第二話 ボロボロマシン猛レース③ ~宴の途中に~


 夜、屋台のテントの下。ジュースで満たした各々のグラスを四人は高く掲げていた。


「それでは! お好み焼き完売を祝して……かんぱーーーーーーい!」


 姉御の声に従って、グラスの縁がカチンと合う。


「乾杯」


 少し疲れた顔のクリスがそう言って、コーラを一口だけ飲んだ。姉御は一気にオレンジジュースを飲み干し、クリスの方に手を回した。


「いやぁ二人とも助かったよ。正直クレープの夢を捨てたらあんなに売れるとは思ってなく」

「ウェエエエエエエエーーーーーーーーーーーーーーーイ!」


 話の腰を折ったのは、場酔いしたショーコだった。オレンジジュースをこぼしながら大声を張り上げる。


 いや場酔いも何もないだろうと思いながらも、クリスは残りのコーラを飲み干す。


「ま、食材が無駄にならなくて良かったわね」


 クリスが漏らしたその一言は本心だった。貧乏生活に突入して以来、人一倍そういう事に敏感だったせいだ。


 それでもそんな彼女を見て、不思議そうに口を開いた。


「なぁ、アンタ……クリスだっけか。いいのかい、アタイら手伝って」

「別にいいわよ、材料費抜いたら大した額じゃないでしょ? それぐらい見ればわか」

「くりす様うぇええええええええええええーーーーーーーーーい!」


 今度はメリルが話の腰を折る番だった。彼女もジュースをこぼしながら、らしくない奇声を上げていた。


「それお酒……じゃないわよね」

「空元気で騒ぎたくなる時は誰にでもあるのさ。特に不安な時はさ」


 一応確認するクリスに、得意げに答える姉御。


「メリルが不安ねぇ……ま、ちょっと心配性なとこあるわよね」

「アンタ……それ本気で言ってんのかい?」


 が、その表情はすぐに険しい物に変わった。彼女は知っていた、二人の温度差の原因を。


「どういう事よ」

「はぁ……あんたのメリルは苦労してそうね」


 だが姉御は答えない。自分が説明する事でもなければ、決めていた事でもあった。苦労するのは取り巻きだけで充分だと。


「おい貧乳! 貧乳令嬢はいるかーーーっ!?」


 と、目の前にいるクリスに気づかない苦労知らずが口の端からコーラをこぼしながらやってきた。


「うっさいわよ三下」

「いたなら返事しろよな……ウェエエエエエエエーーーーーーーーーーーーーーーイ!」

「うぇええええええええええええーーーーーーーーーい!」


 完全に出来上がった二人が奇声を上げれば、クリスは神妙なため息を漏らす。姉御も似たようなものを漏らしたが、どこかその表情は嬉しそうな物だった。


「呼びつけて騒ぐってどういう事よ」

「明日は、明日はなぁ……アタシとテメェの真剣勝負だ。わかあてんのか、えぇ!?」

「わかってるわよそれぐらい」

「おうおうそうだそうだ、だからなぁ! この金はなぁ!」


 金。白い封筒に入れらた軍資金をショーコはクリスにつきつける。


 あのふざけたガチャという制度のお金で、それはあるだけ有利になる代物だ。特に無一文相手のクリスにとっては脅威以外の何物でもなかったが。


 それをショーコは、そのままポケットへと仕舞った。




「明日は、使わん!」




 彼女は言い切った。それが彼女なりの義理立てだった。


「てんめぇみたいな甘ったれなんかなぁ、明日は金なんか使わなくたってかてらあっ! だからこの金は、金はな! テメェに買ったら存分に使わせてもらうんで……夜露死苦ぅっ!」


