第55話 ハンバーグと目玉焼き(2)

 一度木匙で崩されたハンバーグの身は、エドガルドの口の中でほろりと解け、口の中に広がる。ナツメグと胡椒の香りが肉と炒めたタマネギの香りと共にふうわりと鼻腔に漂う。

 六対四の割合で挽肉にした牛肉と豚肉は、混ぜ合わせ、練り上げ、焼き上げられたハンバーグになると、それぞれの食材が主張することがない。牛肉の力強い赤身の味に、豚肉の脂の味、炒めたタマネギの濃縮された甘みが一体となり、食感を含めたひとつの食べ物になっている。


 ごくりと飲み込むと、エドガルドはうすはりのグラスに手を伸ばし、琥珀色のビールを口に流し込む。

 麦芽の旨味や、ホップの香りと苦みが炭酸の刺激と共に、口の中に残るハンバーグの脂を流し去る。


「旨いっ!」


 エドガルドは思わずグラスを透かすように高く掲げ、叫ぶ。


「よく叩かれた肉が柔らかく、噛むと肉汁が口の中に溢れ出してくる。初めて食べる肉のような気がするが、脂の甘みや肉の旨味は食べなれた感じがするな……」


 そして、グラスから目線を外し、顎に手を当てて、初めて食べたハンバーグの味わいを思い出すように呟く。

 またグラスに目を戻すと、そこにはもう僅かしか残っていない。


「そりゃそうよ、『牛』と『豚』で作った挽肉なんだもの」


 クリスがエドガルドの横でビールをあおり、ことりとグラスをカウンターの上に置く。そして、右手に箸を持つと、二本の箸を重ね、ぐいとハンバーグに押し当てる。

 そんなに硬くないハンバーグがぐにゃりと形を変え、あっさりと箸に込められた力に負けて二つに千切れる。

 表面を焼き固めることで溜め込まれていた肉汁が出口を見つけ、一気に流れ出す。


「こうして食べるともっと美味しいわ」


 切り取ったハンバーグを箸で摘まむと、クリスはその横にてろりと横たわる目玉焼きの黄身に断面を押し付ける。音をたてることもなく膜が破れ、どろりとした卵黄がハンバーグの断面に付着する。

 クリスは箸で摘まんだハンバーグを躊躇うことなく口の中に運び、目を閉じて味わうように顎を動かし咀嚼して飲み込むと、むふと鼻から小さな息を漏らし、笑顔で幸せを表現する。


「ほう」


 クリスがハンバーグを食べる様子をじいと見つめていたエドガルドは、感心したように声を漏らすと早速木匙から箸に持ち替え、クリスと同じように箸を使って一口大にしたハンバーグを摘まむ。そして、目玉焼きの卵黄をべっとりとハンバーグに絡ませてから口に入れる。

 温められて活性化した卵黄の香りがふわりと広がり、ねっとりと舌に絡むとじわりと旨みが伝わってくる。ゆっくりと歯を立てると、ハンバーグの焦げた表面から出る甘く芳ばしい香りがやってきて、肉汁がじゅわりと溢れ出てくる。ほろりほろりと崩れる肉にねっとりとした卵黄が絡みついて旨味が混ざり合っていくと、閉じ込められていた胡椒やナツメグの香りが弾け、鼻腔を駆け抜けていく。


 クリスと同じように目を閉じ、天井を見上げてハンバーグを楽しんだエドガルドは、ごくりと音を立てて飲み込む。


「ああ、クリスの言うとおりだ。ただ、これでは白い部分が残ってしまうな」


 エドガルドは少し残念そうに目玉焼きを見る。白身の部分はまったく手が付けられておらず、黄身の膜が破れてどろりと流れ出している。

 新しいグラスにビールを注ぎ、エドガルドのグラスと交換していたシュウは、その様子を見て思い出したように話す。


「本当はデミグラスソースも用意したいんところなんですが、手間も時間もかかるので……」


 シュウはカウンター内の裏側にある冷蔵庫から黒い液体が入った透明な瓶を取り出して蓋を開け、自分の前に置いてあるハンバーグにさっとひと回し振りかける。


「これは野菜とスパイスを熟成させて作ったソースです。少し酸味がありますが、シンプルなハンバーグによくあいます。白身は一口大に千切って、ハンバーグと一緒に食べればいいんじゃないですか?」


 シュウは手本を見せるように目玉焼きの白身を箸で千切り、ハンバーグの上にのせる。そして、白身にサイズを合わせるようにハンバーグを箸で切ると、断面を黄身に押し付け、口に運ぶ。

