第45話 ラスク
シュウは厨房に戻り、大きな皿を持ってくると、三人の中央にごとりと音を立てて置く。
「『パンシチュー』だけでは寂しいですから、こちらも召し上がってください」
「これはなんだい?」
三人の中央にはニンジン、かぼちゃ、サツマイモなどの野菜や根菜が盛りつけられたサラダのようなものが用意されている。そのサラダには上から胡麻を使ったドレッシングが掛けられて、香ばしい香りが漂っている。
「温野菜のサラダです。その『パンシチュー』だけだと物足りないでしょう?」
「ああ、これだけ根菜や野菜があると腹も膨れる」
「ありがたいです」
レヒーナが嬉しそうに笑顔を見せると、シュウはニルダとレヒーナに向かって尋ねる。
「これなら名物料理になりそうかい?」
「ええ、間違いないですわ」
「うん、絶対になりますよっ」
「王都でもこんなに旨いものはないからね。わたしも保証するよ」
尋ねていないマルコまで返事をしてくるが、そこまで評価してもらえるのなら間違いないだろう。
あと気になるのはコストだ。
日本の食材を使って作ったシュウは何も考えていないが、銀兎亭で料理を出すとなると、しっかりとした利益構造が必要だ。
「収支計算したうえでどうするかを最後は決めることになるかも知れないわねぇ」
「毎日満室じゃないし、マルコさんみたいに朝食無しの人もいるもん……」
ジト目でレヒーナがマルコを見ると、マルコも少しバツが悪そうな表情になる。それでもマルコにはこの朝めし屋で食事をとる理由がある。
「おいおい、わたしがここで朝食を食べていなかったら、名物料理も生まれないかもしれなかったじゃないか」
「う……そうね……」
マルコの反撃にあって、レヒーナも少し怯むのだが、少しずつ場が解れて笑い声も混ざる。
「『牛乳』や『バター』はヤコブさんのところに相談すれば、新鮮なものが届くようになるかもしれないわ」
「グーリンス牧場から直接買えるなら安くできそうね」
「そ……それはわたしの商売が……」
中間業者である行商人のマルコが軽く悲鳴をあげる。
「そういえば、『豚肉』の『ベーコン』もグーリンス牧場から買えるし、野菜も街で買えるわね……」
「いやだから……」
マルコが焦る様子を見て楽しそうにするニルダとクリスは、完全にマルコを弄って遊んでいる。
それを見ているレヒーナはマルコに同情の目を向けるが、商売としてこのパンシチューを出したいと思っているし、例え十歳の女の子であっても仕入れとの兼ね合いはとても大切なことだとわかっている。
「でも、『豚肉』の『ベーコン』は手間もかかっているぶん、どうしても高くなるわ……」
「グーリンス牧場からの『牛乳』や『バター』の値段を考えるとそれなりに高い値段になってしまうわね……」
安価に宿泊できる、商業ギルド近くの宿というのが売りの銀兎亭としては、一回の朝食代が基本の宿泊費を上回るような価格設定はできない。また、夕食の料金を超えるのも考えものである。
「一泊二食で三百ルダールくらいにしておきたいわねぇ……」
「朝夕の二食で今は素泊まりの半額分にしていて、朝食は大体五十ルダールくらいにしておきたいねっ」
レヒーナとニルダはスプーンでシチューを救ったまま、溜息を吐く。
「これはオレたちの賄いも兼ねてまとめて作ったんだが、使ってる素材そのものも少し違うから、ニルダさんの宿だともっと簡単に作れるんじゃないかな」
「どういうこと?」
助け舟を出すようにシュウが発言すると、クリスも気になるのかつい尋ねる。
「うちの店で扱ってる『牛乳』より、グーリンス牧場の『牛』の乳は脂肪分が多くて濃厚なんだよ。だから、『バター』を使わなくても美味しくできるかもしれないってことさ」
「でも、最初に『バター』で『小麦』を炒めないととろみが出ないんじゃないの?」
「『小麦』の粉っぽさや臭みをとるのが目的だから、最初に『ベーコン』を炒める時に『小麦』を振りかけておけばいい」
