第84話 カキフライ(1)

 収穫祭が終わったばかりの旧王城は既に普段の平静さを取り戻している。

 そして会議室では、エドガルドと役人たちが下水工事の計画策定という漠然としたテーマに向けて頭を抱えていた。これが実績のある工事であればこれまでの経験を生かすこともできるし、実際に業者を呼びつけて説明させることで済ませることも可能なのだが、他国や他領でさえできていない下水処理施設となると、役人たちに同じことを求めるのは無茶である。

 会議の主催者であるエドガルド自身もシュウとクリスの店でタブレットという機械を使って説明されてはいるのだが、人口に合わせた下水処理施設を作るとなるとどの程度の規模のものが必要なのか見当もつかない。いや、その下水処理のプロセスそのものも覚えていない。


 ――早急に専門家を育成する必要があるな。


 遅々として検討が進まない状況に業を煮やしたエドガルドは、何の案も出せず項垂れる役人たちが集まる会議室の中で結論に達した。

 エドガルドはマルゲリットの街で下水処理施設の設置に成功すれば、その実績をもとに他領、他国での工事を請負い、ひとつの産業として発展させたいと考えている。ただ、日本の技術を取り入れる以上は、元になる情報の入手経路を他国や他領へと簡単に流出させないよう秘密を守れる人間でなければならない。

 エドガルドは会議のテーブルについた役人達を一瞥すると、そこには適任者と呼べる者がいない。役人としての仕事はできるだろうが、まず下水処理施設を理解できるような思考ができる者がいないのだ。


 だが、エドガルドは人材という意味では既に最適と言えそうな人物が頭に浮かんでいた。

 丁度、この街にその人物がいるのだが、残念なことに国軍の任務についている。


「このままでは会議が進まん。一旦解散する。

 今日はファビオがここに来ているはずだ。私の執務室に来るよう伝えてくれ」


 執事らしき姿の男性に声を掛けると、エドガルドは席を立ち、執務室に向かう廊下へ向かった。






「コッ、コッ、コッ、コッ」


 扉の外に取り付けられたドアノックが四回鳴らされ、少しすると先ほどの執事が静かに扉を開いて入ってくる。


「ファビオ様をお連れいたしました」


 恭しく礼をして中にファビオを通すと、執事は退室して静かに扉を閉めた。

 エドガルドは書類に手元の書類に目を通し終えると、静かにそこで待つファビオに声を掛ける。


「出発準備で忙しいところをすまない。少し相談したいことがある」

「いえ、お気になさらないでください。他の仲間の準備が手間取っていて、丁度手が空いておりました」

「そうか……まあ、そこに座れ」


 エドガルドが大きな机に置かれたベルを掲げて鳴らすと、先ほどの執事が部屋にやってきて、エドガルドが茶を用意するよう指示をする。


「かしこまりました」


 頭を下げて執事が出ていくと、早速エドガルドがファビオに話しかける。

 目的はひとつ。王軍を辞して、下水処理施設の技術を学んできてもらうことだ。


「急に呼び出したのは、日本の技術のことだ。

 お前は先日、シュウ殿と共に日本の街に出て、歩いたのであろう?」

「ええ、そうですね。今でも夢を見ていたのではないかと思っていますよ」


 ファビオはうっとりとした表情でその時の感想を完結に述べた。

 その表情を見て羨ましいと思ったのか、エドガルドは悔しそうに顔を歪めて話を続ける。


「私は注意力が足りないだとか、迷子になりそうだからとあちらには連れて行ってもらえんのだ。

 だが、クリスの店にある自動洗浄機能付きの便器や、エアーコンディ……名前がややこしくて覚えておらんが、室温を調整する機械などを見る限り、かなり進んだ文明を持っているというのは知っている。他にもクリスから聞かされていることもあって、それは確信といってもいい。

 だが、実際に一日でも現地を散策したお前の意見を聞いておきたい」

「それはどういう意見を求めておられます?」


 エドガルドの質問はとても漠然としていたので、ファビオは質問の旨意を確認する。

 見てきた物であれば答えるのは簡単だが、実際に目にしていないものまで意見を聞きたいと言われても答えられない。


「いま、私はこの街に下水道という汚物や汚水を流す設備を作ろうと思っているのだが、それをそのまま川に流してしまえば下流に位置する街や他領になにかの影響が出るかも知れん。