 それをまたじいと見つめていたエドガルドは慎重にウスターソースの瓶を傾け、ハンバーグに回しかける。

 濃褐色の液体がハンバーグの表面に落ち、脂に弾かれるように流れ、少しひび割れたところからじわじわと中に染み込んでいく。

 エドガルドは、シュウと同じように白身を千切り、ハンバーグを切り取ると黄身に押し付け、口の中に入れる。

 卵黄の香りに甘酸っぱさとスパイスの香り、ソースの旨味……ウスターソースが加わることで、ハンバーグの味に力強さが加わり、味も一気に跳ね上がる。また、つるりぷりんとした白身の食感が加わり、噛むことにも変化が生まれる。


「ソースひとつでこんなにも違うものなのか……」


 エドガルドが感嘆し、言葉を溢す。


「ハンバーグのソースもいろいろあるのよ。さっきシュウさんが言ってたデミグラスソースでしょ……『トマト』ソース、和風おろしソース……あとそれから……『チーズ』をのせて溶かしたハンバーグもあるわ」


 クリスが洋食屋やレストランなどで食べたことがあるソースをいろいろと並べ立てる。


「ほう、そんなに色々とあるのじゃな? 次に作るときは何がいいか言っておく方がいいのかの?」

「シャルは『チーズ』がいいの!」

「じゃ、妾は順番に食べていきたいのじゃ……『トマト』ソースがいいのじゃ」


 プテレアとシャルの二人も興味があるようで、挙手して自分が食べてみたいハンバーグの要望を述べ始める。


「あ、はい! わたしは中にチーズが入ったのがいい」


 便乗するようにクリスも挙手して希望を伝える。

 シュウは眉尻を下げて少し呆れたような表情をすると、肩を竦める。


「うちは洋食屋でも、ハンバーグレストランでもないからな。デミグラスソースはさすがに無理だ。トマトソースは無理じゃないが……とにかく、あれもこれも作るというのは無理だ。じゃんけんでもして、順番を決めるんだな」


 シュウが右手に箸を持ったまま話すと、クリスは別としてシャルやプテレア、エドガルドもきょとんとした顔でシュウを見つめる。


「じゃんけんじゃと? くじ引きのことかえ?」


 マルゲリット異世界ではコインやくじで順番を決めることが多く、「じゃんけん」が使われていない。プテレアとシャルは日本に来てから日が短いし、日本に来たことがないエドガルドが「じゃんけん」というものが判らないのも仕方がない。


「鋏は紙を切れるけれど、石は切れないでしょう? 鋏は紙よりも強いけれど、石より弱い……でも石は紙に包まれてしまえば姿が見えなくなる。日本では石は紙よりも弱いってことになっているの。手を開いたのが紙、指二本の手の形は鋏、すべて握ったのを石に例えて、合図を決めて出し合うの」


 両手を使ってクリスが説明するのだが、説明しながら両手で独りじゃんけんができず、少しずつ不機嫌な顔に変わっていく。


「独りじゃんけんって難しいからなぁ……。石はグー、鋏はチョキ、紙はパーだ。全員同時に出すために、最近は最初はグーと掛け声をかけて出すのが一般的かな?」


 シュウが助け舟を出すと、次にクリスと実際にじゃんけんを始める。

 途中から「あっちむいてほい」を始め、食事を終えたシャルとプテレアも一緒に遊び始める。

 エドガルドやクリスも加わり、わいわいと楽しそうに「あっちむいてほい」を楽しんでいる姿を見ながら、シュウは残ったハンバーグを口に入れる。


「ところで、さっきクリスが話した以外にどんなハンバーグソースがあるんだ?」


 少しずつ慣れてテンポアップした「あっちむいてほい」を見ていると、エドガルドが思い出したように問いかけてくる。

 急に質問されたことでシュウは目を丸くして驚くが、ふうと一息吐いて説明をはじめる。


「そうですね、『タマネギ』を刻んでじっくり炒めたものを使うシャリアピンソースというものがあります。炒めた『キノコ』を使う『キノコ』ソースもありますし、『牛乳』と『バター』、『小麦粉』を使うベシャメルソースや、一度乾燥させたキノコのペーストを使ったものなど、いろいろありますよ」


 他にも煮込みハンバーグや、オランデーズソース、モルネーソース、オーロラソース、マスタードソースなど様々なバリエーションがある。


「そんなに種類があるのか?! それでは簡単には選べないではないか……」


 エドガルドの表情に明らかに焦りが表れると、ううむと唸るような声を上げて考え込む。


「シュウさんって、和食の料理人なのに、どうしてそんなにいろいろと作れるの?

