――Tips――


地方新聞の三面記事より


 昨日、市内のマンションの一室から三人の遺体が発見された。発見されたのはマンションの住人の望月潮乃さん(三十九歳)とその娘の燈乃さん(十三歳)、身元不明の推定四十代の男。潮乃さんの死因は撲殺、燈乃さんの詳しい死因は不明で、両者とも身体を刃物で切り刻まれていた。また、男の頭部は酷く損壊しており、死因・身元ともに未だ不明である。なお、燈乃さんは死後一日、潮乃さんと男は少なくとも死後数日が経過しているとみられている。警察は男の身元の特定を急ぐとともに、望月家との関連性を調べる方針。潮乃さんの夫の望月満也さん(四十一歳)は依然失踪中であり、警察は事件の重要参考人として身元を捜索している。


     ○


 図書館で一週間分の新聞すべてに目を通し、私はすべての事態を諒解した。しかし、すべてを知るには、あまりに遅きに失した。私にとって大事なことは、たったひとつだけ。


 燈乃が死んだ。何者かに殺された。


 そして、燈乃の遺体が発見されたのは、あの満月の夜から二日後のことだったのだ。

 何と云うことだ。どうして、どうして、どうして!

 私は、燈乃が世界に絶望していることに気づいていたはず。どうして、燈乃を救えなかった? どうして!


「――――ぁぁぁぁぁぁ!」


 その場に蹲る。嗚咽おえつが止まらなかった。私はうずくまり、すべてが手遅れになってしまったことを悔いる。二度とこの世に還らない少女を想い、声にならない叫びをあげる。動悸が苦しい。血液が過剰に循環し、心臓が悲鳴をあげる。

 私は、ただひたすらに慟哭する。


 燈乃は、こうなることがわかっていて絶望していたというのか?

 母親と謎の男の遺体が、それよりも早く殺されていたという事実をどう考えるべきなのか?

 そして、私には、この惨劇を止めることができたのではないか?

 私には、もう何もわからない。いや、ただ知りたくないだけなのかもしれない。

 それに、燈乃がいなくなってしまった今となっては、すべてどうでもいいことだ。


 望月燈乃は、もう二度と戻ってこない。


 永遠に。


 司書が駆け寄ってくるのを尻目に、私は図書館を後にした。


     ○


――Tips――


(録音データ)


「望月満也氏と『アニキ』の関係について、説明願いたい」


「……望月の旦那とアニキは、高校時代からのライバルだったって話だそうで。それで旦那は会社を興して大もうけ、アニキはアイスクリーム屋になって大もうけってな塩梅で――」


「アイスクリーム?」


「あ、高利貸し。サラ金のことよ」


「……ふん。それで、高校時代からのライバルがどうしてこのような事態に?」


「ああっと、いわゆる恋のライバル、ってなヤツっす。当時、二人で潮乃さんを取り合ってたらしいんだよな。まあ、潮乃さんすんごいべっぴんだからなぁ。んだから、こんな商売でもぜってームチャはしねえアニキも、望月の旦那相手に金を貸せるっちゅう運びになった時には目ェぎらつかせちって。潮乃さんときの復讐だ、つって、旦那の会社を破滅寸前のところまで追い詰めたってなわけよ。今じゃお互いいい歳で、相手にゃ子どももいるってのに、潮乃さんに未練たらたらだったんすよねぇ。だから旦那を瀬戸際まで追い詰めて、救済と交換条件で今度こそ潮乃さんをせしめる、っちゅう計画で」


「……だが、満也氏は――」


「望月の旦那、あろうことか失踪しやがった。んだからアニキ、ブチ切れてあちらの家に乗り込んで、そのまま我が物顔でずっと居座って好き放題やってたってわけよ。潮乃さんたちには気の毒な話っすが……」


「気の毒……?」


「あっ」


「もういっぺん云ってみろ、このれ者がッ!」


「ヒイッ、すまねえっす! 堪忍してくれよ若旦那ァ、こっちだってアニキの後始末に困ってるんっすよォ。最近のアニキ、ラリって手ェつけらんなかったし――」


「ラリって? 貴様、まさか、アニキという男は――」


「あっ、いっけね……」


「……くそ、畜生が! ……しかし、麻薬使用者だからと云って、そんな滅茶苦茶な犯罪行為がまかり通っただと? マンションなら普通は近隣の住人に通報されるだろうが」


「ああ、そこんとこは抜かりねえって云ってたな。望月家はもともと近所と交流がほとんどなかったし、第一アニキが居座ってからは、二人を部屋から一歩も出さなかったらしいんすよね……」


