第13話 京都でお勉強(3)

 柳馬場通りを南に歩いて錦市場に入ると、すぐに漬物の香りが漂ってくる。


 紺色の法被のような服を着た店員が数名並んでいて、通りを歩く人たちに試食を勧め、商品を包んでは呼び込みの声をあげており、とても賑やかだ。

 シュウは、その漬物店に入ると「自家製梅干し」と「養老漬け」を選んで購入する。だが、基本的に店で漬物は作っているので、シュウがここで購入しているのがクリスには不思議だった。


「それは、買ってどうするの?」

「梅干しは料理を作るときに使うんだ。うちではまだ漬け込めていないから買わないといけないんだが、困ったことにハチミツや砂糖で甘くしていない梅干しってのは、なかなか売ってる店がないんだよ」


 いわしの梅煮や、サバの味噌煮などでも梅干しは使う。また、日本酒を煮詰めた「煎り酒」を作るときにも梅干しを使うのだが、そのための梅干しはハチミツや砂糖、アミノ酸などが添加されていると思うような味にならない。

 その点、この店の梅干しは、塩と赤紫蘇だけを使った昔ながらの漬け方を採用しているので、物凄く塩辛く、酸っぱい。


「こっちのお漬物は?」

「これは自家製では出せない味なんだ。ごはんや日本酒がおいしくなる、最高の漬物だと思う」


 大根の古漬けだが、その大根についた糠には茄子の葉や柿の皮、唐辛子などが入っている。冬の寒い時期にしっかりと乾燥させていて、とても細くなった大根が漬け込まれている。


「ほかにおススメのお漬物はないの?」

「この京都周辺で古くから栽培されている野菜は美味いぞ。日の菜、壬生菜は美味い。もう少しすれば千枚漬けもでてくるな」

「じゃ、日の菜食べてみたい!」

「よしっ、買うか!」


 ふたりは日の菜漬けを追加で買うと、人混みを避けるように四条通へ抜ける。

 歩道が拡幅されていて歩きやすいが、大阪の街と比べるとカオスである。

 大阪の街は歩道や商店街でも左側通行が基本で、自然に往来がスムーズになるのだが、京都の観光地は皆が道いっぱいに広がって歩くのでなかなかに進みづらい。


 花飾りで純白の髪を留め、仄かに赤紫色に染められた花柄の着物に草履姿のクリスは、しずしずという歩き方にもかなり慣れたようで、その美しさに磨きがかかる。四条河原町の信号で立ち止まっていると、周囲からは常に好奇の目線が降り注ぐのだが、まったく目に入らないかのように前だけを見ている。

 正直なところ、街に出ると気疲れするだろうとシュウは思うのだが、クリスはかわいいアクセサリが目に入ると、年頃の女性らしくパッと花が咲くような笑顔になってシュウの手を引いて店に入り、ひととおり商品を見ると店を出る。しっかりと楽しんでいるようだ。


「どうして何も買わないんだい?

 欲しいものがあるなら買えるくらいのお金は持ってるよ?」


 シュウは、クリスから何かを強請られたことがない。店で働いてくれていることに対し、給料ではなく、お小遣いを渡すことにしている。

 給料にすると、税務署とか社会保険事務所がやってくるので、クリスの国籍の問題が発生するからだ。

 そのお小遣いをクリスは貯め、メイド服を買って制服にしているのだ。


「じゃあ、着物が欲しいなー。

 お店で働くにもこっちの方がいいかもって思うの」


 確かにとても似合っているし、メイド服よりはシュウの店の料理や雰囲気に合う。


「本格的なものは数十万円とか百万円とか必要だけど、業務用でよければ……」

「うん、本格的なのもいつかは欲しいけど……とりあえずは業務用でいいよ」


 そういうと、クリスは左手でシュウの左腕を抱きかかえてギュッと抱き寄せ、嬉しそうな顔でシュウを見上げる。

 また、ドキッとするシュウだが、ちょうど目当てのお店に到着した。島津家のような丸に十字の紋が入った紺色の暖簾がかかったお店だ。

 結構な力が必要なほど、重厚な木とガラスでできた引き戸を開くと店員の声が聞こえる。


「おこしやすぅ」


 着物姿の店員が数名働いていて、試食用の漬物からふんわりと香りが届いてくる。


「ここは千枚漬けで有名なお店なんだが、オレの好きな漬物があるんだ」

「そうなんだ! 試食がいっぱいあるから、試食して当ててみようかな?」


 すべての試食品があるわけではないが、これもこの店の楽しみ方かも知れない。

 クリスがシュウの好物を当てるべく試食をしているので、シュウは後ろを歩いて、目当ての漬物を二種類、買い物用の笊に置いていく。


「うわぁ、これ美味しいっ!大葉の香りが強くて、歯ごたえもしっかりあるの!

 ひとつは絶対にこれね!」


 そういうと、クリスも商品を笊に乗せて歩く。はずれであっても、自分用に買うのだろう。

 シュウは、店の人にしてみれば「全部美味しいんですよ」って思っているだろうと苦笑いする。


 結局、シュウが選んだのは大葉の風味がついた胡瓜の漬物と、柚子風味の大根の漬物だ。

 クリスも大葉風味の胡瓜を選んだが、もう一品は姫しょうがだった。

 だが、姫しょうがや小茄子のからし漬けなどもとても美味しいので、それらも全部買うことになってしまった。


「今年の千枚漬けはいつごろになりますか?」

「まだハッキリはしませんけど、十一月の中頃や思います」

「ありがとう」


 会計を済ませると、シュウは店員に千枚漬けの販売時期を確認し、店を出た。

 通りの左にはとても雰囲気のよい、バロック調の内装が見える喫茶店がある。シュウも時間があればクリスと一緒にゆっくりと楽しみたいのだが、今日は十五時には着物を返却し、帰路につかなければならない。