 照れ隠しの一言まで添えれば、その感情はクリスに伝わる。


「そ。まぁ勝つのは私だけど」

「よかったですねぇぇええクリスさまぁ! これは、これはあれですよぉ……僥倖ですよぉ!」


 勝手にしたらと顔に書いておいて、内心で嬉しさを覚えるクリス……と隠そうともしないメリル。戦略的に今日の出来事は有効だったと心から安堵していた。


「ったく、静かにできないのかしらねこいつらは」

「まぁまぁ、良いじゃないの……今日ぐらいは、さ」


 グラスを傾けながら姉御が言う。彼女は知っていた、この四人が膝を付け合せるのは、今日が最初で最後だと。


「そう? 別に試合終わってから騒げばいいじゃない。学校追い出されたって会うぐらいは出来るでしょ」


 クリスの能天気な言葉に姉御はグラスを静かに置いた。


「なぁ、クリス」

「何よ」

「お前は、本当に」




 ――知らないのか、何も。




 そう言いかけて飲み込んだ。


「いや、やめておこう……もっと楽しい話題にしようか」

「気になる事言うわね」

「気になる事はこっちにもあるさ。なぁクリスティア……何であんたは手伝ったんだ?」


 今度はクリスが言葉を飲み込む番だった。だから姉御はそのまま言葉を続ける。


「あんたはアレを食ったら、さっさと逃げてしまえば良かったんだ。金がない、にしても試合前の一日を費やす程じゃない。今日の労働が食事と釣り合わない事ぐらい分かってるだろうに」


 少しの間を経て、ようやくクリスが口を開く。心底うんざりしたような、諦めたような顔をして。


「……嫌なのよね、自分語りって」

「なんで?」

「なんだか負け惜しみみたいで」


 そう答えれば姉御は笑う。


「良いじゃないの、あたしに零すぐらいはさ」


 グラスにコーラを再び注いで、クリスはゆっくりと語り始めた。


「はっきり言って、ちょっと前の私は嫌な奴だったわ」


 その程度の自覚ぐらいクリスは持っていた。


「偉そうで金で何でも解決し、誇るのはせいぜい親の威光ぐらい……で、破産。落ちるとこまで落ちるのって、案外時間がかからないのね」


 過去の自分を悪人だとは思えない。主義や主張もなく、ただ威張るために威張った。だからこその嫌な奴。それが一瞬で落ちた。


「いい気味だったでしょうね周りの人は。鼻持ちならない金持ちが食うにも困って、右往左往する姿は。自業自得を見るっていうのは、最上の娯楽でしょうね」


 彼女を待っていたのは嘲笑だった。威張り散らしていた彼女が今日の食事にも困る様は体のいい見世物だった。クリスがしてきたように、その無様さを嗤い続けた。


 だがそうしなかった人間もいた。


「けどまぁ世の中……そんな人ばかりじゃなかったわ」


 クリスは思い出す、彼女に差し伸べられた数々の手を。


「優しい人って結構いたのよ。メリルだったり、同級生だったり、教師だったり……同情とか憐憫の類だとしても、私はそれに助けられた」


 世の中は彼女が嗤ったより、ずっと優しい物だった。


「だから極力、返せる借りを返してるだけ。自分がそうしようと思えた時はね」


 そう言い切ってから、彼女はコーラを飲み干した。信念と呼べるほどでもない、主義や主張とも言えない。


 単なる理由があるだけだった。


「なるほど、流石ツンデレ令嬢」

「違うわよ、あんたも知ってるでしょう?」


 姉御の言葉にクリスは諦めたような顔をして答える。それは最早周知の事実で言うまでも無い事だったが。


「借金はもう十分だって」


 口に出さずにはいられない一言だった。


「違いない」


 それから姉御はグラスを突き出し、クリスも自分のグラスを合わせる。カチンという乾いた音が再び響く。


「もしもし、そこの皆さま」


 直後、声がした。タイミングを計ったかのように、よく澄んだ声が彼女達の耳に響く。


「誰よ」


 思わずクリスは呟いた。白いボブカットの小柄な少女に彼女は怪訝な眼差しを向けざるを得なかった。その理由は明白だ。


「誰よ、と申されましても。わたくしは生徒会の者ですがとしか言えませんが」

「メイド服着て?」


 彼女もまた、学園指定の制服に袖を通さない人間の一人だった。


「この服装は学生の身分を与えられているとしても、ヒューマン家の……そしてお嬢様のメイドとしての誇りを無くさぬよう自戒を込めて着用しているもの。それについてとやかく言われるのは心外ですが」


