第28話 納豆と黄身の醤油漬け(1)

 一方、ウォーレスはシュウの見せる炊き立て土鍋ごはんショーを見て興奮していた。

 マルゲリットでは、米をパエリアやリゾットといった「煮る」という感じの強い調理法を使って料理する。最後にオーブンに入れて表面に膜をつくる手法もパエリアにはあるのだが、蓋を開けた瞬間に立ち上がる湯気と素晴らしい香りには敵わない。


 ウォーレスは目の前に置かれた茶碗の飯をこれでもかと木匙に掬い、大きな口へ運ぶ。それはもう、木匙ごと食べるかのような勢いで、茶碗にしっかりと盛られた炊き込みごはんが三分の一程度消えた。

 炊き立てで熱いごはんではあるが、おかまいなしだ。


「おふっ……ふほっ……」


 ただでさえテンションが上がっていたところに、シュウによる演出でウォーレスは歯止めが効かなくなっている。

 大口で頬張った炊き立てごはんに容赦なく口の中を焼かれて騒ぎになるかとクリスは心配したが、炊きあがった後に蒸らした時間や、混ぜ合わせるときにある程度は冷めていたようで、少し口の中で冷ませば何とかなる程度にはなっていた。少し熱めのお茶という程度だろう。

 もちろん、風味や舌に伝わる味わいはヤコブが感じたのと似たようなものなのだが、頬張ったごはんの量が多いからこそ受ける感覚がある。


「ごっくん」


 適度な湿り気を持ったごはんが喉を通る。


 他の食べ物では感じたことが無い、嚥下感が心地いい。

 加薬として牛肉や牛蒡、ミツバが入っていても、しっかりと噛んだあとに飲み込めば、パンや麺類では感じえない感覚がごはんにはある。


「おいしいなぁ。喉でも味わっているようだよ」


 ウォーレスはその少年のような声をあげて、その大きなひとくちの感想を述べる。

 とはいえ、いま常人がひとくちにする量の倍近いごはんを飲み込んだあとなので、汁物が欲しくなり、大豆を使った味噌汁のことを思い出した。だが、ウォーレスにとっては、その味噌汁を飲んでみるにも、木匙で掬う方法ではひとくちの量が少なく物足りない。結局は豪快に味噌汁椀を持つと、自宅で食事でもするようにそのまま口をつけて飲む。

 まだ少し熱いスープをゴクリゴクリと飲むには無理があったようで、少し息を吸うように口の中に啜りこむ。


「ズズッ……」


 この国では器を持ちあげて食べるということがはしたないことであり、音をたてて汁を啜るということはマナーに反することである。

 せめて大きな音は立てないよう、静かに啜りこむようにウォーレスは気を配っている。だが、このいりこ出汁に味噌を溶いたスープの場合、その飲み方が非常に理にかなった食事方法になる。

 啜ることで口に入ると同時に鼻に香りが抜けていき、大豆に由来する柔らかい豆の香りが通り抜けていく。その豆の香りは、豆腐や油揚げだけではなく、スープからも立ち上がっていて、とても濃厚に鼻腔を刺激する。

 その香りを楽しんでいると、舌全体に染み込んでくる昆布といりこの出汁に、少し甘い味噌と同じく甘い豆乳の味が加わり、とても優しくまとめ上げられていることに気が付く。

 そこに浮かんでいた青ネギは噛むとその香りがパッと広がり、仄かに舌を刺激する辛みと食感が大豆の味を引き立てている。


「『炊き込みごはん』も美味しいけれど、このスープもすごく美味しいよ! とてもマイルドで甘いんだ」


 ウォーレスはその体格に似合わない少年のような高く澄んだ声をあげる。

 その言葉を聞いたヤコブも、炊き込みごはん以外のものがあることを思い出す。

 炊き込みごはんは約一合分の米が使われただけで、残りの具材によって全体量は増えているものの、茶碗に大きく盛ってしまえば二人に一杯ずつしかない。

 ウォーレスはそのひとくち目で三分の一を食べてしまったが、ヤコブは他に目を向けることなく、炊き込みごはんだけを食べてきたため。ウォーレス以上に茶碗の飯がその量を減らしていた。