 日本では下水処理施設というものを作り、汚水を口に入れても問題がないほどまで浄化してから川や海に流しているというのだが、その話は聞いたことがあるか?」


 シュウとシャル、ファビオの三人で神戸という街にまででかけたという土産話はエドガルドも聞いているが、その道中でどのような会話をしていたかまでは聞いていない。

 その中で、下水処理施設について聞いているのであれば少しでも説明を省くことができるのでエドガルドはこのように尋ねた。


「いえ、私もいろいろと興奮しておりまして……自転車、オートバイ、自動車、電車、地下鉄、巨大な鉄の船、空を飛ぶ乗り物など見てしまうと、もう自分がしている研究がとてもちっぽけなものに――と、話がズレてしまいました。

 そうですね、下水処理施設とかいうものの話は聞いていません。

 ただ、電車に乗って移動することに興奮していて、聞こえてなかったのかも知れませんが……」


 ファビオは七日前に見てきた日本の様子を思い出して興奮気味に話し始めると、父からの問いへの答えになっていないことに気づき、慌てて答えになるよう取り繕った。

 移動手段は徒歩か馬車という世界に暮らす彼らからすれば、自動車や電車、飛行機等の乗り物があるだけで魅入られるのは仕方がない。


「そうか……」


 そこにまたドアノッカーを叩く音が響き、執事の男が茶を運び入れる。

 結局、執事の男が茶を淹れて出ていくまでの間、エドガルドとファビオは言葉を交わさなかった。執事と言えど、日本の話は聞かせるわけにいかないからだ。


 頭を下げて執事が退室し、扉が閉まった音を聞いて二人は話を再開する。


「私もよく知らんのだが、その下水処理施設には目に見えないほど微小な生物が入っていて、汚れを食べて無毒化してくれるらしい」

「おお、そんな生物がいるとは初耳です。とても興味がありますね」


 ファビオは国軍の研究調査部門で植物などから薬草や傷薬等の研究をしている。

 今まで見たことがない微小な生物となると、その研究対象が大きく広がり、新たな発見がもたらされる可能性が出るだろう。それこそ、青カビからペニシリンが発見されたように。


「そうだ、お前の仕事にも多少なりとも関係することだろうな。

 そこでだ……お前は王都で国軍で働いているが、下水処理施設に関して日本で学んでくるつもりはないか?」


 国軍で働いているという今のファビオの地位は一般の兵士などと比べ物にならず、初級将校並みの待遇が与えられている。実父であるエドガルドからの命令であれば断ることができないが、いまのエドガルドの態度は命令ではなく、要請というレベルのものである。

 そういうことであれば、ファビオはまずその微小な生物というものの存在そのものを確認したいと考えた。


「うーん、微小な生物というのがいて、どのような役割をもっているのかを実際に目に見える形で見せてもらわないと、なんとも言えないですね。

 日本にはカメラという機械があるので、それで微小な生物というものを撮ることができるのなら、それを見てから判断したいです」


 至極まともな回答である。

 エドガルドも実際にその写真をタブレットで見たことがあるので、見せることは問題がないと知っていた。


「そうか。では、今夜はクリスたちと食事をする予定がある。そこに参加できるか?」

「ああ、例の会ですね。出発は明日になりましたし、シュウさんの料理を食べられるとなると、是非参加させてください」

「いや、料理ではなくて微小生物のことが目的だろう? まぁ、このことは他言無用で頼む」

「ええ、わかってますよ」


 ファビオは優雅な仕草でお茶を飲む。


 父のエドガルドや兄のヘラルドと違い身体の線が細く学者気質なファビオの所作は全体的に優雅に見える。対するエドガルドは歳相応に落ち着いた所作で、領主らしい威厳のようなものが漂っている。