「じゃあ、『ベーコン』と『牛乳』だけということね……」
シュウとクリスの話を興味深そうに聞いていたレヒーナが、呟く。
「今回はオレたちの賄い分も作ったから、全部で六皿分だ。使ったのは『タマネギ』がひと玉、『ジャガイモ』を六個、『ニンジン』を一本、『小麦』を木匙二杯分くらいかな。『ベーコン』はこれくらいだ」
シュウは、両手で使ったベーコンの大きさを示す。縦が四センチ、幅が二十センチ程度の大きさで、マルゲリットの街でも普通に売られている大きさだ。
「使った『牛乳』の量は、その湯呑み三杯ってところだな。
これで原価はどれくらいかかりそうだい?」
シュウが必要な食材を並べて、必要な原価を尋ねる。
「そうね、パンは宿で焼いてるから原価を六ルダールとして六人分で三十六、『ジャガイモ』が六個で六ルダール、『ニンジン』が二ルダール、『タマネギ』は二ルダール……」
ニルダが考え始めると、シュウは厨房に戻る。
「『ベーコン』はあの大きさだと三十ルダールくらいかしらね。問題は、『牛乳』だわ……」
「ハーフサイズの乳壺だと、二十ルダールくらいだねっ」
乳壺は二十リットル程度入る運搬・保存用の壺で、ハーフサイズであれば十リットルほど入っていることになる。シュウが先ほど示した量は、約五百ミリリットル程度ということなので、二十人前くらいは作れることになる。
「六人前で合計八十一……、一人あたりでは十四ルダールってとこかしら」
クリスはこっそりと電卓を使って計算する。
みんなからは見えない場所に置いてあるので問題ない。
「採算は取れることは確認できたんだから、『パンシチュー』をうちでも作ってみたいなっ」
少し残念そうにニルダが肩を落とすのだが、レヒーナは前向きだ。
「それに、中に入れるのは『シチュー』じゃないといけないってわけじゃないもんっ。『ポトフ』にしてもいいと思うよっ」
「そうよ、これをヒントにいろいろと改善すればいいじゃない」
それを後押しするようにクリスがフォローする。
厨房に戻ったシュウは、硬いパンの中身を拍子木状に切り揃えてバットの上に広げると、鍋で溶かしたバターを丁寧に刷毛で塗っていく。元々が硬いパンだから、なかなかバターを吸ってくれないのだが、仕方がない。
数が多いのでじっくりと作業をしているが、その間にもテーブル席からはあーでもない、こーでもないといった声が聞こえてくる。
ある程度の原価計算ができて、予定原価に抑えるためにどうするかということについて、今は話題が変わっていることもわかる。
バターを全体に塗り終わると、最後に上から砂糖を篩にかけて、全体にまぶしてできあがりだ。
皿に盛りつけて、テーブル席に戻る。
「お待たせしました、くり抜いたパンの中身を使った『ラスク』です。
まだ熱いので柔らかいんだが、冷めるとサクサクとして食べやすいお菓子です」
ことりと置かれた丸い皿の上には、拍子木状に切られたパンに、砂糖が雪のように振りかけられた食べ物で、バターを吸ったパンが
「いっただきまーすっ」
周囲への遠慮をすることもなく、レヒーナは手掴みでラスクを取り、パクリと齧り付く。
バターの香りがふわりと口から鼻に広がり、脂の甘みと砂糖の甘みが舌を包んでいく。
くわっと目を開いたレヒーナは、右手に食べかけのラスクがあるにも関わらず、次のラスクを左手にとる。右手のラスクがみるみるうちに口の中に入っていくと、左手のラスクを口に入れて、右手に次のラスクを取る。
「レヒーナ!お行儀が悪いですよっ!」
「ふゎっへ、ふっふぉふふぉいふぃんふぁふぉん(だって、すっごくおいしいんだもん)」
欲張りなハムスターのように頬の中にいっぱいラスクを入れたレヒーナを見て、カウンター側の客の相手をしているシャルもつい笑い、クリスやマルコも俯いて声を殺して肩を震わせる。
パンは比較的大きく、マルコには少し量が多かったようだが、後から出てきたラスクくらいなら摘めると口に運ぶ。
