第12話 京都でお勉強(2)

 いつものように、味噌汁から箸をつける。

 汁椀を手に持って口元へと運ぶと、切り胡麻の香りがプンッと広がる。

 そのまま少し味噌汁を口に含むと、胡麻の香りがふんわりと広がり、次に鰹だしの香りが追いかけてくる。舌には昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸の旨味が相乗効果を生んで、じんわりと舌から優しく染み込んでくる。その出汁に溶け込んだ白味噌は麹を多く使って作られており、水飴まで加えられているため甘みが強い。甘みが強いが、その甘さが味噌の味をとても優しく感じさせる。


「おいしいっ」

「うん、美味いな」


 クリスは小さな声でひとこと呟くと、かやくごはんを取って口に入れる。

 かやくごはんにはとても小さく刻んだ人参、油揚げ、椎茸などが入っていて、様々な具材の出汁が生み出す風味が口の中に広がる。


「うわっ、このごはんも美味しいっ!」


 クリスは思わず声にだしてしまうが、シュウは特に窘める風でもない。

 平日の十一時という時間帯に来たのだから、まだ客もそんなには来ていないというのもあるだろう。


「シュウさんも、かやくごはんって作れるんでしょ?」

「ああ……だけど、美味しいかどうかは別だなあ」


 この言葉はクリスにとって意外だった。

 シュウがつくる料理は、クリスにはとても美味しいもので、ここに並ぶ料理と比べても勝るとも劣らないものであると感じているからだ。


「どうして?」

「あぁ……それはまたあとで……だな」


 そういうと、シュウは目の前の料理に集中したようだ。料理の味を確かめるよう、丁寧に食べていく。

 シュウの姿を見たクリスは、彼の言葉の意味を理解するためにも、同じように料理に向き合って食べる。


 ひとつひとつの料理はとても洗練された味付けで、強烈な印象を与えるというものではない。

 茹でたまごなどは典型的で、卵黄部分はトロトロに茹で上げられているが、見た目はそれだけだ。ただ、塩を振るのではなく、染み込ませてある。だから、白身はどこから食べても同じ濃度の塩味を感じられる。

 南禅寺近くにある朝がゆで有名なお店でも似た茹でたまごを出す。めんつゆや煮豚の汁を使うと、繊細なたまごの香りを醤油や出汁の風味が塗りつぶしてしまうからだろう。


 料理としての組み立てを考えると朝食屋のシュウの料理とは違う。この店の料理は「ひとつひとつの料理を楽しむ」ためのもので、シュウの料理は「ごはんを食べさせる」ためのものだ。


 そこまではクリスにも理解ができ、納得し、そして食べ終えた。


「ふぅ、おなかいっぱい……」

「うん、オレも腹いっぱいだ」


 食後に出されるお茶を飲みながら、クリスとシュウは一息つく。

 時間的なものは予定通りだが、異世界あっちで夜二つの鐘となると、日本では十七時なので十五時には着物を返してしまいたい。


「もう少し休みたいが、時間がないな……」

「ええ、そうね」


 名残惜しそうにふたりは席をたつと、立ち上がったクリスを見て他の客たちの箸が止まる。だが、そんな視線にもそろそろ慣れてきた二人は会計を済ませて外に出た。

 狭い路地に流れてくる排ガスの匂いや、古い街特有の下水の匂いなど、引き戸ひとつで世界が変わるのはシュウの店だけではないようだ。


 軽く伸びをすると、シュウはクリスの手を引いて河原町通りの方へと歩きだす。

 四条河原町という交差点は人が最も集まる場所であり、歩道はとても混みあっている。四条通りは歩道を広げたのだが、河原町通りが以前のままなので、広いところから急に狭い歩道に入って広い横断歩道を渡る。砂時計のような形で、細い場所は混みあうのは当然だ。

 その横断歩道を渡り、少し西に進んで北に入る路地へと進むと、一気に人が少なくなる。観光客は大通りを歩かないと迷子になるが、シュウは慣れているので裏道に入って進む。

 時間に制限があるとは言え、ふたりとも慣れない着物姿なので急ぎ足ではない。ただ、かわいい小物を並べている店や、布地を置く店なども多く立ち並ぶ中、立ち寄ることもなく目的地へと進んでいく。

