第二話 ボロボロマシン猛レース⑤ ~裏側を行く~

 クリスは走っていた。ボロボロのスクーターで、山の中を走っていた。


 スタート地点と違うのは、エンジンのかけ方を覚えた事と。


「で、私達はいまどこ走ってんのよ」


 荷台には一匹のメガネザルが乗っている事。


「物理的に言えば山の中だね」


 メガネザルの、自称ジャングルの精霊の言葉に偽りは無かった。だがそれは林道という意味ではなく、文字通りの山の中。


 トンネル、と呼べる物ではない。異様の二文字が良く似合う不思議な空間だった。


「他の言い方は?」

「詩的に言えば……世界の裏側かな」


 世界の裏側。


 透明な道をただクリスは走っていく。そして頭上に広がるのは山の裏側の景色だった。木々が、落ち葉が、張り付いたように頭上にあった。元来土で埋め尽くされるべき透明な空間を、ただひたすら進んで行く。


「意味がわからないわ」


 クリスは考える事を止めた。ただ自分が勝つとしたら、この怪しいメガネザルの口車に乗るしかない事も理解していた。


「まぁ詩的だからねぇ、君には到底理解出来るとは思えないよ」

「落とすわよ」

「わぁ詩的じゃない」


 軽くハンドルを捻れば、メガネザルが彼女に飛びつく。全く落ちるそぶりすらなく、口では彼女を煽りながら。


「……はぁ」


 自然とため息を漏らすクリス。この不可解な状況にそうせざるを得なかった。


「何? 辛いことでもあったの? それとも女の子の日かな」

「いや……訳がわからなくて」


 考えることを止めた筈なのに、この異様な景色のせいで再開せざるを得なかった。流石にそれを察してか、メガネザルがその軽薄な口を開く。


「そうか、まぁまだ時間あるし僕が答えてあげようか。答えられる範囲でだけど」


 クリスは少し思案する。


 何で、どうして。頭に浮かぶ数々の疑問をほんの少しだけ咀嚼してから。


「まずあんた、ジャングルの精霊ってのはあり得ないとして……何者? 何で私を助けたの?」


 第一の質問、メガネザルの正体。


「簡単さ、君の大ファンなんだ!」


 軽薄な口調に相応しい、薄っぺらい答えが返ってくる。


「そりゃどーも、サインいる?」

「いやいらない」


 即答するメガネザル。どうやら嘘らしい。


「次の疑問。なんでこんな場所が……世界の裏側なんてあるのよ」

「ま、レースにはショートカットがつきものだからね」

「あっそ」


 第二の質問、理解不能なのでパス。


「他に疑問は? 僕のスリーサイズとか気にならない?」

「ならないわよ……でも私の大ファンでジャングルの精霊さんで気になる事といえば」


 第三の質問。これは第一の質問によく似ていたが、より具体性がある質問だ。


 ずっと彼女は気づいていた。その軽薄な声に聞き覚えがあった事に。


「なんでハリーと同じ声な訳?」


 ハリー・P・ネーハマジメ。


「気づいちゃった?」


 あのやたらと軽薄な声でメガネザルはしれっと答える。


「覚えやすいのよ、あいつの声は」


 今度はメガネザルが思案する番だった。少し首を傾げてから、思いついたようにそれは答える。


「んー……生き別れの双子の兄!」


 また適当な嘘。呆れて今度はため息すら出てこなかった。


「はいはい、聞いた私が馬鹿だったわよ」


 徐々に差し込んできた光。この道の終わりを示す、眩しい表側の光。


「っと、この辺でおしまいだね。大丈夫、そこからちょっと進めばゴールだから」

 

 ぴょんと荷台から飛び降り、メガネザルがそこを指さす。クリスは思わずブレーキをかけ、自称精霊を見下ろした。


「……釈然としないわね」

「なんで?」

「なんだかズルしちゃった気分」

「気分じゃなくてその通りなんだけどね」

「一言多いわねあんた」


 肩を竦めるメガネザル。


「そうだね、じゃあ最後にもう一言だけ」


 ハリーと同じ声で、彼はその言葉をつづけた。一字一句、祈るように。


「多分今日の試合で……この世界は大きく変わる。けれど君には覚えていて欲しいんだ」

「何をよ」

「全部さ。それとも初めてかい? 覚えてなさいって人に言われるのは」

「はっ」


 クリスはアクセルを捻る。ボロボロのエンジンが唸りを上げ、ただ前へと進んで行く。


「二言じゃない」


 排気ガスと一緒に、捨て台詞を垂れ流して。






 曲がる、曲がる、曲がる。


 その鋼鉄の愛馬をもって、ショーコはこの峠を越えた。


 走って、走って、走って。


 もう彼女の頭から、クリスの事など消えていた。胸を動かすのはただ彼女への想いだけ。


 絶対に勝つ。彼女のために、彼女を救うために、彼女の想いを無駄にしないために、ただただ曲がって走って曲がって走って走って。




 ――ああでも、なんでだろう。




 こんな時に、いやこんな時だからこそ浮かんだ疑問。ショーコを動かしていた情熱に差す、たった一つの翳りを。


 とうとう彼女は言葉にする。


「姉御の名前……何でアイツと」

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