第46話 銀莵亭
「いやあ、ようやくシュウさんをお客さんにすることができて、とても嬉しいよ」
「こちらこそ、こんなにいいものが手に入れられて、本当に嬉しいですよ」
ほとんど言い値で売れたうえに、初めてシュウ達と取引ができたマルコはホクホク顔だ。
シュウにとっては特に日本で売るつもりなどまったくないが、珍しい青磁の茶碗が手に入ったことはとても嬉しいことのようで、マルコに負けない笑顔を見せている。
食器類はお揃いのものを選ぶようにしてきたクリスは、シュウが独断で青磁の茶碗を買ったことに少し呆れたような表情をすると、長めの溜息をついた後にニルダに話しかける。
「それでは、料理のレシピをお教えするのは、材料の仕入れルートを確立してからということでいいかしら?」
「ええ、単純に原価を考えるとパンシチューだけでは厳しいけれど、パンの中身をラスクにして売れるのならそちらの利益も考えられますからね」
クリスはニルダとレヒーナがパンシチューを気に入り、銀兎亭の役にたつことができそうだと胸を撫でおろす。ただ、気がかりなのは仕入れにマルコが関わろうとしてくることだ。
「マルコさんは行商人なんだから、毎日同じ商品をグリーンス牧場から運んでくるわけにもいかないと思うけれど……」
「ええ、日持ちさせる方法はないものかしらね」
菌の存在を知らず、殺菌の方法も知らない
マルコが考えると言っていたのだから任せれば良いことなのだが、幼い頃に世話になったニルダのためなら、つい力になりたいとクリスは考えてしまう。日持ちを優先するなら店の冷蔵庫に保存できるし、クリスは一度行ったことがある場所なら、空間魔法を使って移動することもできる。ただ、それはマルコには不利益なことであるし、ニルダに余計な気遣いをさせることになる。
「そうよね……」
ニルダの言うとおり、日持ちさせることができれば牧場に毎日仕入れに行く必要もなく、そのぶん輸送料も節約できて、銀兎亭としても楽になるだろう。
そんなことを考えながらクリスはマルコやシュウから目を逸らし、何か楽しそうに話をしているシャルとレヒーナが目に入る。よく考えてみると、シャルがマルゲリットの街に来て漸く一週間が経とうとしているが、同い年くらいの少女と会うのはこれが初めてのことだ。そのことを思い出すと、シャルのことが心配になるのか、クリスの表情は少し暗くなる。
すると、シャルはレヒーナとヒソヒソと話をすると、クリスの手を握って注意を惹いて、尋ねる。
「クリスおねえちゃん、ごはんのあと、レヒーナのところに行ってきてもいい?」
「え? いいけど、ひとりで行くのはダメよ。銀兎亭までわたしかシュウさんが送るし、日本の営業が終わったら迎えに行くけどいい?」
「うんっ! それでいいのっ」
恐る恐るといった感じで尋ねる顔が、ぱあっと花開くように笑顔へ変わる。そして、「ありがとうなのっ」といつものように礼を告げると、またレヒーナの下に駆け寄り、話を始める。
ほんの少しの間でも、同年代の同性の子と話すことができ、一緒に遊ぶ約束が取れたのだとクリスは気がつき、嬉しそうな笑顔をみせた。
しばらくの間は店の前で話をしていたが、マルコとニルダ、レヒーナは銀兎亭に戻っていく。
程なく朝三つの鐘が鳴り、クリスが店を閉める準備を始める。
「ただいまなのじゃ」
「おかえりなさい。今日は少し時間がないから、早く中に入るわよ」
「お、おう……」
クリスを驚かそうとしたのか、店頭に置いた鉢植えからプテレアが突然現れるのだが、クリスは何事もなかったかのように対応する。
植木鉢になっているブリキのバケツを店内に運び込むと、店の暖簾を店の中に取り込み、引き戸を閉める。。
クリスから特に反応が返ってこないことにプテレアは少し悔しそうな表情をしているが、厨房から漂う少し甘い香りに気が付いたようで、くんかくんかと匂いの中身を分析しようとする。
