第37話 グランパラガス(2)

 堀からの水を汲み上げて桟橋につながる坂道を上がってくると、辺りは雨上がり特有の臭いがゆらゆらと風に乗って漂っている。

 街の大門は石を積み上げた城壁に大きく口を開いていて、その向こう側には、グランパラガスの大きな幹がみえる。


「なあ、あの木が街全体の傘なんだよな?」


 シュウはその左手を握ったクリスの右手とともに持ち上げると、大門の奥に見える大きな木を指し示す。


「そうよ。 あの樹が街全体を雨風から守ってくれる、この街の守り神のようなものなの」


 クリスは誇らしげな表情で通りの先に見える大樹の幹を見つめる。


「シャルは、あの根元まで行ってみたいの……」


 シュウの右袖をくいくいと曳き、遠慮した声でつぶやくと、シャルは少し寂しそうに俯いてしまう。


「あの大雨のあとで水も濁っていたし、予定変更って言うことで……いいわよね?」


 そう言うと、クリスはシュウを覗き込む。

 シュウはまだ何か言いたそうだが、シャルに先を越されたので、続きを口にだすタイミングを失い、少し戸惑ったように言葉を続けようとして、飲み込んでしまう。

 シャルが異世界コアで自由に遊べていないことに気が付いたのか、ほんのわずかな間に、シュウの表情には苦笑いが浮かび、笑顔に変わる。だが、そこで大事な何かを思い出したかのようにまた真剣な表情へと変化する。


「ああ、オレは構わないが、あの根元って屋敷から見えてたアレか?」


 シュウが初めてこの世界にクリスに連れられて行った場所は、もちろん旧王城の中にある領主の館である。まずは侯爵であるクリスの父、エドガルドへの拝謁から始まるのだから当然だ。

 その際、控室で待たされているときに窓から見た大木をシュウは覚えていたのだ。


「ええ、そうよ。」


 クリスはシュウの質問に答え、「どうかしたの?」と問いかけるような表情で見上げてくる。


「いや、城の中だよな? それはまずいだろ?」

「ううん、だいじょうぶよ。

 特に貴族じゃないと通行できない場所というわけでもないから安心して」


 グランパラガスが旧王城の奥にあるのであれば不都合もあるかもしれないが、旧王城前の広場にある。

 旧王城も広場周辺は基本的に役人が働く場所で、このマルゲリットに住む者であれば気にせず使用できる場所だから、心配は不要だとクリスは言っているのだ。


「いや、そうじゃなくてだな……」


 ただ、その行政区を領主の娘と一緒に歩くということに、シュウは多少の気おくれがするようで、躊躇うように小声でつぶやくと、先に進みだしたクリスとシャルを追うように歩きはじめた。


 さて、大門を入ると、最初は交流街である。

 シュウの店もこの交流街にあるのだが、最初は旅人たちを迎える宿屋が続き、そこからいろいろな店が軒を連ねるようになる。

 シュウは、デヴィッドやアラン、パメラの店を探してみようと目を配るのだが、ほとんどの店はまだ開店しておらず、外扉を閉ざしているので店内も確認できない。そのため、シュウにはどれが何の店なのかはわからないのだが、穀物や肉類などを扱う店であっても、日本の商店のように店の外に並べて売るということがないということに気がついた。ほぼ全ての店に外扉があって、階段を上がって中に入るような作りになっているのだ。


「この街の店は全部扉の中で商品を買うようになってんのか?」


 シュウは自分が気づいたことを確認するためにクリスに尋ねると、クリスも不思議そうな顔をしてシュウを見る。


「そう言われてみれば、どの店も店内に入って買い物をするわよね……」

「入り口は扉でできていて、引き戸がある店はないな。間口が広い方が中にいろんな商品を並べられると思うんだけどなぁ……」

「まあ、一つは防犯対策よね。中に入るには外扉と内扉があって、二重に鍵をかけられるし……」


 盗賊のような輩が入ってきても、外扉は押して入り、内扉は引いて開けるという構造なら、その扉を開け閉めするスペースに制限を作るだけで強盗の動きを制限できる。


「それに、外扉で外との仕切りを作って、内部と直接繋がらないようにすることで悪臭を防いでいるのかもね」

「なるほどな……」


 クリスの推測は正しく、強盗対策と匂い対策が主目的である。他に、ネズミのような害獣も中に入れないようにするという効果もある。

 そんな興味を持って歩くことで、はじめて街をじっくりと見て歩くシュウも、最初は気乗りしなかったグランパラガスへの道を楽しむようになってきた。

 シュウとクリスに手を繋がれたシャルは、時にふたりの間でぶら下がり、キャッキャッと喜んだり、窓際に飾られた鉢植えの花に興味を持って覗き込んだりと、楽しそうに歩いていて、こちらもたっぷりと楽しんでいることを窺わせる。


