第29話 納豆と黄身の醤油漬け(2)

 そして、ウォーレスは菌というものを見たいわけではなく、魔道具が見たかった。魔道具と言われるものを見る機会はそうあるものではなく、ウォーレスもこれまで二回ほど見たことがある程度だ。

 一回目は火を着けるための器具で、その火を消すための器具が二回目である。

 高価な器具であるが、使用する人の魔力が大量に必要になるもので、ウォーレスではなかなか火がつかなかった。現実的には火打石があれば済むし、水をかければすぐに消えるのだから何のためのものかはわからなかった。だが、少年のような声を持つ男は、心もまだ少年のようなところが残っているのか、そのような器具があるのであれば見てみたいと考えてしまう。


 ウルウルと請願するように瞳を潤ませてウォーレスが魔道具を見たいと言ってくるので、クリスは困惑する。


「お待たせしました。ウォーレスさん、これが納豆です」


 タイミングよくシュウがやってくると、小さな陶器製の蕎麦猪口をウォーレスの前に置く。


 釉を使わず、土と火だけで焼かれたそのカップには、とても小さな大豆がたくさん入っていて、泡立てるように混ぜられたあとがある。

 薬味として青ネギが刻んで入れられており、器からは仄かに和芥子の香りが漂ってくる。


「これはどうやって食べればいいのかな?」


 ウォーレスはちょうど炊き込みごはんを食べ終えたところで、白いごはんを茶碗によそっている。

 お櫃の中には二人分で二合分のごはんを用意していたのだが、ウォーレスの茶碗にはどんどん積み上がっていく。だがこれは納豆を食べるにはとても食べ難い形状だ。


「『ごはん』の上に乗せ、『ごはん』と一緒に掬って食べるものなのですが……そこまで盛ると食べ難いと思います……」


 ウォーレスの質問に答えようとクリスは説明を始めたのだが、そのごはんの盛り方を見て諦める。

 ウォーレスはどこまで盛れるかを楽しむようによそっていたのだが、さすがに食べ物で遊ぶのはよくないことだと気づいたようで、杓文字しゃもじを持つ手を止める。


「わかったよ。木匙に納豆を掬ってから、『ごはん』を掬えばだいじょうぶかな?」


 糸を引く納豆という食べ物なのだから、木匙で掬うという作業だけでも難しいのは間違いない。

 蕎麦猪口に入った納豆を、ごはんをよそった茶碗の上に持っていって、木匙で掻きだすようにのせるなら食べやすいだろう。だが、このお供えのようになった茶碗の上のごはんでは雪崩にしかならない。

 クリスがそのことに気が付いたときにはもう遅い。既に糸をひく物体と戦うウォーレスが目に入った。名前とは大違いだ。


「ああ、もうっ……」


 クリスが呆れて声を漏らしたとき、肩をチョンチョンとつつかれる。

 くるりと振り向いてみると、そこにはシュウがいて新しい茶碗を持っている。考えてみれば、別の茶碗に半分を移せば済むことだ。


「こちらの新しい茶碗に『ごはん』を移してくださいね」

「おお、いい知恵だな」


 ウォーレスより少し遅れて炊き込みご飯を食べ終えたヤコブが褒めてくれる。

 この店に入ってきたときには、「肉豆腐」と「生たまご」を頼んだ彼には、納豆がない。ようやくウォーレスの手を離れた杓文字を手にとると、ヤコブは茶碗に白いごはんを装う。さっきまで味わっていた牛肉の炊き込みご飯が入っていた茶碗からは、まだその匂いが残っている。


「ヤコブさんは生の『たまご』を希望されていたので、こちらをどうぞ」


 シュウは有無を言わせず、茶碗に盛られたヤコブのごはんの上にオレンジ色の物体を乗せる。


「『卵黄』の醤油漬けです。美味いっすよ」


 ヤコブは生で食べられる鶏の卵を所望していたのだが、肉豆腐と共に食べるのが正しい食べ方だと認識していたので諦めていた。そのかわり、牛肉をつかった炊き込みご飯を食べることができたのだ。

 シュウはウォーレスに納豆を出したので、ヤコブにもサービスとして出してくれたのだろう。だが、生ではあるが見るからに形も崩れてしまった「卵黄の醤油漬け」を見ると、すこし危ない食べ物に見えてしまう。明らかに卵の黄身が古くなったような色をしているのを見て、ヤコブは少し恐るおそるといった雰囲気でシュウに向かって話しかける。


