第30話 干し貝柱のごはん(1)

 がたんごとんと車体は揺れる。それを支える車輪は、がらがらと大きな音を立てて回る。金具はきしきしと鳴り、木の板はぎいきいと音をあげる。完全に整地されていない道はその車輪を軽く跳ね上げる。車輪は重力によって落ちてがつんと音をたてると、荷物が小さく跳ねてごんごんごんとリズムを刻む。ひとつひとつが楽器のようで、それぞれの音が重なり和音となると、心地よい響きに変わる。

 目の前には一直線に続いた街道があり、周囲は一面の草原。この景色が数時間続いていると、ずっと前進し続けているのではあるが、音楽を聴きながら絵画を眺めているような感覚に陥ってしまう。

 揺れる車体に身を預け、眼前の景色を見ながら和音を聞いていると、少しずつであるが、眠気が襲ってくる。


 商人は手綱を引くとゆるゆると荷馬車を進め、小高くなった丘の上に留めて、ほぅと息を吐く。


 馭者台の上をやわらかな秋風が吹き抜けると、地面を覆う草の葉が揺れてさわさわと音をたてる。風は草原を海に見立て、波打つように模様を描き、丘を駆け下り消えていく。

 ここからの街道は丘の間をうねうねと続き、マルゲリットの街の南東を突き抜けるように隣の街へとつながっていく。マルゲリットの街は高い丘の上にあり、街道に繋がる坂道を上って入ることになる。遠くに見える丘の上にはマルゲリットの城壁がうっすらと見え、その奥に王城が聳え立つ。

 徒歩では厳しいが、ここからマルゲリットの街が見えるということは、荷馬車を一時間も走らせれば街に着く。

 とはいえ、まだ陽は高く急ぐ旅でもないので、商人はひらり降りると、ごろりと寝転ぶ。


「気持ちいいな……」


 仰向けに転がると、世界は御空みそら色に染まるが、さっきまでいた宿場町の方角には巻雲シィーロが白い模様を描き出している。


「おや、また近いうちに雨がくるのか……」


 内陸の乾燥しやすい地域に雨は貴重なのだが、十日ほど前には大嵐がやってきて大変な目にあったばかりだ。そして、次にマルゲリットの街を出る時期に降ることを知らせる雲の予兆に、商人は少しうんざりとした表情をして独りごちる。

 がこんがこんと縦横に揺れる馭者台で数時間も荷馬車を走らせれば尻も悲鳴をあげており、馬もはむはむと草を食みつつ、休ませろと目を向ける。

 高地の空気はひんやりと身体を包んでいるが、空気が澄んでいると日差しは強く、ぽかぽかと全身を暖めてくる。商人はふと目を閉じると、とろとろと眠気に襲われる。





「ことり……」


 仄かに穀物の焦げるような香りが、湯気とともにもわんと立ち上がる。茶碗には艶々と輝く白いごはんがふんわりと盛られていて、その奥には表面に塩を表面に噴き出した紅鮭がその赤い切り身を晒し、皮目から出る脂で自らの身をじりじりと焼く音をたてている。すこし焦げた皮のかおりがとても香ばしい。

 茶碗の横にある木を削った汁物椀には、賽の目に切られた豆腐というたべものと、鮮やかな緑色をした海藻が浮かび、炒った小魚の香りがする出汁と溶かれた味噌という調味料の香りが優しく周囲を包み込んでいる。


「ごとり……」


 美味しそうだと四つ爪のフォークを右手に持つと、今度は大皿に乗ったカレイの煮つけが紅鮭の横に現れる。黒々とした煮汁で茶色く染まった分厚い身、ねっとりとした皮と縁側の身が艶めかしく横たわっていて、その上に盛られた生姜の千切りがその味を高めることを約束してくれる。


「ことり……」


 カレイとは反対側に、焼きたてでじゅうじゅうと音を立てるアジの干物が現れる。腹のあたりは特に脂がのっていて、その脂がじゅうじゅうと自らの身に火を入れていく。片身についた背骨の部分はとても肉厚な身が飴色に輝いており、最も美味しい部分であることを思い出させる。