「……下衆が! 一番割を食ったのは、巻き込まれた潮乃さんと燈乃だ……」


「ああ、望月の嬢ちゃんもね、可哀相になぁ……。……実はアニキ、潮乃さんだけじゃなくて、その嬢ちゃんにも――」


(レコーダーのスイッチが切れる音)


     ○


 家に辿り着く。早く酒を飲んで、そのまま眠ってしまいたい。睡眠薬でも構うまい。もっと云えば、そのまま死んでしまいたかった。

 そのまま家の門を通り抜けようとするが、ふと中身が溢れそうになっている郵便受けに目が留まる。普段はこんなに大量の郵便物が一挙に届くことはない。不審に思い、郵便受けの蓋を開ける。大量の書類が詰まった巨大な封筒のようだった。手に持つとずしりと重い。

 家の中に入る。書斎のペーパーナイフを使って封筒を開封し、その中を検める。入っていたのは十数冊に渡る大量のノートブックだった。シンプルながらも可愛らしい装丁で、私などは逆立ちしても決して使わないであろうものだ。何気なく表紙に目を落とした私は、表紙に記された文字に目が釘付けになった。


 表紙には「燈乃の日記」とあった。


 他のノートも確認する。すべての表紙に丸っこい筆跡でその題名が記され、丁寧にナンバリングまでされている。見覚えのない筆跡だが、云い知れぬ懐かしさを覚える。

 これは、間違いなく燈乃本人の日記なのだろう。

 私は呼吸を深く取り、暫く目を閉じた。そうして目を開け、ゆっくりと、燈乃の日記の最初のページを開く。


     ○


燈乃の日記 四二ページ


 突然のことに、ずっと理解が及ばなかったけれど。こうして少し落ち着いた今なら分かる。

 悪夢が、現実でも起こった。いや、お父さんが帰ってこない時から、ううん、そもそも最初の最初、いじめられていた時から、悪夢が徐々に現実を浸食していることに気づくべきだった。そして、ついに招かれざる客が来てしまった。

 怖い男の人が家に突然押しかけてきた。お父さんにお金を貸してる人だって。ぜんぜん返してもらえないからうちにまで来たらしい。お父さんがいないと分かったなら帰ればいいものを、彼はずっとうちにいる。なんで? どうして? お願いだから帰ってよ。ねえお願い、怒鳴らないで。殴らないで。乱暴しないで……。


 お父さんは、帰ってこない。


     ○


燈乃の日記 四六ページ


 あの日からずっと、南雲さんが話してくれた考えがずっと頭を離れない。

 数多の並行世界のわたし。そのうちの誰かは、運命に打ち勝つことができるかもしれないのだ。

 根拠のない妄想だと思われるかもしれない。だけど、こう考えることで、これまでずっと見てきた悪夢にすべての説明がつく。

 少しずつ違った内容の夢。それらの中のわたしこそ、数多の並行世界のわたしたちなのだ。

 もちろん、わたしは違う世界のわたしに干渉することはできない。時間を繰り返すことは、人間には叶わない。


 人間でなければ、叶う。


     ○


燈乃の日記 五〇ページ


 わたしは、運命に打ち勝つことはできない。破滅への道を着々と歩んでいる。もう、そのように決まってしまった。

 この手を罪業で汚してしまったこのわたしが、運命に打ち勝てるとは到底思えない。数日後に、名も知らぬ誰かに殺されて終わり。

 南雲さんも、何も知らずに終わる。


 この世界のわたしは、もうおしまい。


     ○


燈乃の日記 五一ページ


 一日一ページと決めていた日記のルールを、初めて破る。

 いいえ、もうわたしには時間という概念すら意味を成さない。

 わたしは、この運命に打ち勝つために、わたしであることをやめなければならない。

 人間をやめる。重大であるはずのことが、こんなに簡単に決められるのね。


 わたしは、この世界の望月燈乃は、絶望の深淵に落ち込んで、死ぬ。

 次のわたしに希望を託して。


 そして、私に希望を託して。


     ○


燈乃の日記 五二ページ


 この世界の燈乃は、死んだ。自ら破滅に向かって歩を進める自分自身に絶望し、別なる自分に、そして私に希望を託して、死んだ。

私は共時的時間を渡り歩き、ほんの僅かだけ許された通時的時間を遡る。再び、望月燈乃の夢を繰り返すために。

 違う世界の望月燈乃は、この世界の燈乃とは違う道筋を辿る。私はそこに希望を見出す。その世界に干渉し、繰り返される悪夢を食い止め、運命に打ち勝つ。どの世界の燈乃の運命も私がひとつに束ね、彼女が望む希望を生み出して見せよう。