「これは……新鮮なのか?」

「だいじょうぶですよ。ちょうど食べ頃です」

「これでか?」


 ヤコブは四つ爪のフォークで茶碗の上にのった「卵黄の醤油漬け」をつつく。ふつうなら卵黄膜が破れて中身がどろりと流れ出すほどの強さなのだが、その素振りさえもない。どうしてここまで硬くなっているのか、ヤコブには想像もできない。

 つんつんとフォークで突いていると、フォークの爪がぐにゅりと食い込み、卵黄を削り取る。

 ヤコブはフォークの先に少しついた卵黄を食べるでもなく、ぺろりと舐める。

 舌にまとわりつくようなねっとりとした食感だが、浸透圧によって卵黄膜から水分が流れ出しているせいで濃厚になっている。この国での卵料理といえば、やはりトルティーヤで食べるのが一般的なのだが、そうすると卵白なども加わっているのでどうしても卵の味は薄くなる。裏と表でしっかりと焼かれるために、どうしてもボソボソとした舌触りになるのだが……


「卵黄とはここまで味が濃いものなのか……」


 ヤコブはぽつりとつぶやくと、右手を木匙に持ち替えて「卵黄の醤油漬け」を削るように差し込み、ごはんと共に掬って口に入れる。

 しょうゆの香りが口の中にパッと広がると、卵の香りがふんわりとおいかけてくる。醤油の塩辛さと旨味が卵黄の味わいを引き立てていているのだが、さきほど少し舐めたのと同じ卵黄がごはんに温められたせいか、その味はより強く舌に感じられる。


「美味しいっ! 臭いけど美味しいっ!」


 突然、少年のような澄んだ声が店内に響く。

 ウォーレスがようやく糸との戦いを制し、ようやく納豆ごはんを口にいれたようだ。


「ちょっと臭いけれど、口の中に入れるとそうでもないんだ。

 これが『大豆』なのかって思うくらい、すごく力強い味がして、濃厚なんだよ」

「こっちの黄身の醤油漬けというのも美味いぞ。

 ねっとりとしているが、醤油の旨味と塩気が染み込んでいて、暖かい『ごはん』に合うんだ」

「ちょっと食べてもいいかな?」


 ウォーレスはヤコブに納豆を試させ、ヤコブはウォーレスに黄身の醤油漬けを試させる。


「こっちも美味しいね!」

「ああ、納豆というのは臭いが美味いな」


 ウォーレスは大きな身体をふるふると震わせるように喜びを表わすと、木匙にのった納豆ごはんをまた口に入れる。

 ふたりの会話はどちらが美味しいかということになり、会話は盛り上がる。





 結局、ウォーレスがたくさん食べるのではじめてのお櫃おかわりが発生した。


 そして、おかずがなくなってしまい、食後のまったりタイムに突入していると、シュウがやってくる。


「どうです? 納豆はこの街の方々でも食べられそうですか?」


 クリスとシャルも、最初は納豆の匂いを嫌がっていたが、いまでは普通においしいと言って食べるようになっていた。だが、日本人でも食べられる人と、食べられない人がいる。だから、ウォーレスに試してもらおうと思ったのだ。

 ウォーレスは納豆の感想を尋ねたシュウに向かうと、笑顔を見せて話す。


「うん、糸をひくのと、臭いのはちょっとアレだけど……おいしいのは間違いないよ!

