第85話 カキフライ(2)
エドガルドがファビオの話の中で興味を持ったのは鉄道だ。クリスからも日本には電車というのがあって、馬よりも速く人を運んでくれるということを聞かされていたが、ファビオは貨物列車が通過するのを見たという。
「先頭に汽車というものがあって台車を牽いて走っているのですが、その台車が延々と続いているのです。そしてその台車の上に数え切れないくらいの箱が乗っているのですが、運ぶ荷物はその箱の中に入れてあるそうで、中継場所に着いたら箱ごと別の乗り物に載せてまた目的地に運ぶのだそうです。
当然、台車も箱も鉄でできていました。『馬』や『牛』などを運ぶ箱などもあるようですよ」
「それがあれば、人以外の物資も運べるようになるということか……」
「まさか、父上はそれをこの国にも……などとお考えですか?」
とても興味深そうに返事をしたエドガルドを見て、ファビオが訝しげな視線を向ける。
「我々も技術面で追いつかなければいけないだろう?
そのためにはどのようなものか、話を聞くだけではなく実際に目にしてみたいと思うのは自然なことだと思わんか?」
エドガルドの意見は為政者の立場としては正しい。
だが、日本の技術レベルとアプレゴ連邦王国のそれには大きく差が開いており、それを埋めていくにも多数の深い深い溝がある。
「そうですね。ただ、それをご覧になった後にこの国との差を意識すれば、それが一朝一夕でできることではないことがわかります。正直なところをシュウさんに聞いてみてはいかがでしょう」
「な、なんだ……正直なところというのは」
「我々の今の文明が、日本がある地球という世界の文明の何年くらい前に該当するのか。それがわかれば、何年掛かるかということがわかるじゃないですか」
ファビオはこう言ったものの、自分自身が生きている間に埋まる差ではないことを承知している。
一方、エドガルドは日本の文明に強い憧れを持ってしまっていて、その差がどれほどのものなのか、現実的に見えていない。
「なるほど、ということは下水処理場というのも簡単ではないだろうと予想しているのか?」
「いえ、そこはなんとも……実際に見たわけではありませんので」
ファビオは努めて冷静に話した。話し出せば止まらないくらいに話したいという衝動が湧いてくる。見るもの、聞くもの、触るもの……それらから受けた感動を誰かに伝えたくて仕方がない。だが、相手は父であるエドガルドだ。ファビオが話してしまえば彼は余計に日本への憧憬を募らせてしまう。
領主であり、様々な人間と接するエドガルドはファビオが表情に出すことなく、平静を装っていることを見抜いているのだが、それが何故なのかを読み取れずに不愉快な気分になりつつあった。
「コッコッコッコッ」
その雰囲気に割って入るようにドアノックの音が響く。
しばらくして、執事らしき男が部屋の中に入り、用件を知らせる。
「クリスティーヌ様が来られました」
扉の向こうには日本での普段着姿になったクリスの姿が見える。
「うむ、では茶を下げてくれ」
「畏まりました」
執事らしき男性がテーブルに置かれた茶器等を片付け始めると、クリスが中に入ってくる。
「あら、ファビオお兄さま。プラドに行く予定ではなかったの?」
「やあ、クリス。いろいろと土産を買い込み過ぎた者がいてね……一応、明日にはプラドに向かう予定にしているんだ。だから、今日も夕食の会のご相伴に与ることなったよ」
「そうなのね。シャルも喜ぶと思うわ」
先日、シュウと共に日本の神戸に出かけた際、シャルは物腰が柔らかく、人当たりのよいファビオにかなり懐いていた。それだけに、ファビオもシャルのことを気にかけるようになっていたのかも知れない。
いずれにしても、ファビオも出発前にシャルに会っておきたいという気持ちもあった。
執事らしき男性はテキパキと食器を片付けている。
「これから夕三つの鐘が鳴るまで、部屋に来ぬように。いいか?」
「畏まりました」
運び込んだときに置いてあったトレイに食器を載せて、執事らしき男は頭を下げ、部屋を退出した。
これでシュウとクリスの店に転移できるのだが、念の為エドガルドが内側からガチャリと音を立てて鍵を掛ける。
「お父さま、夕三つの鐘までうちにいる気?」