「そうじゃな、妾も不思議に思っておった」

「うん、不思議なの……」


 クリス、プテレア、シャルの三人がそれぞれに疑問を投げかけてくる。

 シュウはポリポリと後頭部を掻く。


「んまあ……料理人の横のネットワークは広いんだよ。友人や先輩、後輩が新しく店を開くときとかに手伝いに行くこともある。そこで教わったりしたものが多いな」

「それで中華や洋食なんかも覚えたの?」


 クリスが尋ねると、シュウはこくりと頷く。

 調理師学校での同級生や修行先の親方、若手料理人の集まりだけでなく、近所の店との付き合いなどからネットワークはどんどん広がっていく。実際に店を持つようになると手伝いに行く機会は減るが、今でも声がかかることもある。


「なるほどなのじゃ……ではそろそろ、じゃんけんで順番を決めるのじゃ」


 プテレアの一言でじゃんけん大会がはじまる。


「「「さいしょはグー」」」


 もちろん、まだじゃんけんを覚えたばかりのエドガルドにシャル、プテレアが加わっているので、ここでパーを出すようなことはない。

 クリスはそういう「ネタ」を知っているが、他の三人の目つきが怖くてできる状態ではない。


「勝ったの!」


 ひとり、チョキを出したシャルが嬉しそうにガッツポーズをしながらくるくると回って喜びを表現している。


「おめでとう!」

「悔しいけれど仕方がないのじゃ……」

「うむ」


 じゃんけんというのは比較的公平に勝敗が決まると考えられているが、人間というのは必要以上に力が入るときは手を握ってしまう傾向がある。

 それを、知っていたクリスは最初にパーを出す。

 負けず嫌いなエドガルドとプテレアはグーを出し、欲がないシャルがチョキを出すことで「あいこ」に終わる。

 次に、クリスはエドガルドとプテレアがパーを出すと思い、グーにしようかと一瞬迷うのだが、更に裏をかくつもりでパーを出す。

 だが、エドガルドとプテレアは一回目で力が入っていたことを反省したのか、クリスの最初の予想どおり、パーを出す。

 そして欲がないシャルは一回目と同じチョキを出して勝利を得たという裏がある。無欲な者が勝つことが多いのは世の常というものかも知れない。


「じゃあ、次にハンバーグを作るときはチーズハンバーグということでいいかな?」

「それでいいの!」


 シャルが嬉しそうにくるくると回りながら返事をすると、シュウは念のために釘を刺す。


「といっても、明日というわけでもないぞ。次にお義父さんが来る日にハンバーグを作ることがあれば……ということだからな?」

「ええーっ?! せっかくじゃんけんに勝ったのに……」


 これから毎晩ハンバーグというわけにもいかない。また、来るたびにハンバーグというのもエドガルドには辛い。そのあたりも考えてのシュウの発言なのだが、普段はおとなしいシャルが、ピンクの瞳をうるうるとさせてシュウを見つめ、我が儘を言おうとする。しかし、何かに気が付いたように少し目を大きく開くと、すぐに表情を消す。


「しかたないの……」


 シャルはそのまま俯くと、食べ終えた皿を重ね、厨房の流し台に運ぶ。

 その姿を見ていたクリスとシュウは、すぐにシャルのもとへ動くと、視線を合わせるように屈んで話しかける。


「シャルちゃん、そんなに気を使わなくていいのよ」

「クリスの言うとおりだ。日本には「同じ釜の飯を食う」や「ひとつ屋根の下で暮らす」という言葉がある。苦楽を共にした仲間として……血がつながってなくても、オレにとってシャルは妹みたいなものなんだよ。甘えたいときは甘えていいんだぞ」


 シュウが話す間に、クリスはそっとシャルを抱きしめる。


「わたしもシュウさんと同じ……シャルは妹だよ」


 シャルの顔がくしゃりと崩れると、堰を切ったように目から涙が溢れ出す。ぽろぽろと大粒の涙が床に落ち始め、漸くシャルの口から音が漏れる。


「うえぇぇぇえええん」








 シャルは暫く泣き続けると、疲れてしまったのか和室で眠ってしまった。

 クリスやシュウは、シャルが銀兎亭のレヒーナと遊んでいると口数も増え、笑顔も増えるということを知っていた。

 恋人関係のクリスとシュウへの遠慮、領主の娘であるクリスへの敬意、一日の短い時間に仕事と食事を与えてくれるシュウへの敬意など、様々な要因がシャルを無口にさせていた。だがこれは、その心のたがを外すいい機会になった。