「そういえば、『味噌汁』や『漬物』も用意しているのだったな」


 ヤコブはこの国の流儀にあった食べ方で、木匙の上にある味噌汁を流し込むように口に入れる。

 具材があるので、単に飲み込むのではなく咀嚼するのだが、その間に口の中の食べ物の香りを鼻に抜くようにすると、料理がもつ風味を味わうことができる。だが、ウォーレスのように啜る食べ方とは違うため、感じる風味は弱い。


 ヤコブがスープを味わっていると、ウォーレスは右手に持っていた木匙を置き、三叉ではなく、金属製で四つの爪を持ったフォークに持ち替え、奥にあった緑の草の芽と白いヒラヒラした物体に手を伸ばす。


「これはなんだい?」


 おかわり用のお櫃をクリスが持ってきたので、ウォーレスはその白いものの正体を尋ねる。

 クリスはまだ少し離れたところにいて、お櫃をもって近づいてくると、ウォーレスがフォークに巻き取っているもののことを尋ねていることを認識して答える。


「緑の野菜は『豆苗』……『豌豆えんどう』の芽です。白いものは『大豆』をすり潰して濾した汁を煮たときに表面にできる膜で、湯葉という食べ物です」

「これは『大豆』料理なんだね!」


 注文する際に、少し遠慮気味に言った「大豆の料理」という願いをシュウが聞き入れ、豆腐ばかりでは楽しくなかろうと用意してくれたのだろう。

 はじめて見る湯葉というものに、ウォーレスとヤコブは興味深々という目で、フォークの先の料理を見るのだが、ウォーレスは早々に口の中へとその料理を運んでしまう。


 シャクシャクシャク……


 豌豆の芽は一度湯通しされているのだが、とても青臭い。だが、炒ってから絞り出すことでとても芳醇な香りを放つ胡麻油がその青臭さを消してくれる。咀嚼すると少し豌豆から青臭い香りが立ち上がるのだが、湯で戻した湯葉から漂う優しい大豆の香りがそれを包み込んで和らげる。歯触りは豌豆の芽がシャクシャクとしていて、必要以上に火を通さないようにすることで、この歯触りを残していることがわかる。一方、湯葉は片面はつるつるとし、その裏はザラザラとしているので、少し紙や皮のようなものを口に入れたような舌触りに感じるのだが、噛むとクニュクニュとしていて、力を入れるとシャキシャキと噛み切れる。

 全体に用いられている味付けは塩だけなのでとてもシンプルなのだが、胡麻油が風味と滑らかさを与えてくれているのでとても食べやすい。


 ヤコブは咀嚼していた豌豆の芽と湯葉の和え物をゴクリと飲み込み、ウォーレスに語りかける。


「この湯葉というのは、少し舌触りがアレだが、『大豆』の風味があっていいものだな」

「量が少ないのが少し残念だけどね」


 吞水とんすいほどの大きさがある小鉢にこんもりと盛り上げるほどの量はあった「豆苗と湯葉の和え物」だが、大きなウォーレスだと二口ほどで胃袋の中に納まってしまうらしく、どうにも量が不足するようだ。

 ふたりは残った炊き込みごはんを口にする前に、らっきょうやしば漬けに手をつける。

 酢漬けにされたらっきょうや、赤紫蘇と共に漬け込んだしば漬けは共に酸味があり、とても濃厚な牛肉の炊き込みごはんの合間に食べると、口の中がリセットされる。

 そして、山椒昆布の木匙に掬う。一般には山椒昆布は四角く切った昆布のだし殻を使っているのだが、木匙やフォークを使うこと考えて、細く刻んで煮込まれている。表面はネットリとしているのだが、四角くて平たい山椒昆布よりはとても掬いやすい。