執事らしき男性に対してエドガルドが告げた言葉に、クリスは呆れたような話し方で問い返した。
マルゲリットと地球の時差は三時間あり、マルゲリットの方が進んでいる。夕三つの鐘は二二時を指し、地球では一九時ということになる。
朝めし屋の営業は朝二つの鐘が鳴る八時からなのだが、地球では朝の五時。だから、地球では深夜の三時くらいには起きて動き出している。シュウやクリスにとっては一九時まで起きて、それから帰っても問題は無いのだが、さすがに一〇歳のシャルに起きていろと言うのは厳しい。
それを考えると、クリスの表情はだんだんと不機嫌なものになっていく。
なお、プテレアは日本での営業を手伝っているので重役出勤だ。飲みすぎない限り、一九時くらいで眠くなることは無いので問題ない。自分で深夜営業のスナックをしたいとか言い出すほどだ。
「いや、シャルちゃんのことも話すことがある。だから、店の奥で寝ててもらった方が良いと考えてるんだがどうだ?」
「まぁ! なにか判ったのね?」
クリスの不機嫌そうな顔がパッと明るく変わる。
だが、エドガルドは確信を得た情報ではないので少し歯切れが悪い。
「まだ確信には至っていないが、可能性の高い話だ。そのうえで、婿殿とクリスに話をしたい」
「そういうことなら仕方ないわ。じゃあ、準備はいいかしら?」
クリスはそう言ってエドガルドとファビオに返事を促す。
クリスが一人で転移する場合は目的地への門は短時間維持するだけだが、二人がぞろぞろと入るようだとクリスへの負担が大きくなる。
「よし、行こう」
「うん」
明らかにシュウの料理に胃袋を掴まれているエドガルドがかなり前向きに返事をすると、ファビオは気楽に返事を返した。
二人に背を向けたクリスはブツブツと呪文のようなものを唱えて目の前に人が立ったまま通れるくらいの黒い渦を出現させ、エドガルド、ファビオの順に中に通し、最後に自分が入っていった。
エドガルドはシャルを保護して自分を呼びに来たクリスに連れられて店に行った時から、だいたいはこの方法で移動してきているのだが、ドロリとした液体の膜を通り抜けるような感覚に、まだこの液体が身体に付着していそうな気がしてあまり好きになれない。
それはファビオも同じようで、嫌悪感とまではいかないが、通り過ぎた直後は不機嫌そうな顔をしていた。
「ただいま!」
「おう、おかえり!」
クリスが厨房に向かって声を掛けると、その声に反応してシュウが返事をする。
その二人の声が聞こえていたのか、奥の座敷席からプテレアとシャルが現れると、シャルはエドガルドとファビオを見つけ、駆け出してファビオに飛びついた。
「おかえりなさいなのっ! 領主さまも、ファビオお兄ちゃんもいらっしゃいなの!」
「元気にしてたかい?」
数日ぶりとはいえ、ファビオはシャルの身のことを心配していたようで、抱きつかれると思わず笑顔が零れてしまう。
シャルはこくりと頷いて、満面の笑みをファビオに見せた。
「この状況じゃと、妾はエドガルドに抱きつけばよいのじゃろうか?」
シャルの後ろから歩いて出てきたプテレアがどうしたものかと思案顔で呟いた。
見た目に関しては末娘のエレナと似た年齢なのだが、エドガルドは明らかに迷惑そうな顔をすると、クリスに応援を求めるように視線を向ける。
「冗談じゃ。して、その男は……確かクリスの兄じゃろう?」
「ええ、二番目のお兄さま。ファビオお兄さまよ」
クリスの紹介に応じるように、ファビオはシャルの相手をやめてプテレアに挨拶する。
「ファビオ・F・アスカと申します。プテレア様のお噂は
「ほう、噂があるのじゃな? どんな噂かの?」
ファビオはこれまでの収穫祭などでプテレアを見かけたこともあるし、話しかけたこともある。ただ、あくまでも祭祀の際に行う社交辞令のレベルであるし、国軍に入ってから数年は見かけていない。だから、聞いている噂というのは、彼自身が幼い頃から聞かされている数々のプテレアの悪戯や、シャルから聞かされる日本でヒトとして生活しているプテレアのことなどだ。
だが、長い間を生きてきたプテレアはそれだけの叡智というものを身に着けていて、日本で暮らしていてもコアとの違いや、理の違いなどを理解して上手く折り合いをつけながら生活している。
