第11話 京都でお勉強(1)

 小豆色と柿色で塗られた車体がホームに入ってくると、クリスははじめて乗る二人掛けシートに目をキラキラと輝かせる。

 これまでに電車に乗った経験は大阪メトロと阪神電鉄、JRゆめ咲線だけなので、すべて長椅子だった。そのせいで、座っても景色を楽しむことができなかったのだが、今から向かう京都へは京阪電鉄の特急列車に乗って向かう。

 駅のアナウンスでは、社内整理をするということで、まだ乗り込むことができずクリスは待ち遠しそうにウズウズと様子を見ている。


「あれ? どうして並んでるところに電車がとまらないの?」


 確かに五メートル程度離れたところにドアがあり、停車した場所には乗車客が並ぶための丸や三角の印がない。


「見てればわかるよ」


 シュウに言われるまま、クリスが不思議そうに列車を見ていると、列車は少し動き、同時に二人掛けシートの椅子がバタンと動いて座席の向きを変える。中には途中で止まっているのもあるが、これはご愛敬というものだろう。


「うわぁ、おもしろいっ!」


 そして乗車用に並ぶクリスとシュウの前で止まった列車の扉が開くと、我先にとダブルデッカーの二階席に向かう。クリスとシュウは先頭にいたので二階席の中央あたり、西側の席を確保した。まだ午前中なので日差しの強い東側ではなく、西側で川沿いの景色を眺めることを選択したのだ。当然、景色が楽しめる窓際はクリスが座る。


 しばらくして列車が走り出すと、二つの地下駅を経て、地上を走る。いくつかの駅に停車するが、窓から見える景色はしばらく建物が続き、それをぼんやりと眺めるクリスの横顔はとても美しい。

 京橋、枚方市という大きな駅に停車すると、たくさんの乗客が乗り込んでくる。水曜日の朝九時前の列車なので、サラリーマンやOL、学生が多い。それまでぼんやりと窓の外を眺めていたクリスも、ギュウギュウに乗客が並ぶ通路に気が付くと少し驚いたようだ。

 まぁ、そこに真っ白なストレートヘアを腰まで伸ばし、透き通るような白い肌に大きな二重の目、瑠璃色の瞳を持つとても美しくかわいい少女が座っているのだから、その現実離れした光景に乗客たちはもっと驚いている。


 枚方市駅を過ぎると、列車は川沿いを走るのだが、堤防が高くてあまり遠くまで見ることはできない。ただ、河川敷にあるゴルフ場が見えたりすると「あれは何?」と尋ねてくるし、隣を走る旧国道を走る自動車を見てなぜか競争心を燃やしてみたりして楽しんでいるようだ。

 こうして約一時間の列車での旅は、祇園四条駅に到着すると終了する。


 京都への小旅行の目的はいくつかあるのだが、昨日の異世界営業でエドガルドが日本に行きたいと言い出したことに端を発する。

 ただの観光目的というのであれば、大阪でわざわざ通天閣に連れて行く意味はない。

 自動車が走り、電車が走る。巨大で高い建物や、飛行機などの文明はどこに行っても感じることができるのだから、全世界の外国人が魅了される京都へ連れて行くのがいいと考えるのは自然なことだ。

 それに、クリスにとっても日本を学ぶという名目と貴重な経験を積めるし、シュウにも別の目的があった。


 祇園四条の駅を出ると、時間は九時過ぎ。これから予約してある店に向かうため八坂神社方面へと歩きはじめる。

 外国人観光客が既に街に出てきており、花見小路のあたりに到着すると、黄色い和服に髪を留めた女性の集団を見つける。


「わぁ、シュウさん、あの女の子たちはどうしてあんな恰好をしてるの?」

「あれは舞妓さんだよ。夜になるとお茶屋というお店でお客さんを楽しませるために踊りを踊ったり、一緒に遊んだりするのがお仕事なんだ。かんざしをしていないのは「お仕込みさん」と言って、まだ舞妓になる前の修行をしてる人たちだね。