「ああ、こんなに食べられないよ」




 その一言を自分の口から聞いて、商人は目を覚ます。


「夢か……」


 何事もなかったかのように、起き上がろうとすると、涎で服の袖口がぐっしょり濡れている。

 数日通っただけだというのに、数日通わないだけで夢に見る。商人はその店の味を求め、飢えていたことに気づく。

 陽の位置をみると一時間も眠ってはいないだろうが、心にはもうあの店のことしかない。男は慌てて御者台によじ登ると、手綱をとって荷馬車を走らせた。



 がんがっがっがっがんがっがっがっ……

 がたごとがたごとがたごとがたごと……

 がらがらがらがらがらがらがらがら……

 きしぎしきしぎしきしきしぎしきし……

 ぎーぎぎぎっぎっぎーぎぎぎっぎっ……



 相変わらず、跳ねる音や軋む音、車輪の回る音、荷物が揺れる音……いろんな音が混ざり、賑やかに荷馬車は走りつづける。


 丘や小山の間を縫うように続く街道を東から西へと走り続けた荷馬車は、最後の谷間を抜ける。

 右手には大きな城壁が続き、その向こうには王城が風格ある姿を見せる。

 陽は少し傾きはじめ、既に商人の前方から照らす位置へと移動してきており、正面を見るには少し眩しいほどの日差しを浴びせてくる。長年連れ添ってきた馬たちは慣れたもので、街道から外れてしまうことはない。商人の男は日差しを避けるため、その城壁と王城に目を向ける。たくさんの石を積み上げられて作られた城壁はとても高く、延々と続く。見張り台となる塔はいくつも並んでいて、この城の主が如何に権力を握っていたかを感じさせる。

 この城はナルラ国時代のアスカ王家が建てたものであるのだが、百年ほど前に侵略を続けたフムランド王国に対抗するため、現連邦国家へと統合されたという。このマルゲリットが領都と呼ばれる由縁は、その旧王国の王城が残され、現在も使用されていることにある。

 荷馬車がゆるゆるとカーブを描く陵丘の麓に沿って進むと、街道はマルゲリットの街に続く道に分岐する。商人は馬を制御し、その枝道に入って城門へと坂道を駆け上る。






「よお、商人さん。まずは、荷物を拝見するよ」


 マルゲリットの大門前には門兵がいて、何人かで一組になり、交代で大門の出入りを見守っている。今日の担当は赤褐色の髪を後ろに留めて、ぼんやりとした表情で語り掛けてくる男だ。黒みがかった黄褐色の瞳は少し猛禽類のような鋭さを感じさせるのだが、表情に力が無いとここまで締まらないものかと思わせる。

 商人は、御者台からひらり降りると、荷馬車を覆う幌の端を開き、中を見せる。

 荷台の荷物はほとんどが保存できる食料品と、金属製の道具類が占めていて、多少の揺れでは何かの影響をうけることはない。だが、その実、大量の馬鈴薯を緩衝材とするように詰め込んでいて、その荷物の底には陶磁器が積み込まれている。特に禁制の品でもなく、後ろめたい荷物でもないが、マルゲリットに到着した時に壊れていれば受ける精神的なダメージはとてつもないことだろう。保険というシステムはまだこのコア《異世界》にはないのだ。


「このあいだアプリーラ村が盗賊に襲われて、警備を厳しくしているんだ。すまないが、『馬鈴薯』の袋の中も見させてもらうよ」

「え?! アプリーラ村が襲われたのかい?」


 この四日間、アプリーラ村とは反対側にある宿場町で商品の買い付けをしてきた商人は、なぜかその情報を耳にすることがなかった。荷馬車やワゴンであればアプリーラ村からマルゲリットは片道で約一日の距離であり、多くの商人や旅人たちはアプリーラ村から一日でマルゲリットの街に移動する。だからもう一日あれば宿場町に情報は届くはずであるが、なぜか商人の耳には届いていなかった。


「ああ、ひどいもんだ。

 男は全員殺害。成人した女は弄ばれたあとに赤ん坊と共に殺されていたらしい。子どもたちは姿を消していたと聞いている」


 商人は、アプリーラ村に売りに行く商品を集めるために宿場町に行っていたのだが、売り先のない商品を買い集めてきたことになる。とはいえ、農機具が多くを占めているので、他の村に売りにいけばいい。