「美味そうな匂いがするのじゃぁ」
「今から朝食を食べたら、クリスがシャルを銀兎亭に連れて行くから、すぐにごはんにするからな」
「はーい」
そう言って、マルコとニルダ、レヒーナに出したパンシチューの残りを温め、パンの器に流し込んでいく。
一つずつ、皿にのせてカウンターに運ぶと、そこにはクリス、シャル、プテレアの三人が並んで待っていて、クリスが大事なことに気づく。
「ああっ! パンは六つしか買ってないじゃない」
「そっ……そうだな……」
マルコとニルダ、レヒーナに出した分を考えると、残りのパンは三つなのだから、足りていない。
完璧にプテレアのことを忘れていたようで、そのことに対する後ろめたさもあって、シュウは少し残念そうに眉を下げると、三人にパンシチューを並べて出す。
「シュウおにいちゃんはどうするの?」
「そうよ、まだ働いてないプテレアは無しにして、シュウさんが食べなよ」
「えっ? ダメじゃ、妾も食べるのじゃ。こんなにいい匂いがするものを食べられないなんて、妾に対する拷問なのじゃ……」
三者三様の反応を示すのを見て、シュウはポリポリと頭を掻くだけだ。
「わたしは違うのでいいの。シュウお兄ちゃんが食べてなの」
「ううん、わたしもよく考えてパンを買ってこなかったから……わたしの分を食べて」
「う……忘れられてたのは妾じゃから、妾は被害者じゃ……」
「ええっ! そこはプテレアが「妾の分を食べて」と差し出したら、わたしとシャルが「どうぞどうぞ」ってするところでしょう!」
なぜかクリスからボケ指導が入り、テレビを見て知っているシャルが「うんうん」とその指導内容に同意をしている姿を見て、シュウは少し安心する。
プテレアは予想外の理由でツッコミが入ったことに驚いたようで、目をぱちくりとさせているが、今夜にでもテレビを見ると理由はわかるだろう。
そして、シチューは中途半端に残っているので、それと一品あればご飯を食べることはできる。
「パンがないなら、ごはんで食べるから遠慮しなくていいよ。
それよりも、クリスがシャルを銀兎亭まで送って行ってくれないか? だし巻きを焼いておかないといけないからな」
「ええ、わかったわ」
「だから、先に食べてていいぞ」
「「「いただきまーす」」」
その声で三人の木匙が動き出し、「むほっ」「うおっ」というような声が聞こえてくる。
シュウは鍋のところに戻り、残ったシチューをスープ皿に取る。そして少し考えたあとに、茶碗にごはんを装い、だし巻きを二切れほど小皿にのせる。すべてを丸いトレイに置くと、カウンターの三人のところに戻って座る。
「いただきます」
いつもよりも早く、クリスとシャルは食事を終えると、手をつないで交流街に向かって歩き出す。
今日はクリスが送ることになったが、プテレアでは交流街に根が広がっていないので行動に制限があるし、誘拐や暴力沙汰になるようなことがあってもシュウでは役に立たないことをクリスはしっかりと理解しているので、今後も銀兎亭に行くのであればクリスが付き添うことになるだろう。
クリスとシャルはマルゲリットの街に出る。宿屋は基本的に大門の近くにあり、銀兎亭に行くには先ず大門を目指して行くことになる。店からは大人の足でも数分で着く距離だ。そこから、店とは反対側に大きな建物……商業ギルドがあって、その近くに商業ギルドが所有する倉庫が並んでいる。その倉庫街の入り口近くにあるのが銀兎亭である。
商人が最も贔屓にされる理由はその立地にあるが、この場所に宿屋を建てることができるという時点で、ある程度の歴史があることを窺わせる。もちろん、窓や扉の装飾も凝っていて、見た目でもそれを証明している。窓にガラスは使われておらず、木の板で開け閉めできる程度のものではあるか、基本的に人がいる部屋と、夜間は閉じられるようになっている。今は中天前なので全て開いた状態だ。
宿の中に入ると、ニルダが店番をしているらしく、明るい声をかける。
