第二話 ボロボロマシン猛レース④ ~こんなものより大事な物が~


『えーそれでは! Aブロック第五試合……でいいのかな、うん。第五試合を開始します! 今回は何と……レースです! バイクレース、峠バトル!?』


 一億の効果は絶大だった。ショーコは愛車に跨り、クリスは今にも故障しそうな赤いスクーターに跨っている。


 アクセルを空ぶかしするショーコ。景気の良い音が峠に木霊する。




 一方クリスは、わからなかった。


 自分が乗っている機械が何なのかさえ理解できない。




 これは勝負と呼べる物ではなかった。試合の結果など明白すぎて、観客すらため息を漏らす勝負。


 コースは全長9キロの峠道。バックヤードの裏山にあつらえたそこには、白いガードレールと黒いアスファルトで舗装されている。中継用のカメラがいくつかに、放送用のスピーカーが数台。


 最早石造りの学園とは似ても似つかない場所がそこには出来上がっていた。


「なんだ貧乳、怖気ついて言葉も出ないか?」

「冗談。ただこの妙な機械の使い道がよくわからないだけの話よ」


 クリスは強がりを口にする。ただ車輪が二本ついていて、自転車に似たようなものだという事は辛うじて理解できる。右手てレバーをひねれば少し動いたので、慌てて両手のブレーキを握りしめる。


「まぁ、もうわかったけど」


 その言葉にショーコは言い返さない。エンジン音だけを響かせながら二人はスピーカーに耳を澄ませた。


『レディィィィ……』


 ハリーの一言に息を呑む二人。チェッカーもシグナルもなく、ただ白いスタートラインだけがそこにある。


『ゴ――――――――――――――――――――――ッ!』


 峠に響くハリーの陽気な声。遠くのバックヤードから聞こえる歓声が、二台の発進を後押しする。


 のろのろと進むクリスのスクーターに、前輪を上げ急加速するショーコのバイク。


「ちょ、何よあの加速……」


 思わず唖然とするクリス。どうやら勝負の結果はこの時点で決まりきったようなものだったが。


「ま、がんばりますか」


 ボロボロのアクセルをひねりながら、クリスはゆっくり進み始めた。






 ショーコと姉御の出会いは、珍しいものではなかった。


 夜、路地裏、雨。何処にでもあるような光景だ。捨てられた子犬のように濡れたショーコと、傘を差しだすもう一人。


 だからその後の展開も、本当によくある物だった。


 それこそ本物の子犬のように、ショーコはよく懐いた。バイクの後ろにまたがり、不味いラーメンを二人で啜り、水平線に昇る朝日を二人で眺めた。最早ショーコの人生に彼女の存在は無くてはならない物となった。


 それは依存に近かった。ショーコ・ナナハンにとってもはや、姉御という人格は無くてはならないものだった。


 だから彼女はバイクを走らせる。ただ一人、彼女の願いを叶えるために。






「なによこのポンコツ、動かなくなったわね」


 コースを少しだけ進んだところで、ショーコはスクーターを引いて歩いていた。動かなくなったのは単に不調にエンストしただけで、またキーを捻れば走り出せるのだが彼女はそんな事さえ知らない。