 『卵黄』の醤油漬けも美味い!」

「よかったです。これからは納豆と『卵黄』の醤油漬けも出すようにしますよ」

「そりゃいいね!」


 ウォーレスが嬉しそうに声をあげているのだが、ヤコブは深刻な顔をしている。

 何か言いたそうなので、シュウはヤコブにも声をかける。


「ヤコブさん、どうでしたか?」

「ああ、『牛肉』が柔らかくて驚いた。どうしてあんなに柔らかいんだ?」


 シュウは納豆や卵黄の醤油漬けへの意見かと思っていたのだが、突然に牛肉の話になるので少し驚いた。特に肉に詳しいわけではないが、知っている範囲で答えることにする。


「今日の肉は『黒毛和牛』という種類の『牛』の肉です。特に『仔牛』を育てる地域があって、そこから買った『仔牛』を食用に育てるそうです。

 『仔牛』の頃は牧草を食べて育つのですが、肉の量を増やし。肉質をよくするために濃厚飼料というのを食べさせたり、お酒を飲ませて育てるそうですよ」

「濃厚飼料とはどんなものだ?」

「『大豆』や『玉蜀黍』をつかった餌だったと思います」 


 ヤコブは驚いた。

 いままで、牛には牧草だけを与え続けてきた。大豆や玉蜀黍は豚と鶏の餌にしてきたが、牛に与えるということは考えたこともなかったのだ。

 言葉を失っているヤコブの代わりに、ウォーレスが続きを促す。


「それだけかい? 柔らかい肉の秘密ってほかにないの?」

「薄切りだからじゃない?」


 丸盆の上に、あたらしく淹れた熱いお茶を持ってきたクリスが言う。


「この国の肉はゴロゴロと切って、焼いて煮てってするだけだけど、シュウさんの出す肉は薄くて柔らかいもの」

「ああ、この国の肉は硬いが、薄くスライスすることで柔らかくなることがわかった。

 だが、全部同じ薄さで切り揃えることができるのはすごい技術だ。我々にはこの技術もない……」


 正気を取り戻したヤコブが、クリスのあとを次いで話す。


「いったいどうやるんだ?」


 ヤコブは喰いつくような目でシュウに尋ねる。

 薄くスライスして料理に使うという方法が硬い肉を柔らかくし、そしてその柔らかい肉が新たな料理のレパートリーとなれば、また新たに肉の消費を期待できる。歯が悪くなった高齢者にも食べてもらえば、体力もついて長生きに繋がるはずで、それも肉の消費につながる。ヤコブとしてはこれほどありがたい話はない。


「凍らせて切るだけです」

「へ?」


 シュウのあまりに簡単なひとことに、ヤコブは一瞬呆けた顔になり、気の抜けた声をあげる。

 確かに凍らせれば硬くなり、ぐにゃぐにゃとして切りにくいことはないが、今度は硬くなって余計に切ることができない。

 そのヤコブの少し緩んだ表情を見て、言葉が足りなかったと感じたシュウは補足する。


「濃厚飼料を適度に与えたオレの国の『牛』は脂肪が多くつきますから、凍っても赤身だけの肉よりは柔らかく、薄くスライスしやすいんですよ。

 こちらの『牛』も濃厚飼料を与えてみて試してみないとわかりませんが……」

「ちょうどいいじゃないか!

 うちの『大豆』と『玉蜀黍』で試してみてよ」


 これがチャンスといわんばかりに、ウォーレスが残った大豆と玉蜀黍を売り込むのだが、ヤコブは既に濃厚飼料の研究を始める決心ができていた。


「ああ、その話は今度な」


 本当は、肉質がよい血統の種を選び、何代も交配を続けて改良を続けた結果が和牛の素晴らしい味を作り出しており、一朝一夕で柔らかい牛肉を作り出すなんてことはできない。シュウはそれを言っていないが、ヤコブもなんとなくわかっている。ただ、まずは濃厚飼料でどこまで肉質が変わるのかということ、どの程度の期間与える必要があるのかをまずは調べたいと考えていた。

 その返事を聞いたウォーレスの声が嬉しそうに弾む。


「それにしても、『大豆』ってすごいね。『牛』の肉を美味しくして、『豆腐』や納豆、『味噌』、『醤油』……いろんな食べ物になるんだよ」

「そうですね、畑の『牛肉』というほど栄養がありますから」


 すると今度はウォーレスが尋ねる。


「うちに『大豆』がいっぱいあるんだけど、この街で作れるものってあるかい?」


 余った大豆の使い道を聞くのがウォーレスの訪問目的である。それを思い出したのだ。

 シュウは顎に手をあてて考える。


 内陸で塩湖があればにがりを入手できるが、この近くに塩湖があるとは聞いていない。

 納豆をつくるには、稲藁が必要だ。

 味噌や醤油を作るにはそれぞれ二年程度の期間がかかるので、それだけの準備と設備が必要になる。非現実的なものばかりだ。にがりの代わりに酢を使った豆腐ができるが、店で出しているものとは全然違う仕上がりになる。


「湯葉くらいじゃないですかね……」


 大豆をすり潰して濾した豆乳を煮れば湯葉は作ることができる。あとは、搾りかすであるおからを使うことができる程度だろう。


「さっきのあれか……」


 あの皮を食べた時のような食感が苦手なのか、ヤコブは力なく言う。

 ヤコブはウォーレスに努力してもらった結果、残ったものを引き取るつもりだったのだが、さすがに大豆を使った事業というのは時期尚早であるということを理解したようだ。


「仕方がない、全部引き取るよ」

「おおっ!ありがとうございます」


 ウォーレスはなんとか椅子から立ち上がり、ヤコブの手をとって喜んだ。



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