「これは甘さもちょうどいいよ」
「くり抜いたパンの中身がこんなお菓子になるなんて……」
ニルダもラスクを上品に齧りながら、感想を述べる。
「『ラスク』は水分を飛ばした『パン』に、溶かした『バター』を塗って、砂糖をふりかけるだけの食べ物だから、簡単に真似できるはずだ」
「残った『パン』で作れるなら、おやつとして売りに出すのもいいと思うわ」
シュウが簡単に作りかたを説明すると、クリスも銀兎亭で売ることを勧める。
「これならまとめて作れるねっ」
「ええ、それを一本づつ売れば安くできるし、食後のお菓子にもなるわね」
今度は、パンシチューの話から、ラスクのことに話題が変わり、またあーでもない、こーでもないと話が始まる。
「ところで、どうやって作り方を教えればいいんだ?」
話を変えようと、シュウが尋ねるのだが、その内容はもっともなものだ。
この店の設備は地球のガスコンロを主体にしたもので、それを使った調理をレヒーナに教えるのは無理がある。
例えば、安価な若鶏の手羽元を使うにしても、練習用の食材の準備も含めてお金がかかることにも違いはない。
「作り方のこともあると思うんだが、食材の仕入れ経路を確保すること必要もあるから、少し時間を貰えるとありがたい」
「それは、『牛乳』や『バター』、『ベーコン』を安定的に手に入れる方法をマルコに任せてほしいってことかしら?」
「そのとおりだよ。わたしが取り持った話でもあるのだから、少しは美味しい汁をいただきたい」
商人としては当然の考え方で、宿屋とはいえ商売をしている立場のニルダにもマルコの気持ちはよくわかる。ただ、マルコは行商人なので長期に不在となることもあり、毎日のように新鮮な『牛乳』が必要になることを考えると、マルコの商売にも影響を与えることが予想され、簡単に返事ができない。
「あんた……雨の日も、雪の日も毎日、『牛乳』を運んでくれるというのかい?」
「そっ……それは少し時間がある。なにか方法を考える」
「なんにせよ、いろいろと準備は必要みたいね」
クリスのひとことで、この場ではすべてがまとまらないことを理解したマルコやニルダは残ったパンシチューと蒸し野菜のサラダを食べる。
「周りの『パン』を食べながら『シチュー』を食べていくというのは、なかなか楽しい食べ方だわっ」
「そうね、表面は硬いから食べ辛いけれど、この食べ方なら中は最初から汁に浸かってるようなものだから柔らかく食べられるわね」
「これ、皿が汚れないから、皿洗いが楽だわっ」
パンシチューのいいところにも気がついたレヒーナは、少し嬉しそうだ。
「この様子だと、教える方まで話が辿りつかなそうだな……」
ニルダとレヒーナの様子をみて、シュウがひとり呟くと、最後に溜息を吐く。
「ああ、うちの亭主に話をして、どうするか決めさせてもらうわ」
「そうね、ジェリーとも話をして決めてくださいね」
ニルダの返事に、クリスが同意する。
マルゲリットの街でも一般的な食材を使っているとはいえ、銀兎亭の亭主としても事前に味を確かめたいだろう。ジェリーが魅力を感じる食べ物かどうかということも非常に重要なところでもあるので、この場で決まらないのも仕方がない。
「とりあえず、うちの厨房で作って出すわけじゃないから、教えることになっても銀兎亭でってことになるので、そこは忘れないでください」
「ええ、ジェリーに言っとくよ」
一番大事なところを説明できたので、シュウは軽く溜息を吐くと、厨房へ戻ろうとする。
「ところでシュウさん」
マルコがシュウに声をかけるので、シュウが振り返る。
「どうしました?」
「これを見てほしいんだよ」
マルコが荷物からいくつかの食器を取り出して並べていく。
並べられていくのは少しくすんだ乳白色の皿で、青い模様が描かれた皿や茶碗だ。
「触ってもいいですか?」
シュウが尋ねると、マルコはもちろんだという目で頷く。
マルコが持ってきた食器は、日本であれば古伊万里のような磁器だ。