「ほう、この『昆布』を煮たものに加えられた『山椒』が口の中をとても爽やかにしてくれるな」

「そうだね。これはお茶にも合うよ」


 山椒昆布を齧ったウォーレスは、言葉のとおりお茶を口に含み、ゴクリと飲み込んだ。






 ウォーレスとヤコブが炊き込みごはんを味わっていると、シュウがやってきてウォーレスに話しかける。


「ウォーレスさん、『大豆』を使った料理ということですが、納豆というものを試してみませんか?」


 ウォーレスは自分が相談に来たというのに、意外にも先にシュウから相談されてしまったことに少し戸惑う。

 また、納豆と言われてもそれが何かわからない。どんな食べ物かも知らずに、簡単に返事をするほどウォーレスも粗忽ではない。


「納豆ってどんなたべものなんだい?」


 ウォーレスはいつものように少年のような声で返事をするが、その声色であれば、とても興味があるような声に聞こえてくる。

 シュウはこの街の人たちに納豆が受け入れられるかどうかというタイミングであり、少し慎重に説明をする。


「オレたちの国では、いろいろと発酵させた食べ物があるんですよ。

 『大豆』と『米』、塩を漬けた樽では、そこの『味噌汁』につかっている味噌ができますし、『大豆』と『小麦』、塩を使うと『醤油』ができるんです」


「ゴクリ……」


 ちょうど自分が相談しようとしていた大豆の使い方についてシュウ自ら話しはじめたことで、ウォーレスはシュウの話に聞き入ってしまい、口に入れていたことを忘れていた炊き込みごはんを飲み込む。


「同じように、『大豆』を蒸して『米』の藁に詰めておけば、納豆という食べ物ができるんです。ただ、発酵食品なので匂いや粘りがあって、嫌う方も多いのです」

「でも美味しいんですよ!」


 なかなか話し辛そうなシュウの横からクリスが顔を出して言う。

 フワッと髪が揺れて、花のような香りが仄かに広がる。


「うん、わかったよ。試してみるけど、発酵ってなに?」


 公衆衛生に関する観念が低さが示すように、異世界コアでは菌や細菌への知識や認識が薄い。目に見えないものだから余計に興味がないのかも知れないが、ワインやチーズを作るという工程の中で発酵が関係していることを説明する必要があるようだ。

 そのことをシュウも理解したようなのだが、少し時間が足りない。納豆を用意する必要もあるし、他の客の料理に取り掛かる必要があるので、クリスに交代する。


「食べものや果物を放置しているとカビが生えることがありますよね? カビは、目に見えない植物のようなもので、胞子が食べものの表面にくっついて育っていくのです。じゅうぶん育つと胞子をつくって、また離れたところに胞子を飛ばすのです」


 はじめて聞く話に、ウォーレスとヤコブは食べるのも忘れて聞き入ってしまう。


「そんな目に見えない植物のようなものを『菌』というのですが、その『菌』が育つときにお酒ができたり、ワインができたりします。醤油も味噌も、麹という『菌』を使って作るのですが、納豆というのは『大豆』に『納豆菌』というのをつけて作る食べものです」


 百聞は一見に如かずという言葉があるが、目に見えないものの話を信じろというのは難しい。

 葡萄のジュースがワインに変わることや、牛乳がヨーグルトに変わることを考えると、クリスの言っていることをウォーレスとヤコブも理解できる。理屈では少しわかるのだが、簡単に信じることは難しい。


「どうして目に見えないもののことをクリスは知っているんだい?」


 クリスはウォーレスの言葉に狼狽えてしまう。

 クリスもリンゴのロゴが入った機械で調べた写真などを見せてもらって初めて菌のことを知ったのだが、それを撮影するための道具のことまでは知らなかった。


「シ……シュウさんの家にある魔道具で見せてもらったのよ」


 苦肉の策ではあるが、「魔道具」というのは「魔法の言葉」である。

 困ったときは「魔道具」と「空間魔法を使う知人」を引き合いに出せば、なんとかなるとクリスは考えていた。事実、その通りではある。

 ウォーレスとヤコブの二人は、「魔道具なら仕方がない」という顔をして納得してしまった。

 だが、それで話は終わらない。


「それならボクにもそれを見させておくれよ」

「えっ?!」


 クリスは実物を見たいと言われるとは考えてもいなかった。


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