「そういえば父上、隣のフムランド王国で不穏な動きがあることを聞いておられますか?」


 思い出したようにファビオが問いかける。

 エドガルドも旧国家であった地域を統括する連邦侯爵であり、そのくらいの情報は当然のように入手している。

 とはいえ、フムランド王国までの距離は片道でも二十日以上かかるので、少数の間者からの情報を除き、最新の情報は主に王都から知らされるものである。


「うむ。王位継承権の話か? 長男で第二夫人の息子ジュリアン王子と、三男で第一夫人の息子アンリ王子で争っていると聞いている。アンリ王子は侍女と駆け落ちしたという噂もあって叶わぬ恋の物語を描いた歌劇まで作られたとか……。

 まあ、歌劇など尾ひれがついて過剰な作り話になるものだ。どこまでが本当のことなのかは知らんがな……」

「さすが父上、よくご存知ですね」


 貴重な磁器の器で音を立てずに茶を口に流し込むと、ファビオが話を続ける。


「実は今回の任務で同行している者にフムランド王国に接する街から来た男がおりまして、その男の話ではフムランドのリオン伯であるミシェル・パスマールがアンリ王子の後ろ盾になり、なんとか娘を娶らせようとしているそうなんですよ」

「ああ、よくある話じゃないか。王位を継げば、血縁を理由に好き勝手できると思っている貴族はどこにでもいるからな」


 ごつい指で磁器の器に入った茶を飲むと、エドガルドはそんな話は聞き飽きたとばかりに一蹴しようとする。

 だが、ファビオは言いたいことがあるようで、そのまま話を続けた。


「そうなんですが、アンリ王子は頑としてパスマールの娘を跳ね除けている。

 噂では歌劇のとおり、結ばれなかった侍女のことをまだ愛しているからだなどということで、フムランド王国では盛り上がっているそうです」

「それはフムランド王国も平和なことだ。本人たちは世継争いが始まれば血で血を洗う戦いさえ覚悟しなければならぬというのに……」

「ええ、本当に……」


 この旧王国の第二王子にあたるファビオの立場ならそれは自分たちにも当てはまることなので複雑な気分になる話である。だが、ファビオはソフィアが逝去したあとの後継者選びで選ばれたのはクリスであると考えていたので、フムランドの世継争いなど対岸の火事程度にしか思っていない。


「ところで、その歌劇なのですが一〇年前の出来事として語られているそうなんです。

 そこですごく気になったので、父上が一〇年前のフムランド王国の王家家系図をお持ちなら拝見したいと思いまして」

「ふむ、ないわけではないが……そんなもの見てどうする?」

「まずは確認ですよ」


 ふわりと柔らかく優しい笑顔を見せると、ファビオはまた磁器の器を手にとって茶を口に流し込む。

 エドガルドは訝しげな表情を見せつつも、執務室内に保管しているフムランド王国の王家家系図を取り出してくると、ファビオの前に広げた。


「ふむふむ、なるほど……」


 ファビオは前屈みになってフムランド王国の王家家系図を覗き込み、独り呟くと、納得したように姿勢を正す。

 それを見たエドガルドは不思議そうにファビオを見つめ、問いかけた。


「なにがわかったんだ?」


 ファビオの満足そうな顔を見て、エドガルドはそこに書かれた何かが気になって仕方がない。家系図を自分が読みやすい向きに変えると、直近の系図のところまで視線をツラツラと這わせるように読み上げていく。


「こ、これは……どういうことだ?」

「そこに書かれているとおりですよ、父上。

 アンリ・パトリス・ロイク・ド・フィネル。確か、フムランドでは最後の名前が幼名。フィネル家のロイク……」


 ロイクといえば、シャルの父親の名前と同じである。

 そのことを思い出したエドガルドはファビオと目を合わせると、ファビオの前にある椅子に腰を掛け、頭を抱える。


「シャルロットはアプリーラ村の出身だというのに読み書きや算術ができる。それに、火の魔法も使えるらしい。

 父親はロイク、母親はアルレットと言う名前だったのだが、そのどちらかがフムランド王国の貴族か何かだとは思っていたのだが……」


 姿勢を変えること無く、床のどこか一点を見つめてエドガルドが考えていることを話す。

 ファビオはそれを黙って聞いているだけなのだが、これがどういう意味を持つかということも理解していた。


「三年前にフムランド王国側から侵攻してきたときに、アプリーラ村のロイクという男が捕縛されたのだ。それがシャルロットの父親だということは判っていて、いま間者がその行方を探している。