 朝九時三十分くらいから朝の稽古があるから、今から稽古場に向かうところなんじゃないかな」


 元々は京都の料亭で修行をしたこともあるシュウは、スラスラと答える。


「あの服は?」


 薄い黄色の和服姿が多いが、他にもピンクのものなど淡い生地を使ったものを着ている人もいる。

 この時間ではあぶらとり紙で有名な店もまだ開店前であり、シュウとクリスはそのまま通り過ぎて路地に入る。


「着物と言って、日本の伝統的な衣装だよ。興味ある?」

「う……うん……」


 途中、何かを確かめるように歩くシュウは、ある店の前に着くと足をとめる。


「だと思って、着物を貸してもらえるお店を予約しておいたんだよ」


 ニッコリと笑うシュウの笑顔に驚くクリスだが、状況を把握したのかシュウに抱き着いて喜んだ。





「おこしやすぅー、わあぁ」


 暖簾をくぐって店に入ると、店員からは京都らしい言葉で歓迎されるのだが、語尾になにかついている。


「あ、予約しておいた生田です」


 店員はクリスを見て、声をあげたまま固まっている。


「あの、予約した生田ですが」

「あっ……はい、おふたり分でご予約いただいた生田はんどすね。

 こちらへ、お名前と電話番号を書いてもろて、身分証明できるもの持ったはります?」


 恐らく、事務的に覚えている言葉なのか、店員はシュウのことは全く見ずにクリスだけを見て返事をする。

 さすがにその視線が怖いのか、クリスもシュウの背中に隠れてしまう。


 シュウが用意された申込用紙に住所と氏名、電話番号などを書いていると店員が話しだす。


「いやぁ、えろぉかいらしい女の子やさかい、つい見とれてしもて……すんまへんなぁ。

 でも、どんなおべべご用意させてもろたらええか、うちらも悩んでしまいますわぁ」

「まぁ、オレたちも初めてだし、とりあえずお任せしていいですか?」

「へぇ、精々きばらせてもらいます」


 そういうと、店員はクリスにつきっきりで着物選びを始めるのだった。





 男性が着替える部屋が女性と別になるのは当然だが、女性用の部屋からはキャッキャッという感じのハイテンションで着物を着せる声が聞こえてくる。なぜかスマホのシャッター音が聞こえてくるし、どうなっているのかと心配になるが、ほぼ一時間ほどかかってようやく着物姿のクリスが現れた。

 仄かな赤紫色に染められた着物には、そこかしこに花柄が染めこまれており、とても上品ながらも着る者を華やかに飾り立てている。クリスは異世界(あっち)の人間にしては小柄で、日本の平均的な女性の身長より低い。そのため、着物の裾はちょうど良い長さに調整できており、とてもバランスよく着こなしている。

 白くて長いストレートの髪は、予約したときにお願いしていたヘアセットに含む花飾りが映えている。

 何度も着替えさせられ、写真を撮られたのか少し疲れた顔をしていたクリスも、シュウに見られると気恥しいのか、頬を赤らめ、俯いたままトコトコと歩いてやってくる。恐らく歩き方までレクチャーを受けたのだろう。