 しばらく進むと、ぎっしりと店が並び、たくさんの人たちの頭が埋め尽くしているように見えるとても狭い通りに到着した。


 アーケードの入り口には「錦」と大きく書かれていて、昼間だというのに少し薄暗い雰囲気がする。


「やっと着いたな。大阪の黒門市場に並ぶ、京の台所と言われる商店街だよ」

「あ……テレビで見たことがあるかも……」


 そう呟くクリスだが、同じような感想をもってクリスをスマホで撮る人たちに囲まれている。


「そろそろ、クリスにも皮剥きくらいは手伝ってもらおうと思ってね」


 クリスはシュウの左腕に自分の左腕を絡め、ギュッと引き寄せて見上げると。嬉しそうな笑顔をシュウに見せる。

 純白のストレートな髪を腰まで伸ばし、透き通るような白い肌に、瑠璃色の瞳をした非常に整った顔をしていると、つい冷たい印象を受けるかもしれないが、クリスの表情は実に豊かで、気持ちと共にコロコロと変わる。

 今も少し疲れたような表情をしていたが、厨房で手伝いができるようになると聞くと、これまでにない輝かしい笑顔に変わっている。


「ふふっ」


 嬉しさについ声を漏らすと、恥ずかしそうに俯く姿はとても可愛らしい。


 ただ、見上げると目の前には人がギュウギュウに詰め込まれた狭い商店街があり、その先に目指す店があることをクリスは感じる。


「このままでいい?」


 ギュッとシュウの左腕にしがみついたまま、クリスが尋ねる。


「ああ、絶対にはぐれんなよ?」

「だいじょぶ……」


 ふたりは錦市場の東端から、目的の店へ向かう。

 といっても、商店街に入って一つ目の辻の先にある店に入るだけだ。


 入り口の横にある窓には、銅製の調理器具らしきものが置かれており、その奥を覗き見ることができる。

 店内に入ると、入り口から左にずらりと並んでいるのはいろんな形、いろんなサイズの包丁だ。右にはおろし金や銅製の鍋などいろんな調理器具が並ぶ。


「わぁ」


 クリスは思わず声をあげる。


 たくさんの包丁が並ぶショーケースの上には、様々な形をした抜型が大小さまざまな形で並べられている。木の葉はもちろん、桜花や梅花、ウサギ、カメなど本当にいろいろと揃えられている。おなじイチョウの葉でも数種類あるほどだ。

 クリスは、これで焼き菓子を作れたらさぞかし楽しいだろうと思うのだが、実は作ったことはない。

 ただ、ここの抜型は見ているだけで料理をする楽しみというものを感じる。職人がひとつひとつ手作りで作るからか、同じ形で同じサイズでも少し違う。手作りならではの味というものがある。


「ああ、クリス……抜型もいいんだけど、ペティナイフを選ぼうか……」


 シュウが少し呆れたように言うと、クリスは恥ずかしそうに見上げて、そのぷっくりとした艶のある口元から舌を出す。


「ごめんなさい、でもすごくかわいいんだもの……」

「ああ、ペティナイフを選んだらそのあとに選べばいいよ」


 そういうと、シュウは店員を呼ぶ。

 ショーケースの中に並ぶペティナイフをサイズ別に並べてもらい、クリスに持たせる。

 手の大きさで馴染むサイズは違うのだが、この店で一番小さなものでも十二センチあり、小柄なクリスには大きいかもしれない。

 そして、この店の包丁は、鍔付きと鍔なしの二種類があり、鍔付きの方が手元に重心位置が寄ってくるので、取り回しが楽になる。先に重心があるなら、刃の重さで切るのには適しているが、飾り切りのような細かい作業には向いていない。


「これがいいかなぁ」


 やはり、鍔付きの十二センチをクリスは選ぶ。

 ただ、手作りなので同じ鍔付きの十二センチでも違いはあるし、鋼(はがね)部分の質も商品によって異なる。鋼の品質はシュウが見て良いものを選んでクリスに渡し、クリスに選んでもらう。