「まあ! お嬢様がいらっしゃるなら、お迎えに行かせますのに」
慌ててニルダが飛び出してくるが、クリスはそれを制する。
「あ、レヒーナちゃん!」
シャルはレヒーナを見つけると声をかけて、駆け寄っていく。
「いいのよ。領主の娘と言っても兄もいることだし、どこかの貴族や知らない土地の領主の下に嫁入りするくらいなら、こうして好きに生きたいって思って勝手なことをしているんだから」
「お嬢さま……」
少し遠くを見るようなクリスに見てニルダは言葉を失い、眉尻を下げた心配そうな表情に変わる。
「それはお嬢様にとってはそうかも知れませんが、エドガルド様は認めておられるのですか?」
「母の遺言でもあるし、わたしが言い出したら止まらないことも知ってるから大丈夫だと思うわ。ただ、いまは一つ課題があるけどね」
課題というのは、日本に連れて行くことなのだが、それを知らないニルダはその「課題」がとても気になる。
ただ、クリスが話そうとしない以上、掘り下げるにもいかないようで、心配そうな表情を崩すことなくクリスを見つめる。
「なんか、うちのシャルロットを預かってもらうようなことになるけど、ごめんなさいね。昼二つの鐘の頃には迎えにくるから」
「いえいえ、うちのレヒーナが誘ったようで申し訳ございません。ところで、シャルロット様はクリスお嬢様とどういうご関係なんですか?」
アプリーラ村の襲撃事件から一週間しか経っておらず、最近になって村を経由して入ってくる旅人や行商人からその惨状が少しずつ伝わり始めている頃ではあるが、行商人に扮した男が下調べに来ていたという情報もあるので、この件に関する箝口令は取り消されていない。とはいえ、街に出入りする行商人が数多く宿泊する銀兎亭であれば、ある程度のことは知っているだろうとクリスは考え、話すことにした。
「シャルは、一週間前に盗賊に襲撃されたアプリーラ村の唯一の生き残りなのよ」
「まあ!」
ニルダは慌てて両手で口を塞ぐと、そこから先の言葉を失う。
「父に報告しようと夜通し走り続けて街に来て、うちの近くで倒れそうになって歩いているところを保護したの」
「ということは、ご両親もご兄弟も……」
「父親は兵役に行ったまま帰って来ていないそうで、今は父が調べてくれているところなんだけど、母親は襲撃の数日前に病気が原因で亡くなったそうよ」
「そうなのですね……」
クリスはニルダの手を握り、優しく、だが信頼を込めた視線でニルダに話しかける。
「シャルはとても心が強い子よ。口数は少ないけれど、それは今の自分が置かれた状況をすべて受け入れようと戦ってる姿のような気がするの。
同い年のレヒーナが友だちになってくれたのなら、とても心強いわ」
「うちの娘にどれだけのことができるかわかりませんけれど、よく言い聞かせておきますね」
「じゃぁ、わたしは仕事があるから店に戻るね。あとで迎えに来るから。あと、シャルのことは他には話さないでね」
クリスが店に戻ると、すぐに日本での営業時間になった。
営業を終えると、シュウとクリスはぐったりと疲れる。はじめての仕事で張り切ったのか、振り切ったのかはわからないが、プテレアは舌好調で、頼んでもいないのに飲み屋のママさん状態になり、気疲れしてしまったのだ。ただ、黙っていれば美少女であるのは間違いないので、お客さんも満更でもないようには見えた。客足に明らかな影響が出るようなことはないだろう。
一休みすると、シュウとプテレアは明日の仕入れに向かい、クリスはシャルを迎えに行くことになる。
「ああ、シャルを迎えに行ったら、厨房を見せてもらってきてくれ。どんな設備があるか確認しておいて欲しいんだ」
「ええ、わかったわ」
シュウとプテレアが裏なんばの街に出ていくのを見送ると、クリスは独りごちる。
「プテレアの子守りの方がよほど大変だと思うから、いいわよね……」