「そうですね……とても悪戯好きで、でも心根の優しく、楽しい方だと聞いております」
「そうじゃろそうじゃろ、うんうん」
いちいちすべての話を並べて褒めるのも面倒なので、ファビオはかなり大雑把にまとめた返事を返すのだが、その内容はプテレアの承認欲求を充分満たすものであったらしい。
その素直に喜ぶ姿を見て、兄もプテレアを上手く
「シュウさん、今日もファビオ兄さんが来たんだけど、だいじょうぶかな?」
「え? あ、そうなのか。材料は充分あるから大丈夫だよ。まだ塩水は残ってるし問題ない」
クリスはシュウの言葉に胸を撫で下ろしていると、シュウが続けてクリスに話しかける。
「そろそろ一品目ができるから、飲み物の用意してくれるかな?」
「はーい」
クリスは待ってましたとグラスの並ぶ棚の前に移動すると、指を折って必要な数を数える。
エドガルド、ファビオ、シュウ、クリス、プテレアとシャル……合計で六つ。
うすはりのタンブラーを二個ずつ丁寧に調理台の上に置くと、一杯ずつビールをグラスに注いでいく。もちろん、シャルには別の飲み物が用意される。
その間、シュウは料理の仕上げに入る。
フライパンの中で炒めていたニンニク、玉ねぎ、ベーコンに蒸して賽の目に切ったジャガイモを入れて一気に混ぜ合わせると、最後に塩コショウで味を整え大鉢へと盛り付け、刻んだパセリをぱらりと散らす。
これまたビールに合うジャーマンポテトの出来上がりだ。
できたてで湯気がもうもうと上がる大鉢を持ってシュウはカウンターに向かう。
「挨拶が遅れてすみません。お義父さん、ファビオさんこんばんは」
「うむ」
「急にお邪魔することになってしまって、すまないね」
シュウが遅れて挨拶をすると、エドガルドはいつものように頷き、ファビオは突然の参加に対する詫びを告げた。
「いえいえ、今日も楽しんでいってください」
シュウはそう言うと大鉢をカウンターに置いた。
それだけでニンニクの香りと、焼けたベーコンの薫製香が店内に広がり、料理を待っていた皆の鼻がひくひくと動き出す。
その中でも待ちきれないという様子のエドガルドがその料理を指して尋ねる。
「それはなんだ?」
「これは、ジャーマンポテトといいます。地球にあるビールと葡萄酒の醸造が盛んな国の料理です」
大きめの取皿を並べてそこにできたてのジャーマンポテトを装って配る。
このあと、別の料理を作るので食べすぎないように盛られた量は、それぞれの握りこぶしよりも小さい量になっている。
そこにクリスが注いだビールを配る。
「おお、待っていたんだ。これがないと始まらん」
「そうですね、この店に来たならこれですね」
前回この店に来た時は苦いと言っていたが、喉をキリキリと冷やしながら流れていくビールの快感に取り憑かれた男が一人増えている。
もちろん、それは女性でも同じで、クリスとプテレアも嬉しそうにグラスを持って乾杯の準備をする。
「今日も一日おつかれさま! 乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯じゃ!」
「カンパーイ!」
クリスがグラスを高く掲げると、シュウ、プテレア、シャルの順に続く。
エドガルドとファビオたちはグラスを軽く顔の前くらいに掲げるだけだ。
するとすぐにエドガルドやシュウがゴクッゴクッと喉を鳴らして飲み干さんばかりにビールを流し込む音が聞こえてくる。
「ぷはぁ……」
みんなの真似をしたシャルもゴクゴクと喉に飲み物を流し込んだのだが、ビールとは違って喉にヒリヒリとした痛みがやってくるのが早く、慣れてもいないので三口程度で限界を迎えた。
なお、今回のシャルの飲み物は緑の瓶に入ったソーダ水。サラリとした甘さに地中海産の天然レモン香料を使用した上品な一品だ。
「ぷふぅ……」
「ぷぁあ……」
プテレア、クリスの順にグラスを下ろしていくと、次は男性陣の番だ。
飲んでいる量が半端ない。
「プハァァーーーーッ!」
「プヮァハァーーーッ!」
「プワァーーーーーッ!」
喉がヒリヒリと痛みを訴えかけてきて、その痛みを耐えることができる限界まで一気に飲んむと、ファビオ、シュウ、エドガルドの順でグラスを手元に下ろす。
それぞれ出す声が違うのが面白い。
「やはりビールは美味いっ!」