そのために、私は日記を開く。ペンを持ち、燈乃が見た悪夢、あり得べき世界の燈乃の来し方と行く末を記していく。

 違う世界の燈乃の記憶は、かつて燈乃が見た夢。そして、私がこれから実際に経験する現実。私が、あり得べき悪夢を経験し、それを書き換え、希望を生み出し、運命を打ち破る。


 これは、南雲が見出した世界の把握の仕方。南雲がくれた、一筋の希望。


 それを、私は決して無駄にしない。燈乃が南雲のことを慕い、彼の優しさに希望を見出したように、私にとっても南雲は希望の光そのものなのだ。私は夜、彼は昼の世界の住人で、もはや交わることはない。それでも、南雲の想いは私の決意の中に確かに根付いている。


 私は、満月の魔女。これより百年を生きる魔女。夜空に浮かぶ満月のように、闇の中でも美しく輝かなければならない。

 失敗や苦痛、挫折、悲哀といった負の感情は、すべてこの身をもって知っている。しょせん、私には悲劇がお似合いだ。運命に翻弄され、決して満ち足りることはない。すべてが魔女の思うがままになるのであれば、この世は今より地獄に違いない。

 くすくす、本当に笑える。失敗も挫折も苦痛も悲哀もすべて経験してなお、私は満月の魔女でありたいと希うのだ。


 そして、そうありたいと望む限り、私は満月の魔女であり続ける。


     ○


 読み進める内に目眩を覚え、両手に顔を埋める。

 燈乃は、私の共時的時間の話を覚えていた。そして、自分が置かれた状況を理解するために、満月の魔女を生み出し、希望を託したのだ。

 あの夜の魔女が、燈乃でないはずがなかった。望月燈乃は満月の魔女であり、満月の魔女こそが望月燈乃だったのだ。あの夜の魔女の想いは、とりもなおさず燈乃自身の想いだった。

 燈乃は、私自身と、私のもたらした並行世界の自分自身に希望を見出した。そうして自分を殺し、満月の魔女を生み出したのだ。

 私の元に送られてきた膨大な日記帳の大半は、燈乃の日記そのものとして書かれたのではない。それは満月の魔女が記した、望月燈乃のあり得べき世界の断片。恐らく、一人称が「わたし」から「私」になり、満月の魔女として日記が書かれ始めたページより後のほとんどの出来事が、燈乃が夢見た数多の世界の燈乃の記憶であり、なおかつ満月の魔女が幾度も繰り返した現実なのだろう。時たま魔女の独白やポエムが混ざる他は、数多の世界の燈乃が運命を打ち破るべく、幾百もの闘いを繰り広げている。


 ――そして、どの世界の燈乃も、結局は運命に負け、悲惨な末路を辿り、希望を喪って死ぬ。そうでない世界は、私が読んだ限りではひとつもなかった。ただのひとつも。


     ○


燈乃の日記 二七一ページ


 一回の繰り返しで、約一年。

 それを百回繰り返した。これで百年。

 どの燈乃も、だめだった。皆、絶望を抱いて死んでいった。自分がなぜ死んでいくのか、その理由もわからずに。

 だんだん私の感情も麻痺してきて、ループの中頃を過ぎると苦痛を通り越して可笑しさすら感じてくる。最後の方になると、憐れみ以外の感情はほとんど湧かなくなってくる。最終的には感情すら乏しくなり、そうして私はいよいよ人間から隔たっていく。

 魔女は死にたくとも死ねない。私は、すべての燈乃の苦痛と罪業と絶望を抱え、思念の海を漂う他にない。


     ○


燈乃の日記 二七三ページ


 今日、私はこの世界で久しぶりに南雲と会う。そして今夜、満月の魔女として、彼と相対することになるだろう。

 この世界の燈乃は、約百年前に死んでいる。もう、この世界の南雲が燈乃と会うことはない。それを思うと南雲が少し可哀相な気もしてくる。

 だが、燈乃が生きていて何になるというのか。助けを求めるとでも? 南雲には、何も変えられない。最後の最後で絶望するのが関の山だ。それに、もう遅い。

 たとえ生きていたとして、この世界の燈乃の罪業は簡単に拭い去れるものではない。


 南雲に助けを求めることは、もう叶わない。


     ○


燈乃の日記 二七四ページ


 私は、魔女を名乗っておきながら、何と弱い心を抱えていたのだろう。

 どうして、南雲に少しでも助けを求めようとしてしまったのだろう。もし、自制心が僅かでも欠けていたら、きっと南雲を傷つけることになってしまった。そうなったら、私は自分を決して赦せない。すべての燈乃の想いを無駄にしてしまうことになるのだから。