 首を傾げながらメイドは答える。その理由は簡単に納得できるものではなかったが、少なくとも確かな事が一つある。


「ヒューマン家、ね……なんだアンタ、アスカのメイドか」


 アスカ・P・ヒューマン。優勝候補の一角である完璧超人悪役令嬢の取り巻きがそこにいた。


「ようやくご理解いただけて何よりです。ついでに生徒会会計を任されております」

「で、その生徒会が何だって?」


 少しだけ喧嘩腰で姉御が尋ねる。返ってきたのは深いため息と、




「うるさい」




 簡単な四文字だった。


「とまぁ、苦情がございましたのでお伝えに上がりました」


 スカートの両端を持ち上げ、深々とメイドが頭を下げる。


「悪かった悪かった、これからは静かにさせてもらうよ」


 自分の態度を少し改め、ひらひらと手を動かしながら姉御が答える。


 が、メイドは帰らない。


「そうですか、ではこの場でお待ちさせて頂きます」

「何を」

「いえお構いなく。ここでお待ちしておりますので近所迷惑にならない程度にごゆるりとご歓談ください」


 そのままじっと立ちながら、じーっと見つめてくるメイド。


「ご歓談って言われてもね」

「じーっ……」


 もちろん擬音を口にしながら。


「ま、まぁお言葉に甘えようじゃないのさ……どうだいクリス、その、最近どう?」

「じーっ……」

「そうね最近はねー……」

「じーっ……。あっ、お気になさらず」

「って気になるからさっさと要件言いなさいよ!」


 耐えきれず声を荒げるクリス。メイドはまた小さくため息を漏らし、続く言葉を口にする。


「いえ、あなたにはございませんが」

「喧嘩売ってるようね、縁日の時間は終わってるくせに」

「いえ売ってません……それよりも、そこのお二方」


 メイドが指さしたのはショーコと姉御だった。小さく首を傾げれば、メリルは二、三度頷いた。


「ええそうです、ショーコ様とその取り巻きの方を連れてこいと、アスカ様のご命令です」

「はぁあああああああ!? 上等だコラさっさと潰してやるよぉ!」


 まだ場酔いが抜けないショーコに、それを制止する姉御。


「落ち着きなさいなショーコ……大事な話なんだろう?」


 今度は一度だけメイドが頷く。ショーコは舌打ちを何度もしたが、姉御は冷静さを取り戻していた。アスカから呼び出されるということは、それだけの意味があった。


「じゃ、そういう訳で行ってくるさ。片付けは頼んだよ」


 そう言い残して二人はメイドと共に消えた。残されたクリスは呆然と残ったメリルの顔を見る。


「どうするメリル、まだここにいる?」

「う……」

「……う?」

「うぇええええええええええええーーーーーーーーーい!」


 高くグラスを掲げて奇声を上げるメリル。


「はいはいっと」


 呆れた口調でクリスは言う。それでも三回目の乾杯に付き合うだけの元気は残念ながら残っていた。






 翌日、バックヤード。会場にいる誰もがその異様な光景に息を呑んだ。




「……一億だ」




 ショーコ地面に放り投げたのは、銀色のアタッシュケース。その中に敷き詰められた札束の数はもはや、昨日の白い封筒とは比べるまでもない。


「ショーコ」


 か細い声でクリスが名前を呼ぶ。が、彼女は答えようとしない。ただマイクを持って呆然とするハリーの顔をじっと睨みつけるだけだった。


「聞こえなかったのかハリー、アタシは一億ガチャを回す」

「えーっと……あっはい、一億っすね……」


 ハリーはそれを受け取った。最早規格外のそれを震える手で拾い上げる。


「勝負だクリス。アタシは絶対アンタに勝つ」


 ショーコはクリスに言い放つ。そこには彼女らしい威勢の良さや意地と呼べるものはなく。


「例え悪魔に……魂を売ってでもな」


 光を失い、ただ冷たく彼女を睨んだ。

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