 現時点の情報だけでアンリ王子がシャルロットの父親であると確定したわけでない。ロイクという名前など、フムランド王国には捨てるほどいるだろうからな。

 ただ手元にある情報だけでみると、シャルロットがアンリ王子の娘であるように思えて仕方がないな……」

「そうですね。そしてもし、シャルロットがアンリ王子の娘だとしたら……」


 ファビオの言葉に反応し、エドガルドが眉間を皺を寄せ、強い視線でファビオの目を見つめる


「だとしたらお前はどうする?」

「そうですね、アプリーラ村が襲撃されたということを考えると、アンリ王子を支援しているリオン伯が村に残されているであろう侍女のアルレットを殺害しようとしたのかも知れません。そして、今頃はリオン領に戻った刺客に報告を受けているでしょう。

 そして、リオン伯がアンリ王子とアルレットの間に娘がいることを知っていれば、シャルロットの身が危ないかも知れません」


 両膝の上に肘をつき、手を組んだ上に顎をのせた姿勢でファビオは想定されることを並べていく。


「それに、リオン伯ではなくジュリアン王子の差し金ということも考えられます。アルレットとシャルロットを人質にしようとしていたのかも知れません。

 連れ帰ってきた子どもたちの中にシャルロットがいないとなれば、また刺客が送られてくる可能性があるのは同じですね」

「うむ、そうだな……」


 エドガルドはファビオと同じことを考えていた。

 村の住民のうち、大人と乳幼児は殺害され、子どもは五歳から一〇歳の少年、一五歳未満の少女は連れ去られているのである。

 どのような経路で連れ去ったのか未だ不明ではあるが、その中に目当てのシャルがいなければ逃げたと判断されるのは間違いない。


「ただ、国軍所属のわたしの立場から申し上げるなら、父上がシャルロットを公式に保護するとなれば、アプレゴ連邦王国全体がどちらの王子の味方になるのかを示してしまうことになり兼ねないことに危惧を感じます。

 幸いにも、クリスと共にいれば日本での生活が中心になるので安全は確保されますから、今のまま様子を見つつ、刺客がどちら側から放たれたのかを捜査する方が賢明かと」


 立場が変わればものの見方も変わる。

 ファビオは下手をすれば、フムランド王国での世継争いにアプレゴ連邦王国として介入するような話に発展するようなことは避けて欲しいと言っている。そして、シャルのことはクリスに任せ、刺客を放った者に応じた対応を選択するという案を提示した。


 エドガルドはファビオの意見は尤もだと思う。だが、エドガルドは父でもあるのだ。


「うむ。お前の言うことはよくわかる。

 今後の展開は一切見えない状況ではあるが、もしアンリ王子が王位を継いだ場合、シャルロットを引き渡すべきだろうか?

 わたしは一人の父親として、同じ境遇にあれば愛する娘に会いたいであろうし、共に暮らしたいと思うだろうと考えてしまうのだ。

 だが、引き渡したとして、王女としての行儀作法も覚えていないのでは都合が悪いのではないかとも考えてしまう。そしてそれはシャルロットのためになるだろうかとも……」


 ファビオは初めてエドガルドの口から子を思う親の気持ちを聞いた。

 前回、シュウとクリスの店で肩が触れ合うほど狭い場所で食

事を共にすることで、一家団欒というものをエドガルドとファビオは知ったところである。

 それは大きなテーブルを使って離れた場所に座り、共に冷めた料理を食べてきたことで知ることもできなかった温もりであった。

 そして、その温もりを知るシャルをアンリ王子に引き渡してしまうと、シャルの心は冷え切ってしまうのではないかとファビオも心配になる。


「そ、それは……」


 ファビオは言い淀むと、気を取り直して作り笑顔を浮かべエドガルドへと向ける。


「今日の夕食の場でシュウさんやクリスも交えて話すべきことでしょうね」

「ま、そのとおりだな。そうしよう」


 エドガルドはファビオの意見に同意すると、まだ知らない日本の技術についてファビオから話を聞き出した。

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