柿右衛門のような赤い釉薬を見つける人がまだいないのか、並んでいるのはほとんどが青の線が描かれたものだ。緑や黄色で模様が描かれたものもあるが、使われている量は少ない。
白地に青で描かれているので、どうしても冷たい印象がある食器に仕上がっているが、手書きの模様にもかかわらず、判で押したように仕上がっていて、同じものが五枚ずつ用意されている。
シュウは一つひとつ、手で持ち、確かめるように皿や茶碗を見る。その目には少し輝きが増していて、とても興味を惹かれていることがわかる。
「とてもいいものですね。これはどちらで見つけたんですか?」
「先日行っていた宿場町で、他の行商人が持っていたものを譲ってもらったんだよ。なんでも、西の果てから来た異国の人たちが住む街がマルゲリットの南東にあるらしい」
「その街の名前、聞いてきました?」
マルコの話に興味を持ったクリスが割り込んでくる。
「ああ、確か……ヤーホンとか、ヤポンとか……そんな名前だったな」
「そこにいる人たちの特徴は聞きましたか?」
「ああ、みんな髪が黒くて変わった髪型をしているとは聞いているが、それ以上はわからないよ」
食器のことよりも、入手経路のことを深く聞かれて、少しマルコはムッとするのだが、行ったことがないので知らないのだ。
「ここから遠いんですか?」
「海に近いところと聞いているから、荷馬車で十日以上はかかると思うよ」
「そうなのね。じゃぁ、色々と知りたいことがあるなら、お父さまに話を聞いてみたらどうかしら?」
クリスの意見を聞いて、シュウは頷き、次のエドガルドとの夕食時に話をすることにするよう、メモを書いてポケットに仕舞う。
「ところで、この食器はどうだ?安くしてもいいよ」
マルコはシュウの目をジッと見て返事を待つ。
先ほどの感想や、食器を確認するときの目つきからシュウが強い興味を持っていることに気がついており、期待しているのだろう。
一方、シュウはテーブルの上に並べられた皿や茶碗をジッと見つめ、考えている。
「この、ウサギが描かれた小皿はおいくら?」
「五枚で一万ルダールと言いたいところだが……八千ルダールでどうだい?」
「ひっ」
「お高いわねぇ……」
クリスが二匹のウサギが餅搗きをしている様子を描いた皿を指さして尋ねたのだが、マルコは一枚あたり千六百ルダールという金額を提示したのだ。日本円だと一枚一万六千円というところだ。
それを聞いて、レヒーナは驚いて声にならない音をだし、ニルダも上品ではあるが驚きを込めた感想を述べる。
「その金額だと、観賞用ってこと?」
「そうですね。そこの丸が描いてあるだけの皿は普段使い用だそうで、五枚で六百ルダールというところでしょうか……」
少し、マルコが客を相手にする商人の話し方に変わってくる。
「お父さまに話をするにも、現物の皿がある方がいいんじゃない?」
「似た皿なら、店にあるから無くてもいいぞ?」
この店ではシュウの好みで、備前焼などの焼き締めを使うことが多いが、お手塩や醤油皿には磁器の皿も使っている。マルコが持ってきた皿は、日本に持って行けば価値のある古伊万里のようなモノではあるが、この店では間に合っているといえる。
この皿を日本で売れば高く売れるかもしれないが、出元がはっきりしない骨董品は買い叩かれることも多い上、この食器類は
「では、こちらの皿はどうでしょう?」
マルコが出したのは、表面がつるりとしていてとても美しく、薄い翡翠のような色をした飯茶碗である。口縁には四箇所だけ小さく窪んだところがあり、とてもシンプルだがバランスの良いデザインが施されていると言える。
「おいくらですか?」
「これは一品ものですが、三千ルダールでいかがでしょう?」
「買います」
シュウは然程悩むこともなく、購入を決断した。
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