「すっごく似合ってるよ」

「ありがとう」


 普段はメイド服姿で働くクリスを見ているだけに、とても新鮮でつい口に出したことばにシュウ自身も照れてしまったようだが、クリスは耳まで赤く染めてもじもじしている。


「いやぁ、堪能させてもらいました。

 予定外どすけど、ついオプションにしてるものまでつこてしもて……

 無料にさせてもらいますさかい、撮らせてもろた写真をつこてもよろしおすやろか?」

「はぁ……」


 店員……いや、社長らしき女性の提案に、クリスの了解を得ると、ふたりぶんのレンタル着物料金は無料になった。





 さて、シュウとクリスの二人は次の目的地へと向かうことにする。

 時間は十時を過ぎたところなのだが、慣れない足袋と草履で歩くため、普段よりはゆっくりと進む。

 クリスも歩き方を教わっているので、草履姿だとしずしずという雰囲気に変わる。その姿は隣を歩くシュウにはわからないだろうが、実に優美であった。

 その証拠に前方からくる人たちはその足を止め、クリスが通り過ぎるのを無言で見つめている。


 少し歩いて花見小路の交差点にまで戻ると、あぶらとり紙の店は開店時間を迎えたようで、入り口で待ち構えていた観光客がぞろぞろと店内に入っていく。


 そこでクリスはクイックイッとシュウの袖を引く。


「ん?入りたいのかい?」

「うん……」


 クリスは「化粧」に強く興味を持っているようで、最近はずっとリップグロスを使っている。

 美しく、かわいい顔をしたクリスに化粧なんて不要だろうと思ってしまうかも知れないが、日焼け対策や日々のメンテナンスは非常に大切だ。また、日本の化粧品は非常に品質が高く、異世界あっちの商品などとは比べ物にならないので、試せるものなら試したいと思うのも仕方がない。

 そうして、クリスが店に入ると、がやがやとした店内の雰囲気はガラリと変わり、水を打ったように静かになる。


「荷物になるから買うならネットで買うんだぞ」


 シュウが耳元で囁くと、クリスはコクリと頷き、実物を触らないとわからないブラシやパフなどを見て歩く。シュウはその姿と商品を見て、まだ十七歳の女性が選ぶ商品ではないなと思ってしまう。

 クリスもそう感じたのか、店内を一周して歩くと外に出てしまった。


「いいのか?」

「うん、他のところも見てみたいしね」


 そういうと、クリスはシュウと手を繋ぎ、またしずしずと歩きはじめた。





 足袋に草履という組み合わせでは、慣れないせいかなかなか進まないようで、四条木屋町に到着したころには既に十一時になろうかとしていた。

 ふたりは、阪急電鉄の出口がある交差点を川沿いに北へ進むと、一本目の道を西に入る。


「汁」と書かれた暖簾が掛かるその店の前に立つと、シュウはクリスに話しかける。


「ここは、味噌汁の聖地と言われるところなんだ。

 ここで昼めしにしようと思うんだけど、いいかな?」

「うん……ここが日本の味噌汁の発祥ってこと?」

「違うよ、ここは味噌汁専門店というか……オレの店の手本のひとつかな」


 そういうとシュウは店の引き戸を開き、クリスを引いて中に入る。

 店内には着物姿の女性が二人働いている。


「おこしやす。おふたりさんどすか?」


 シュウがコクリと頷く。


「空いてる席へどうぞ」


 店内は少し変わった形をしている。

 入り口の正面には七十センチ程度の高さに畳敷きのスペースがあって、それを囲うようにL字型のカウンターになっている。また、壁際にはその畳敷きのスペースに向かってベンチ型に椅子とテーブルが置かれている。すべての客が、畳敷きのスペースを臨むような構造だ。

 壁には味噌汁の具が板に書かれて並んでいる。

 ふたりは、L字型のカウンターの角に席を決めて座る。


「ここのオススメはおとしいもの白味噌だが、それでいいかい?」

「うん」


 シュウが店員に、おとしいもの白味噌で弁当を注文すると、少し落ち着いたのかクリスは店内を見回す。


「変わった配置よね」

「ああ、能という日本の伝統芸能があるんだが、その舞台を真似て作ってあるらしい」


 シュウは少しだけ知っている能と狂言についてクリスに説明しておくが、そうするうちに、店員二人が弁当と味噌汁を持ってくる。


「えらいお待たせしてしもて、すんまへんなぁ」


 目の前には、四角いトレイに扇形の型で固めたかやくごはん、鶏肉の旨煮、ゆでたまご、鰆の幽庵焼き、ぬた和え、蕨煮、沢庵、瓜漬が並んでいる。その奥には切り胡麻が散らされた白味噌を使った味噌汁に、丁寧に摺られた大和芋がポッテリと沈んでいる。


「ゆっくりしとおくれやす」


 店員がそう言って下がると、シュウとクリスは手を合わせ、小さな声で呟く。


「「いただきます」」


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