「わぁ! すごいのっ……」

「確かにすごいな……」


 あちこちを見て歩き、ブラブラと歩いてきたので一時間ほどかかってしまったのだが、シャルの目の前には一面に広がる芝生があり、中央には巨木の幹が聳え立っている。

 その手入れされた芝生の美しさと、堂々としたグランパラガスの姿に、シャルやシュウも思わず声に出る。


 遠くから見ていてもわからなかったが、魔法の枝葉とは別に、植物としての大きな枝と無数の葉が生い茂っていて、日本人のシュウは「御神木」というレベルを超えた威容さを感じる。


「ぐぎゅるるるぅぅぅ」


 しばらく呆然とグランパラガスを見ていたシュウの耳に、誰かの腹の虫の音が届き、シュウもようやく我に帰る。


「ん?」


 ふと視線を落とすと、シャルが少し恥ずかしそうに俯き、シュウの右袖を引いている。


「お……おなかすいたの……」

「そうね、そろそろ朝三つの鐘の時間だし、お昼にしない?」

「こっ……ここでか?」


 いま、三人がいる場所は行政区の中心で、旧王城の前にあるグランパラガスの前にある広場だ。

 もともと、街の外まで出てピクニックする予定も組み込んでいたのだが、旧王城前という場所の芝生の上でとなると、さすがにまずいのではないかとシュウは考えてしまう。

 だがクリスは、この場所で食事をしてはいけないという法律もないし、父親のエドガルド以外に口を出してくる人もいないことを知っている。いや、寧ろここで食事を始めると、エドガルドが突然の参加表明をしてくる恐れもあることを承知の上で、弁当を出すことを要求しているのだ。


 ほんの少し、シュウはクリスを見つめて考えをまとめていたが、すべてを悟ったかのようにため息をついた。


「わかったよ……」


 シュウの言葉に目を合わせたクリスとシャルが大喜びするが、少し疲れたような表情でシュウは座れる場所を作るべく、背負った鞄からビニールシートを取り出して広げる。

 地面に留めるためのペグも用意してあるのだが、クリスが御構い無しに座ってしまい、シャルもそれに続くようにペタリと座る。

 鞄を誰も座らない部分に置くと、シュウもようやくビニールシートの上に座り、ガサゴソと中からタッパーを取り出す。


 ワクワクといった言葉が似合う表情をしたクリスとシャルは、目の前に出されたタッパーの中身に興味津々だ。今にもシュウの手から取り上げて蓋を開けそうな空気を撒き散らしている。

 シュウは少したじろぐようにタッパーを置くと、次は竹皮でつつんだものを三つ取り出し、水筒や割り箸とともに配る。


「ねえねえ、タッパーあけてもいい?」


 さっきまで涼しい顔をしていたのに、今はお腹を空かせてたまらないという感じでクリスがシュウに問いかけてくる。その雰囲気に、実はさっきの腹の虫の音はクリスのものなんじゃないかとシュウは疑いたくなる。

 その横ではシャルも早く食べたいと願うように、シュウを見上げていて、腹の虫の主探しよりも、早く食べさせることを優先しないといけないことにシュウは気が付く。


「ああ、もちろんだ。

 でも、優しく開けるんだぞ」

「うん、だいじょうぶ」


 シュウとクリスのやりとりを見て、ようやくご飯を食べられるという喜びで、ぱあっとシャルは笑顔を見せる。


 勢いよく開けることで中身をひっくり返さないよう、クリスがそっとタッパーの蓋を開けると、そこは赤や黄色、緑に彩られた宝石のような世界が広がる。

 シャルには見慣れた黄色いだし巻き卵はすぐにわかるのだが、他の料理は初めて見るものも少なくない。クリスは半年は地球で暮らしているので、ほとんどの料理は食べたことがあり、箸でつまむとシャルに説明を始める。


「これは、鶏の唐揚げね」


 そこまで言うと、がぶりと唐揚げに噛みつく。

 衣は必要以上に厚みがないが、サクサクとしているわけではない。

 弁当なので冷えてしまっているが、鶏のモモ肉からは肉汁がじゅわりと溢れ出て、揚げる前に漬け込んだ調味液の味とともに舌の上に広がってくる。衣を咀嚼すると、油を吸った衣から焦げたタマネギの香りと、生姜の香り、摩り下ろしたニンニクの香りが口の中にパッと広がり、鶏ガラスープの味が舌の上で肉汁に混ざり合う。