 そうして、シュウとクリスは朝来た道を通って着物をレンタルした店に戻った。


 店の前にはこれまでにこの店を利用した客を撮った写真が飾られているが、そこに大きくプリントされたクリスの写真が貼られており、「話題の天使降臨」とか「百億分の一の奇跡」と書かれている。

 クリスにそんなにいろんな漢字は読めないはずなので、シュウは胸を撫でおろすのだが、ペティナイフの名入れのことを考えると、そうも言えない。


 ただ、そのおかげで今日は、着物のレンタル料金を無料にしてもらえたので恐縮したりしたが、着物を返却すると、ようやくその気まずさから解放される。


「おおきに。また来とぉくれやすぅ」


 店長らしき女性の挨拶に送られ、シュウとクリスは慌ただしく店を出る。

 時間は十五時を少し過ぎたくらいである。


 今までよりは少し動きやすい恰好になったふたりなのだが、エドガルドとの約束があるので、急いで店に戻らないといけない。

 急いで京阪電鉄の祇園四条駅に戻ると、特急列車に乗り込む。事前にネットで予約したプレミアムカーだ。

 必ず座れるし、ギュウギュウに詰め込まれた車内では、クリスも落ち着かないだろうとシュウが配慮した結果である。


 スルスルと列車が動き出すと、ようやく落ち着いたシュウが話しはじめる。


「エドガルドのことなんだけど、今日みたいに京都に行くのがいいかな?」


 昨日、エドガルドが日本に行きたいと言い出したことについては、寝る前にクリスと話がついていた。

 まず、クリスと母ソフィアは転移扉のおかげで日本に来たことがあるのだが、エドガルドはまだ日本に来たことがない。

 そして、そのソフィアは四か月前に急逝し、その直後にクリスとシュウが出会うと、ほどなく今のように双方の世界を行き来する生活をはじめてしまっている。

 一方、クリスには兄と姉、妹がいる。兄は既に成人していて軍人として王都に住んでいる。姉も他領の領主に嫁いでいるし、妹は王都の学校で寮に入っている。

 つまり、エドガルドは独り寂しく暮らしているのである。シュウは、そのことを想像すると、断る理由がない。たまには親子でゆっくり過ごせる時間も必要だと思うし、娘が一日のほとんどを過ごしている世界のことを見ておきたい気持ちもよくわかるのだ。


 一方、クリスにとっては、文明国家である日本という場所と、異世界あっちとのギャップに耐えられるだけの準備が必要だと考えていた。クリスはまだ若く、いろんなことをを受け入れる柔軟性があるが、領主という立場が通じず、絶対的な階級が存在しない日本で、父が自分の立場を捨てて日本人と接することができるかどうかが心配であった。


 そこで、まずはじゅうぶんな知識を教え込んだうえで対策を取ることを前提とするということで、クリスとシュウの間で話は決まっている。


「うーん、どうかなぁ……」


 クリスは宙を見上げて考える。


 クリスにとって、はじめての日本で行った場所は、水族館と映画配給会社のテーマパークだ。それは、異世界あっちから引き戸を開くとつながったシュウの店に飛び込むように入り、戻れなくなったクリスのことをシュウが気遣い、楽しい経験ができる場所を選んでくれた結果であろうとクリスは思っている。だが、エドガルドの場合はもうすぐ四十歳という年齢であることを考えると、テーマパークではしゃぐというのは考え難い。一方、エドガルドは領主という立場にいる人間であるが、根っこは少年のような心を持つ男だとクリスは感じている。ジェットコースターや観覧車など、あまりに文明レベルが違いすぎるアトラクションで、興味本位に勝手な行動をする可能性もないわけではない。自分は大人であり、何かあっても対処ができると思い込んでいる人間にとっては、少年のような好奇心と大人の行動力が同時に働いたときが一番危険なのだ。

 では、京都の街はどうだろうか。

 今日は時間的な制限もあって、まわったところは京都の中でもほんの一部にしか過ぎないだろう。ただ、その一部でも着物を着て歩くという経験は、エドガルドにとっても貴重なものになるのは間違いない。ただ、電車やバス、自動車といった明らかに文明レベルに大きな差異を感じるものに興味を持ってしまうと、危険性に大きな差異はない気がする。


「父は、偉い立場の人間だけど、中身は少年のような人だから、文明レベルが大きく離れたこの国に来ると、興味本位で暴走するかもしれないじゃない?」

「ああ、そのために今夜はしっかりとクギを刺すつもりだよ?」

「うん、そうなんだけどさ……」


 シュウは両親を早くに亡くしている。そのせいで幼い頃に親戚に預けられると、中学を卒業して調理師の専門学校に通いながら料理人への道を歩んできた。

 専門学校を卒業すると本格的に料理人としての修行の道に入り、京都でも有名な料理屋で住み込み修行をした。

 実家はその時から必要なくなったので人に貸していたが、自分の店を開く際、開業資金として売払ってしまっている。

 シュウはそのことに後悔はないが、親孝行というものを一切できなかったことが何よりも残念に思っている。だから、なんでも願いを聞くことが親孝行ではないとわかっているが、できる範囲ならつい何とかしようと考えてしまう。

 そして、クリスはシュウの身の上も、優しさも充分知っているし、父であるエドガルドに対して本当の息子のように接し、共に親孝行をしようとしてくれていることもよくわかっている。


「文明の危険性を伝えられるようなことってできないかしら?」

「ああ、どうせなら、エドガルドやクリスに知っておいてもらわないといけないね」


 シュウはクリスの一言から意図を一瞬で把握すると、そのための自分の考えを列車の中で説明した。


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