 エドガルドはさすがに居心地が悪かったようだが、シュウが出した秋刀魚の刺身と純米酒で根が生えたようで、プテレアと二人で酒盛りを始めていた。


「ところでお父さま、シャルの父親のことだけど……」


 明日も営業するので、クリスは酒を控えている。

 エドガルドはかなり出来上がってきているが、さすがに領主というのは乱れることがない。


「ああ、そうだな」


 赤い顔をしながらも、エドガルドは努めてまじめな顔を繕い、話し始める。それでも目はとろんとしていて、少し眠そうだ。


「領軍に確認したのだが、三年前にフムランド王国側が突然侵攻してきたことがあった。その際に、アプリーラ村の者を含む五名が捕らえられた。そのうちの一人がロイクだということだ」

「ええっ!」


 冷静に事実だけを伝えるエドガルドの言葉に、クリスは正反対の驚きの声をあげる。

 目は大きく開かれ、あんぐりと口も開いたままだ。


「ってことは、フムランド王国で……って、どういうこと?」

「そういうことだ」


 クリスはロイクがどうなったのかを知りたいという意味で尋ねたのだが、期待したような返事ではない。


「そういうことって……そのあと、ロイクはどうなったの? わからないの?」


 クリスがしつこく尋ねると、エドガルドは苦い顔をして話す。


「フムランド王国には奴隷制度がある。そして、戦争で捕虜にした者は奴隷として売買されていると聞いている。ただ、ロイクという男が奴隷として売買されたことは確認できていない」


 少し酔いが覚めてきたのか、エドガルドは鋭い目つきでクリスを見つめる。

 射竦いすくめるような領主エドガルドの眼光はなかなかに迫力があり、クリスは言葉を発することもできなくなる。


「そして気になることもある。シャルロットという名前、ロイクやアルレットという名前だ。この国では一般的ではない名前でな……フムランド王国に多い」


 日本酒に酔い、とろんとした顔をしていたプテレアが退屈そうに欠伸あくびをすると、突っ伏して眠りについた。

 クリスはエドガルドの目が「黙って聞け」と言っていることを理解しているのか、エドガルドを見つめ返している。シュウは仕込みの続きをしながら聞き耳を立てている。


「更に、母親が魔法を使うことができ、読み書きや計算まで教えたとなるとそれなりの家の者ということになる。そこから先はフムランド王国に送り込んでいる間者の調査待ちだ」


 エドガルドはグラスに残った日本酒をくいと流し込む。


「以上だ。フムランド王国は遠いからな、調査には時間がかかる」


 クリスを見つめていたエドガルドの眼光が途切れ、話すことが許される。

 だが、得られた情報は悪い情報ではないが、良いともいえず、クリスはすぐに言葉にすることができない。


「うん、わかった」


 クリスとシャルが一緒に暮らしはじめてまだ二週間しか経っていない。だが、既に店の会計も任せることができるし、実際に火を操るところも確認している。

 先ほどまで自分が迷惑をかけていると思い込み、何かと遠慮して暮らしてきたシャルのことを思い出し、ただ頷くだけにとどめた。

 そのクリスの頷きを見ると、エドガルドは大きく背伸びをし、クリスを見つめて尋ねる。


「ところで、下水事業の方だが状況はどうだ?」

「先週の大雨で川や堀が濁ってしまって、調査は難航中という感じかな? 日本で検査に出しているから、あと三日くらいでわかるみたい」


 プテレアに会った日に汲んだ堀の水だけでは足りず、クリスが空間転移を繰り返して何カ所かの水を採取しており、それを日本側で調査依頼しているところである。サン・リブレムの上流と、マルゲリット内に流れる旧堀と外側の新堀など複数の場所で採取した水は、飲用にもできる水質があるのだが、念のためというニュアンスが強い。


「その結果次第で上水道の作り方が決まります。それに、上下水道を工事する際にはプテレアのためにも栄養がある土を埋めていく必要があります」


 洗った包丁から水を拭き取りながらシュウがやってくる。


「もう少しだけ、つきあってくれませんか?」


 シュウは新しい一升瓶をどんとカウンターに置くと、新しいグラスに注いでエドガルドと水道関連についての話を始め、夜が更けていった。

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