 最終的にクリスが一番軽いと感じたものに決めると、シュウはクリスに向かって名入れのサービスについて説明する。


「包丁に名前を彫ってもらえるんだが、どうする?」

「名前は紙に書くわ」


 そういうと、クリスは店員から紙とペンを受け取り、スラスラと名前を書く。


 ᚳᚺᚱᛁᛋ ᛁᚲᚢᛏᚫ


 シュウはクリスが書いた文字を、そのまま店員に渡してみる。


「申し訳ありません、日本のカタカナか漢字でお願いします」

「あ、やっぱり……」


 クリスは慌てて書き直す。


 生田久理栖


 苗字のところが違うし、知らない間に当て字が用意されている。


「はい、こちらでしたら大丈夫です。少々お待ちくださいね」


 店員が受け取って、文字彫りをする店員に名前を書いた紙と、包丁を渡す。

 いつの間に漢字を覚えたんだろうとシュウがクリスをジト目で見つめると、クリスは目を合わさないように抜型を探している。

 シュウは、仕方がないかと思い直すと、クリスと一緒に抜型を選ぶ。異世界あっちの営業で使えるものを前提に買うのも悪くないからだ。


「これとこれはどうかしら?」

「梅や紅葉、木の葉のような季節を感じさせるものは持っているから、動物とかどうだい?」

「だったら、このウサギと小鳥とか、これはさっきのお店で食べたごはんの型?」


 扇形の大きな型があり、さっき昼食に寄った店で出たかやくごはんで使われてたような形をした物相もっそうも売られている。


「昼に弁当を始めるなら、物相があってもいいかもな」

「そうだねー」


 結局、ふたりはウサギと千鳥、瓢箪の抜型と末広と瓢箪の物相を選び、ペティナイフと一緒に買うことにした。

 会計を済ませると、ふたりは人が溢れる商店街から出て、一本北の蛸薬師通に向かう。迂回することで少し人混みから離れて楽に歩こうという算段であったのだが、少し道を外れると立ち寄りたい店も増える。

 幸いにも、まだ十二時四十分と時間にも余裕はあったので、シュウは扇子の店や、香り袋の店などを案内する。

 三条柳馬場から下がって錦市場に戻れば、もうひとつの目的地へと戻ることができるのだが、慣れない足袋と草履で歩いたせいか、クリスが少し疲れてしまったようだ。すると、路地の先に喫茶室があるチョコレート専門店があるのをクリスが見つけた。

 京都の町屋を改築したそのチョコレート専門店は、ニューヨークに本店があり、日本ではこの京都の店しかないという。外観は古い町屋の面影を残しているが、扉を開けると豪著なニューヨークのお店の中にいるので、異世界にでもやってきたような錯覚に陥る。


「実際の異世界ってこんなもんじゃないけどな……」


 シュウは独りごちってしまうが、確かに通り沿いにあった扉は明らかに少し違和感がある色使いだし、実際に異世界へ行き来している人間からすると物足りないだろう。

 店内では、さまざまなチョコレートが並べられていて、それをまた好きな箱に詰め込んでもらうこともできるようだ。

 ただ、まずは歩き疲れたので休憩だ。


 喫茶室に入ると、クレープやケーキが用意されているが、そこまでゆっくりと休んでいる時間はないので、クリスはホットチョコレート、シュウはコーヒーを頼む。


「ねぇ、どうしておいしいかやくごはんは作れないの?」

「ああ、もともとあの店は懐石料理というコース料理の店で、一品ずつ食べるように味付けされている気がするんだ。

 そして、締めにかやくごはんと味噌汁を味わうような味付けにされていると思う。

 そういう食べ方のためのかやくごはんは俺にはできないってことだな」


 クリスはシュウの話を聞いて考える。一緒に食べながら感じていたことは、正しいのかもしれない。


「ひとつひとつの料理を楽しむように作るか、ごはんを食べることを楽しむように作るかの違い?」

「ああ、そういうことだよ」


 シュウはクリスが自分の料理、店の理解者であることを感じ、とてもうれしく思ったのだろう。ニコニコとしているわけではないが、少し表情が柔らかく、幸せそうにも見える。

 一方、クリスは他のテーブルに運ばれるクレープやケーキを見て、なんとなく食べたそうな顔をしている。

 ただ、慣れない着物で締め付けられていて、昼食はクリスには少し量が多ったのもあり今は食べきる自信がないようだ。


「ねぇ、また京都にきたらここに来れる?」

「姫の仰せのままに」

「やったー」


 しっかりと甘みのあるホットチョコレートはクリスの身体に効いたようで、飲み終わる頃には疲れもかなり取れたようだ。時間も一時四十分とちょうどいい時間なので、エドガルドへのお土産として十六個入りの詰め合わせを一つ購入し、店を出た。

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