第四話 ワイルドカード① ~世界の裏側~
自由落下。バックヤードのステージから落とされたクリスを待っていたのは、疑いようの無いそれだった。
クリスは見る。穴から落ちていく景色に覚えた既視感の答えはすぐに出た。
――世界の裏側。
先日通った山の中にその光景はよく似ていた。張り付いているのは地面、建物、その他諸々。敗者の行き着く先はここだった。
落ちていく、そこで気づく。
「いや、このままだと私死ぬじゃん」
全身骨折満身創痍、全治何ヶ月かは不明。だからとりあえず、泳いでみた。空中で平泳ぎをしてみたところ、全身に痛みが広がるだけで動きはしない。
近づいていく白い地面。あ、死んだな。そう思って目を閉じる。
ばさり、と。
激突した地面はやわらかかった。そして舞うのは地面を作っていた、ありとあらゆる紙の欠片。
「生きてる……わね」
思わずつぶやいた。ひらひらと舞う沢山の紙切れの一枚をつまんでみる。だがそれは細長く裁断されており、書いてある内容を読み解けない。
「あーあ、負けた負けた」
が、生きていた。
今はそれだけで良かったと無理やり自分を納得させる。何とか紙の地面から這い出て、思わずため息をひとつつく。
「あーあ、これからどうしようかな」
思わずつぶやいた。見渡す限りの白い地面。本で読んだ砂漠に良く似てはいるが、それを作っていたのは細長い大量の紙だった。
「物語の世界、ね」
アスカから告げられた衝撃の事実。それを、クリスティア・R・ダイヤモンドは。
「うーん……意味がよくわからないわね」
よく理解していなかった。
とりあえずクリスは歩いていた。
何も無い白い砂漠を歩いていくのは難しいようにも思えたが、案外上を見上げれば退屈しない事に気づいた。ここが校庭あたりで、ここが校舎で。張り付いた建物は意外と彼女を楽しませた。
だから足元を伝わった感触には少し驚いた。靴で踏みしめたパリンという音。恐る恐る足を上げれば、そこには砕けたガラスの何かが。
「えーっと……注射器、かしらね」
ポンプと針。小型の注射器だったのは言うまでもない。中身らしきものはガラスの破片にこびりついていた青い液体で間違いないだろう。
彼女はしゃがみ、破片のひとつを注意深く拾い上げる。試しに匂いを嗅いで見るものの、薬品らしい匂いはしない。
と、彼女の視界を黒い影を覆った。恐る恐る振り返ると、そこにいたのはやつれた女の姿だった。
「ちょ、何よ……食べても美味しくないわよ」
浮浪者。そう呼ぶに相応しい女が立っていた。髪はボサボサで頬はこけ、来ている服はズタボロで。
「……リ」
――服。気づいてしまった。それがこの学園の制服だと。
「クスリィイイイイイイイイッ!」
叫びながら女が飛び掛る。クリスがよけたものの、初めからその必要は無かった。女はただ注射器の破片を両手で集め、ブツブツとつぶやき始める。
「クスリ、クスリ……これで、これがあれば、主役、私が……」
何度も何度もかき集める。
ボロボロと残り少ない体液を大粒の涙に変えながら、かけがえの無いもののように壊れた注射器を集めている。
その凄惨な姿に、クリスは思わず吐き気を催した。幸い吐く物がなかったせいで戻しはしなかったが、それでも気分は最悪だった。
凄惨なその女。顔を見る、わかってしまった。見覚えがあったのだ、その姿に。確証は無い、けれど荒唐無稽な結論じゃない。
「あんた……もしかしてローズ? 悪役令嬢の」
ローズ・K・ガーデンホール。学園からクリスの目の前で追放された悪役令嬢の一人だった。
だが、その一言は迂闊だった。特に最後の言葉が。
「違う」
大きな二つの瞳にクリスの顔が映った。悪役令嬢、聞き捨てなら無い。そんな端役は相応しくない。
「違う違う違う違う! 私が、私が主役っ、だから! だから、クスリ」
面影の無くなったローズの両手が、クリスの細い首を掴む。
「クスリ、持ってるんでしょぉ! 出してよ、出してよおおおおおおおおっ!」
異常な力だった。皮と骨だけの細腕が出せる力ではなかった。けれど失うものなど無いローズにとって、それぐらいは簡単だった。
クリスは助けを呼ぼうとした。だが喉が親指で圧迫され呼吸さえもままならない。振りほどく力も残ってはいなかった。だんだん意識が遠のく。
今度こそ、死ぬ。そう思った瞬間。
「退いた退いた! 救急車様の……お通りだああああああああああああああああっ!」
「ウホオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
鳴り響くエンジン音、聞き覚えのある威勢のいい不良の声。それからゴリラのドラミングに雄叫び。
いや、ゴリラって。
「ゴリ美、いたぞ脱走者だ! 捕まえられるか!?」
「フン、ワタクシを誰だと思ってるのかしらショーコ? こう見えてもね」
バイクのサイドカーから飛び上がるゴリラ。
「ゴリラなのよおおおおおおおおおおおおおおっ!」
そのままローズに飛び掛る。両手でしっかりと首を絞め、彼女は叫ぶ。
「ひっさああっ! ゴリラチョークスリーーーパーーーーーーーーー!」
いや殺しちゃ駄目だろ、とショーコは心の中で突っ込む。あとどう見てもゴリラ。制服を着たゴリラ。
「あ、あんた達」
「よぅクリス、なんだ負けたか! いやーまぁお前金ないもんなそりゃ負けるか!」
「全く、ジャングルの精霊がついていながら負けるなんて」
ショーコ・ナナハンとゴリ美がいた。世界から姿を消したその姿にクリスは思わず。
「あれ、何お前泣いてんの?」
――舌を噛んで泣かなかった。
「ったく、どこが救急車よ」
バイクにサイドカーと、後ろにあるのはなぜかリヤカー。かろうじて白地に赤い十字架の旗を立てていたが、どうみてもヤンキーの全国制覇とかそういう類のものだった。
「しゃーねぇだろ、没になった速い乗り物ってこれしかないんだかよ」
「お喋りもいいけどショーコ、さっさとこの哀れなローズに薬をよろしく」
「おっとそうだったな」
ショーコは手馴れた手つきでリヤカーから注射器を取り出し、意識の失ったローズに注射を刺した。
ローズの血色が見る見るうちに良くなっていく。鬼気迫る表情が刻まれていたはずの顔には、穏やかな安堵の色だけが残った。
「ねぇ、ショーコ……あんたが救急車だって言うならとりあえず治療して欲しいんだけど」
「あー確かに、どんな負け方したんだよったく……でも悪いな、積んでる薬はこれだけだ」
空になった注射器を掲げて、ショーコが答える。
わかっている。クリスもそこまで馬鹿ではない。
「ねぇ、それって」
「ああ、見りゃわかるだろ」
見ればわかる、それは薬そのものをではなかった。ローズの様子だけが手がかりであり、答えであり。
「麻薬だよ」
この世界の裏側に蔓延する、たった一つの救いだった。
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