「ああ、至福っ!」


 クリスの一言に刺激を受けたのか、シャルも唐揚げにかぶりつく。

 漬け込んだ鶏のモモ肉は絶妙な火加減で揚がっている。中心部などは余熱だけで火が通っていてとても柔らかい。

 生姜やニンニクの風味に加え、フライドオニオンの香りを楽しんでいると、今度はガリッという音とともに胡椒の香りが加わる。


「至福ぅ!」


 マルゲリットの街に逃げ延びてからというもの、シャルは日本で暮らしている。だが、多くは店の賄いで食事を済ませているので、唐揚げを食べるのは初めてだった。

 幸せそうなシャルの顔に、シュウはそのことを思い出す。


「ああ、シャルはうちの唐揚げを食べるのは初めてだったな。

 今度は揚げたてを食べような!」

「そういえば、いつもと衣が違うわね?」


 何度か賄いで唐揚げを食べてきたクリスは、いつもとの違いに気がついた。


「ああ、店で作るときは片栗粉なんだが、今日は小麦粉を半分くらい使ってるからな。少し衣が厚いんだよ」


 唐揚げは、片栗粉を多く使うとからりと揚がり、揚げたてはサクリとした衣を楽しむことができるのだが、冷めると一気にベッタリとした食感になる。だから今日の唐揚げには小麦粉を多く使っていて、冷めてもベッタリとしないように工夫されている。

 揚げたてを食べるときと、弁当にするときでしっかりと工夫している姿に少し感心したような表情をするクリスだが、既に唐揚げは三つ目である。

 これでは、シャルに弁当のおかずを説明しきれないので、次はシュウが茶色いだんご状のものを箸で持ち上げる。


「これは肉団子だよ」


 そう言うと、シュウはその肉団子を頬張る。

 ひとくちサイズに丸められた肉は表面をカラリと揚げられているのだが、表面に塩のつぶがキラキラと振りかけられている。


 それを見て、シャルも肉団子に手を伸ばす。


 かぷりと肉団子に齧り付くと、表面を覆う塩の粒が直接舌に触れて味覚に伝わってくる。

 素揚げされた肉は、揚げ油の香りが仄かに広がるのだが、齧った断面からは鶏の唐揚げとは異なり、濃厚な味付けがなされた豚の肉汁が溢れ出してくる。

 その風味は醤油や豚の脂の臭いに加え、餃子にも加えられていた紹興酒の香りによってとても強い。

 生姜の爽やかでピリリとした辛さが舌に伝わる頃には、豚肉の旨味と脂の甘みも肉汁とともに舌に広がり、脳へと刺激する。


「すっごく味が濃くて美味しいのっ!」


 シャルは誰に教わるでもなく、竹皮の包みを開いておにぎりを出すと、肉団子を追いかけるように齧りつく。

 表面はしっかりとしているが、中はふんわりと握られたおにぎりは、口の中ではらりほろりと解れていき、ほんのりと塩の味がひろがる。その塩分は炊き立てのごはんを食べる時よりも甘味を増して感じさせるとともに、冷めてしまっていることを気にさせない。


「ほんと、この肉団子は濃厚よね……」

「冷めることを考えて濃い目の味付けにしてるからな……」


 シュウがその声に反応してクリスを見ると、フォークに肉団子を二個突き刺して、悲しそうな顔をしている。その悲しさは、その右手にビールが注がれたグラスがないことにあるのだが、シュウは気が付いていないふりをする。


「これは、こっちは魚の肉で作った赤いウインナーだ。

 こうやって、タコの形にして炒めるものはお弁当の定番だぞ」


 シュウはそういうと、茶色いウインナーと赤いウインナーの二つを指さし、包丁で細工切りされた赤いウインナーをつまんで、シャルの前に差し出す。

 シャルもその意味がわかったのか、あーんと口を開いてぱくりと口の中に入れてしまう。

 油で炒めることで、タコの形に似た見た目に変わる赤いウインナーは、強い熱と共に揚げられるように火が入っている。つるんとした赤い部分とは対照的に、足になる部分は包丁で事前に切り込みを入れられたうえで加熱されているからか、表面はからりとしているのだが、噛めば中から旨味がじゅっと飛び出してくる。

 そこに魚臭さというものは全くなく、魚肉ならではの淡白さに炒め油による滑らかさが加わり、とても食べやすい。


「これも美味しいのっ!」

「だろぉ?」


 満面の笑みで感想を伝えるシャルなのだが、そのシャルを見るシュウの目には、その向こうに餌を待つ雛鳥のように口を開けて待つクリスが見える。

 シュウは少し呆れたように、腸詰をクリスに齧らせると、残りを自分で食べるのだが、それを見ていたクリスも満足そうに笑顔になっていった。





 シャルも少しずつ慣れ、クリスのアルコールも抜けたようで、遠慮なく食事を楽しむようになる。

 シュウがせっかく作ったブロッコリーの炒めものや、モロヘイヤの胡麻和えなどには目もくれず、鶏のから揚げや肉団子、マカロニサラダのようなマヨネーズ系ばかりを狙うのにはシュウも閉口してしまうのだが、お弁当を食べると、三人はグランパラガスを背に眠ってしまうのだった。

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