数時間前にも歩いた道を行けば、何事もなく銀兎亭に到着する。カウンターには店主のジェリーが座っている。昼三つの鐘が鳴る時間なので、大門が閉じられる前にマルゲリットに到着した行商人たちがやってくる時間でもあるので当然ではあるが、レヒーナと遊んでいる少女を迎えに来るのが領主の娘というのも理由のひとつだろう。
「姫様、ようこそお越しくださいました」
典型的な平民であるジェリーが直接領主の娘と話をする機会など滅多にあるわけがなく、タイミングや内容などよくわかっていないことがわかる挨拶をされて、クリスはくすり笑うと、いつもの調子で話しはじめる。
「街にいるときのわたしはただのクリスという娘ですから、気楽に接してくださいね。それよりも、厨房を見せていただいてもいいですか?」
「ええ、どうぞこちらに」
ジェリーの案内で厨房に入ると、中央には大きな調理台があり、壁際には大きな石窯が一つと、いくつかの竈がある。食堂につながる出入口の近くには大きな水瓶が二つあり、木で蓋がされている。その隣には食材や皿を洗うための洗い場があって、その向こうには食材を収納している小部屋につながるのであろう扉がある。
だいたいの構成と、置かれているものを日本のメモ帳に書きながら見て回ると、ジェリーに向かって尋ねる。
「今日、ニルダとレヒーナがうちの店に来たけど、こちらの宿で『パンシチュー』を出すってことでいいのね?」
「はい、私はまだ食べていませんが、あの二人が絶対に名物になるというのなら間違いないでしょう」
「ジェリーさんは食べに来ないでいいの?」
「もちろん、近いうちに食べに行きたいと思っていますよ。『パンシチュー』を作るのも大事ですが、ずっとこの街で生まれ育ったので他の料理も食べてみたくて仕方がないのです。マルコさんの話ですと、生きた海の魚も扱っておられるということですし、珍しい『米』を中心にした料理の組み立てにも興味があります」
何かスイッチが入ったのか、熱く語り始めたので、かなり本気で食べに来たいと思っていることを感じると、クリスは少し引き攣ったような笑顔を見せる。
ひととおり話を聞いたところで、宿屋のカウンターに戻ると、ちょうどマルコが戻ってきた。
「おや、クリス様じゃないですか。シャルちゃんのお迎えですか?」
クリスの本当の身分を知ったせいか、マルコの接し方が少し丁寧になっているのだが、いつもと雰囲気が変わるとクリスも居心地が悪くなる。
「ええ、そうよ。マルコさんは商売の帰り?」
「はい、グーリンス牧場のヤコブさんと取引するためにウォーレスさんのところに行ったり、いろいろです」
機を見るに敏なところは、流石に行商を主にするとはいえ商売人である。いや、いろんな街を巡って商品を仕入れては次の街で売り歩くことができるということは、それだけ売れるものを見分ける力があるということだろう。
「ところで、マルコさんの宿泊はあと二日の予定だけど、それでいいのかい?」
ニルダが今後のマルコの予定を確認すると、意外な返事が返ってくる。
「ああ、行商仲間の者たちに誘われてね。三日後の早朝に王都に向かい、そこからフムランド王国近くまで進んで海を回ってから戻ってくるよ。三か月くらいの旅になる」
「恐ろしく急な話ですね」
「冬に近づけば大規模な仕入れが必要になるからね、予定通りといえばそうなんだが……仲間の予定もあるから仕方がないんだよ」
そう語るマルコの横顔には少し寂しさのようなものが漂っているが、引き留めるということはできない。
マルコが生きるために選んだ道であるし、これからも先、いろんな街で繰り返される出会いと別れなのだろう。
「それじゃ、明日は無理だけど、明後日は特別に美味しいものを用意しておきますね」
「ありがとうございます」
クリスが言うと、マルコは嬉しそうに笑った。
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