 いやもう、どうでもよくなっていたのだ。


「ま、一億には勝てないか」


 ぽつりと諦めの言葉を彼女は漏らした。諦めないと強がる心でここが限界だと悟る。


「いい天気ねぇ……」


 顔を上げ空を眺める。立ち並ぶ針葉樹に透き通るような青い空、白く大地を照らす太陽。いい天気だと彼女は思う。この学園最後の景色には、見納めだと思えるぐらいには。


 ああでも、一つだけ腑に落ちない。


 こんなふざけた試合のために一億円なんて大金をかける意味がどこにあるかと。




「勝てるよ、君は」




 声が聞こえた。男の声で、確かにクリスに呼び掛けた。


「誰?」


 クリスは辺りを見回したが、人の姿など見当たらない。当然だ、ここにあるのはアスファルトの道路と雑木林。


「そうだなぁ、さしずめ」


 木々が揺れ、葉が落ちる。ガサガサと音を立てて現れたのは、一匹のメガネザル。それは確かに人の言葉で。


「ジャングルの妖精ってとこかな」


 どこかで聞いたような名を名乗った。






 ショーコは峠を下りながら、昨日の夜を思い出す。あのいけ好かないメイドに呼び出された、あの後の出来事を。


「やぁお二人さん、夜分遅くにすまないね……まぁそこにかけてくれ」


 案内された部屋で待っていたのはアスカ・P・ヒューマンだった。一人掛けのソファーで足を組み、見定めするようにショーコと姉御を眺めていた。


「チッ」


 そんな態度に思わず舌打ちをするショーコだったが、アスカはわざとらしく両手を広げるぐらいしかしなかった。


「嫌われるような事をしたかな? それともウチのメイドが失礼でも?」

「いえお嬢様、わたくしの対応は完璧でした」

「あぁそうだな……テメェは完璧に喧嘩を売りに来たよな」


 一歩踏み出すショーコ、それを静止する姉御。


「おさえろショーコ」

「けど姉御……」

「試合前日の人間を呼び出したんだ、よっぽどの用事なんだろう?」

「話が早くて助かるよ。で、用事なんだが」


 アスカは指をパチンと弾く。するとメイドは静かに戸棚を開け、机の上に銀色のアタッシュケースを置いた。


「ここに一億ある」


 蓋を開ければ、そこにはびっしりと現金が詰められていた。


「それを使ってあの目障りなクリスティアを……倒してくれないかな?」


 要求は単純だった。これで倒せ。簡潔すぎる答えがある。


「おま、こんな金」

「ああ気にしなくていいよ、そいつはプレゼントさ。借金なんて下らない……いや、無意味な物じゃないさ」


 アスカは立ち上がらず、その大金を指差した。


「受け取ってくれるかい? そいつをね」


 生唾を飲み込むショーコ。これがあれば確実に勝てる、それぐらいは理解できる。


 けれど首を横に振った。ついさっき出した言葉を飲み込む訳にはいかない。


 他でもない、ショーコ自身が許さないから。


「行こう姉御……あいつに正々堂々戦うって啖呵切っちまったからな」

「あ、あぁ……そうだな」


 踵を返す二人。けれどすぐに立ちふさがるのは、やはりあのメイドだった。


「邪魔だ」

「いえまだお嬢様のお話が終わっていませんので」

「あぁ!? これ以上何があんだよ……」


 ショーコが悪態をつけば、またアスカが口を開く。


「私はね、君に確実に勝って欲しいんだ。だからその一億を何としても持って行って欲しい」

「ふざけた女だ……わかってんのか、あたしが勝ったら次に他戦うんだぞ?」

「わかってるよ、だからそいつを使って、あの女を倒してくれたら」


 アスカは笑う。たった一言、それだけで良かった。


「君達の身の安全を保障しようじゃないか。例え私に負けてもね」

「はぁ、なんだそりゃ」


 腑に落ちないショーコは首をひねる。だから何だで終わる話。


「身の安全? 大袈裟な奴だな……退学になるぐらいだろ?」


 だから何だで終わる話。けれど。


「行こうぜ姉御」


 姉御にとってその言葉は、足を止めるには十分すぎる理由になった。


「……姉御?」

「その話は本当か?」


 姉御は聞き返す。目を血走らせ、必死な声で縋るように。


「ああ本当さ、そうするぐらいの力はある」


 姉御の足が動く。前へ、前へと吸い寄せられるように。


「ま、プレゼントだといっても持ち逃げされるのは流石に困る。担保代わりに姉御くんの身柄でも預からせてもらおうかな」

「さっきから何の話してんだよあんたは……ったく帰ろうぜ姉御」


 姉御はアタッシュケースの蓋を閉じ、その取っ手を握りしめた。


「ダメだ」


 姉御は首を横に振る。


「ダメだショーコ……お前に必要なのはこっちだ」


 そしてアタッシュケースをショーコへと押し付ける。


「何言ってんだよ……早く帰ろうぜ姉御」

「頼むよショーコ」


 困惑するショーコ、懇願する姉御。姉御の目には涙を浮かべて、必死にショーコへ訴える。


「あるだろ? 世の中には」


 知っていた、理解していた。取り巻きは皆知っていた。




「こんなものより大事な物が」




 悪役令嬢バトルロイヤル。


 この戦いでの敗北が、どんな意味を持っているかを。

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