 無能は私だ。愚かで、哀れで、無力なのは、この私の方だ。

 南雲にはたくさん酷いことを云ってしまった。違う。本当はずっと感謝していた。嬉しかったの。すべての世界で、どんなに酷い目に遭っても、南雲だけは変わらず無愛想で、ずっと優しかった。どの世界でも、最後まで私のことを案じてくれたのは南雲だけだった。あなたの優しさに救われていた。あなたは決して無力じゃなかった。あなたは決して瓦なんかじゃない、才能を磨いて自ら輝く珠なの。何よりあの時燈乃は、私は、あなたの才能に、あなたの創造する世界にすっかり魅了されていた。あなたの語る理想に反発しながらも、どうしようもなく惹かれていた。あなたの追い求める真理を、私も一緒に見つけ出したいとすら願った。でも、それはもう叶わない。

 あなたが私にできたことが希望を与えてくれることだけだったように、私があなたにできることは、すべてを知らせて、ただ謝ることだけ。そのために、この日記をあなたに遺そう。

 あなたはきっと悲しむことでしょう。どうしてあの時ああしなかったのだろう、あの時ああしていればと、悔悟の念に囚われることでしょう。私のことを想い、世を捨てようとすら考えるでしょう。ええ、あなたのことだもの、まるで手に取るようにわかるわ、くすくす。


 私は、それを望まない。燈乃がそれを望むと思う? 思わないでしょ?


 願うのは、ただひとつ。それでも希望を見出して、前に進みなさい。それがあなたの理想だったはず。今では、あなたの理想がどれほど大切なものかわかる。真理を探究する必要すらないのかもしれない、生きることに希望を見出す、それこそが真理なのだから。


 望月燈乃は、確かに死んだのかもしれない。でも、今の私ならこう云うわ。


 望月燈乃は、満月の魔女になったの。


 これで、少しは希望を見出せると思うのだけれど。そうね、少なくとも私は満足しているわ。何故なら、満月の魔女はすべてに満ち足りているのだから。くすくす。

 ふふ、私も随分希望を見つけ出すのが上手になったみたい。何せ、あなたの傍で、百年も希望を探してきたのだから。さながら、百年を生きた魔女の知恵といったところかしら?


 さようなら、南雲恒陽。

 せいぜい理想を抱いて邁進しなさい。


 私は、ずっとあなたのことを想ってる。

 あなたはどうかしら? ずっと私のことを想ってくれる?


     ○


 燈乃は、私を傷つけないために、この日記を遺した。

 今ならわかる。あの晩満月の魔女は、燈乃は、私を傷つけまいとして、心ないことを云うことでこの町から遠ざけようとしていたのだ。

 助けを求めていたのは自分の方だというのに。

 まったく、本当に愚かなのはどちらだったんだろうな、燈乃。

 私は、魔女を見習うことにしたよ。


 ――希望を見出すことを、私は絶対に諦めない。


     ○



 ――カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。


 ――僕もうあんな大きなやみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。


     宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より


     ○


――Dream――


 燈乃が望む通り、これからも理想を抱いて真理を追い求めよう。そのためにやることはもうわかっている。物書きの私にしかできないことがある。

 文机から万年筆をとり、燈乃の日記の最後のページを開く。最後の書き込みから、まっさらなページが続いている。私は白い宇宙に万年筆を走らせ、新たな世界を生み出す。少女がその世界で微笑んでいる。


 ああ、燈乃。満月の魔女。君が身を投じてきたその闘いを、今度は私が引き継ごう。いくつもの世界で希望を見出し、君の運命を打ち破ってみせる。君を悲劇から解放してみせる。君を、きっと幸せにしてみせる。


 さあ、新しい世界で僕と遊ぼう、燈乃――。


 ――月明かりに照らされて、魔女が嗤っていた。


     ○


燈乃の日記 二七五ページ


 私を運命に閉じ込めたのは誰?

 私に悲劇をもたらしたのは誰?

 私を殺したのは、いったい誰?


 ――これを読んだあなた、どうか真相を暴いてください。それだけが私の望みです。


望月燈乃

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

満月の魔女は哭かない ――Hope of the lunatic witch―― 東雲祐月 @shinonomeyudzuki42

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る