「ええ、父上。『ハーブ』の苦味があるのに、しっかりと麦の味が残っていて大地の恵みを感じますね」
「うむ。領内でも造れるものなら造りたいくらいだ」
醸造技術も地球のほうが遥かに進んでいて、ほぼ一定品質を守るために様々な工夫が一杯のビールにも籠められている。
だが、根本的に冷蔵技術がない
「お父さま、コアの技術水準では無理です。諦めてください」
クリスがエドガルドの夢と希望を遠慮なく打ち砕いてしまう。
実際にシードルを作る技術があるのでエールは作ることはできるのだが、最適なビール酵母を見つけるのは難しいとクリスは思っていた。
「どうしてだい?」
ファビオも具体的なビールの製造工程を知っているわけでなく、その理由がわからないのでつい尋ねてしまう。
ワインの作り方は知っているが、なぜ葡萄の絞り汁がアルコールになるのかと理屈では解っていないので、彼の知的好奇心に火が着いてしまった。
ただ、クリスの説明では覚束ないので、シュウが助け舟を出す。
「このビールやワイン、日本酒……すべて、酵母という目に見えない生物が発酵――糖という成分をアルコールに変えることでできるお酒なんです。ただ、ビールを作るにはビールに最適な酵母が必要だし、その酵母が働きやすい温度を維持しなければいけない。特にビールは低温で長期間発酵させるので、温度管理ができないと作れないお酒です。冬の寒い時期に作るというのなら別かも知れませんが、いずれにしても難しいと思います」
「そういうことか……日本には氷を作り出す機械があるのだから、容易いことなんだろう」
エドガルドは残念そうに声を上げると肩を落とす。
しかし、ファビオはいま一番興味を抱いていることなので更に突っ込んでくる。
「目に見えない生物か……それを見る方法は地球にはあるのかい?」
「ああ、大丈夫ですよ。タブレットを取ってくるので温かいうちに食べながら待っていてください」
シュウは奥にある和室に小走りで向かった。
ふとファビオが周囲を見渡すと、ファビオ以外は全員がジャーマンポテトに手をつけていた。
自分も冷める前に食べるべきかと、ファビオはジャーマンポテトが盛られた皿を持ち上げて見る。
表面がカリッと焼けたベーコンはその芳醇な燻製香を放ち、オリーブオイルに染み出したニンニクの香り、炒めた甘い玉ねぎの香りがふわりと立ち上がる。ただ、濃厚な食材ほど香りは単調になってしまうものだが、表面に散らされた刻んだパセリの清々しい香りに、乾燥した樹皮の爽やかさを持つ黒胡椒の香りが芯を与え、全体に深みを与えてる。
「ああ、いい香りだ」
ファビオは隣にいるエドガルドやシャルに聞こえない程度に呟くと、皿をカウンターの上に戻し、右手に箸を持つと先ずはジャガイモだけを摘んでパクリと口に放り込んだ。
口の中に入れた瞬間から広がるのは表面に吸い込んだ油の香り。そこにはたっぷりとニンニクの香りとベーコンの薫製香が溶け込んでいて、表面に掛かった胡椒やパセリの香りがポンッと広がり、鼻腔を擽っていく。
茹で上げたジャガイモはオリーブオイルとベーコンの油を吸っているせいか、噛めばホロリと崩れ、舌の上でしっとりと溶けてなくなっていく。その時に舌に広がるのは振りかけられた塩とベーコンやニンニク、玉ねぎからでた旨味だ。
ファビオは二口目はジャガイモに玉ねぎを載せ、更にベーコンを上に載せてから箸で摘み、そっと口へと運んだ。
燻製香と焦げたベーコンの香り、焼けた玉ねぎの甘い香り、油で煮たニンニクの旨そうな匂いが口の中いっぱいに広がり、鼻へ抜ける。
しんなりとしている玉ねぎもまだシャクシャクと食感を残しており、表面はカリッと焼けたベーコンも歯をたてるとジュッと肉の旨味を絞り出す。そして、既にそれらの味を吸い込んだジャガイモがまた土台となって全てを支えている。
そして、それらがまだ口の中に余韻を残している間に、ファビオは箸をグラスに替えてその中に入ったビールをゴクゴクと一気に流し込む。
「プハァァーーッ!」
飲み終えたポーズは何故か、グラスを掲げ、頭を少し傾げて目をギュッと瞑るあの顔だ。
ファビオは少し余韻に浸ると、空になったグラスをカウンターに置いた。
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