「そうなのか……」


 雨も近いようだし、計画を練り直さなければと商人は考えていると、おしゃべりな門兵が話を続ける。


「調べてみると、他国の盗賊が事前に行商人に扮して下調べをしていたらしい。それで行商人には領軍の調査状況がばれないように口どめされてたわけだ。知らない行商人もまだいるようだぜ」


 門兵は壺の間にまで埋められた馬鈴薯をとって、荷物を確認しているが、そこまで調べる必要がある相手に、捜査情報を漏らしていいものなのかと商人は疑問に思ってしまう。


「そんなこと、わたしに話してもいいんですか?」

「ああ、あんた、朝めし屋に来てたからな。あそこのごはんは美味いよな!

 そういや、あの店でアプリーラ村の生き残りの娘を引き取っている。そのことは行商人仲間にも言わないでくれよな。秘密を知られたとなれば襲われてもおかしくないからな」


 そう言うと、門兵はニカッとした笑顔を浮かべ、商人に向かって親指を立てる。


「ああ、約束する」


 商人は門兵に向かって、同じように親指を立てる。






 門兵の検査が終わり、商人はようやくマルゲリットの街に入るべく大門を潜る。

 大門はとても高く、大きなアーチ型を描き、その左右には塔がある。その二つの塔の間はいざ籠城となったときには兵士が集まり、戦うだけのスペースと強度を備えている。

 大門を潜るとすぐに衛兵所があり、門兵からの知らせに即時対応できる体制がとられている。また、いざという時はすぐにでも王城や領軍へ伝令が飛ばせるように馬が少なからず並んで待っている。


 がらがらと車輪を鳴らして進めば、すぐに交流街の広場にでてくる。交流街は、他国他領からやってきた客人たちが宿泊するための宿屋と、それらの人たちを目当てに商売する人たちが店を出す場所である。

 マルゲリットでは宿屋は九軒あって、多くが食堂を兼ねている。また、商売をする者たちは、全体の商店を取りまとめる商業ギルドに登録する必要があり、その商業ギルドの建物も交流街の中にある。商人はその商業ギルドに一番近い、行商人たちがよく使う宿屋へ荷馬車を留める。


「おかえりなさい、マルコさん」


 宿屋銀兎亭の主人、ジェリー・ベインが声をかけると、マルコもにこり笑って返事をする。


「やあ、ジェリー!今回もよろしくたのむよ。

 ところで、朝めし屋には行ったかい?」


 マルコは初めて朝めし屋に入った日から、あちこちでその料理を褒めたたえて歩いており、料理も出す宿屋の主人にまで一度食べに行くようにと勧めていた。

 マルゲリットに九軒ある宿屋では、どうしても競争が激しくなる。この銀兎亭は商業ギルドの前にあって、荷馬車の荷物を預ける貸倉庫も近くにあるので商人が多く泊まってくれるのだが、食べものに関しては特に評判が好ましくなく、一般の客が近寄ってこない。


「宿屋なんだから、そんな時間に食べにいけるわけがないだろう」


 ジェリーも会うたびにマルコが褒めたたえる料理屋というのに興味はあるのだが、朝めし屋は客が宿を出発する時間帯に営業をしているので、その機会がない。

 だが、マルコの考え方は違う。


「宿屋を手伝ってくれてる娘さんや妻もいるんだから、信用できる用心棒でも一日雇っておけばいいじゃないか。雇い賃も勉強代になるんだからさ」

「うーん……」


 マルコのいうことも尤もだと、ジェリーは腕組み考え始める。


 客の少ない時期ならいいだろうが、その前に妻や娘に食べに行かせるのも悪くない。


 そう閃いたジェリーは、マルコに今の思い付きのまま問いかける。


「じゃ、まずは娘と妻を連れて行ってやってくれないか?」

「ああ、明日はエヴァンやパメラと行くから、明後日以降でもいいかい?」

「もちろんだ」


 ジェリーは頷くと、続けて確認する。


「それで、何泊するんだ?」

「とりあえず五泊お願いするよ」


 マルコは、当初予定してた二泊に加え、アプリーラ村に泊まる分の三泊を加え、部屋をとることになった。


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