別れの準備期間 2


「そんな可愛い事、仰って…」



えっ?…かわ…?可愛い?



オレが、そんな言葉に惑わされた瞬間…

視界が急に明るくなり、冷っとした空気がオレを包んだ。


布団を剥がされたんだ…と、頭が理解する頃には、横を向いていた身体を仰向けにされて……。



「いい加減、顔見せろよ。」



ぇ…誰?


明るい部屋に目がようやく慣れてきて、

その声の主を見ると、端正な顔立ちが……。


ち…近い…!



「紫津木さまのマネをしてみました。 似てますか?」


「…マネ…て…」


「あまりにも可愛い事仰っしゃるので、そのちょっとした仕返しです。」



このタイミングで、そんなマネ…

全然、ちょっとしてないし…。



ぁ…


それだけ…一条さんも傷ついた…て事か。



「…あの…考え無しで、ごめんなさい。」


「…わかってます。」


と、綺麗な笑顔。



わかってるって…何か複雑。



「眼鏡…なんですね。」



それに、いつもスーツなのに、今は、デニムに白シャツだ。



「コンタクト外させてもらいました。」



…雰囲気変わるもんだな…。


と、まじまじと一条さんの顔を眺めていたら



「今のお顔も、艶があってよろしいんですが、顔洗ってきますか?」



あ…っ!


涙とか汗とか鼻水とかで、グチャグチャの顔だった…!


しかも、一条さんに組み敷かれてる格好だし…恥ずかしい!



オレは、一条さんをはねのける形で上体を起こし、ベッドのふちに腰かけた。


顔、上げられない…。



「葵さまと、どんな話を?」



葵さんの名前が出て、ピクッと肩が揺れた。



「お話によりますが、何か助言が出来るかもしれません。」



…そんな…オレに、優しくしないでよ…


今…涙腺、緩くなってるから…



「…オレ…、」



それに…もう…遅いんだ…



「はい。」


「…オレ…もう……別れるって言っちゃっ…」



堪えきれずに口許を抑えた。


口が痙攣して、上手く話せない。



一条さんは、オレの隣に腰掛けると、何も訊かずに肩を貸してくれた。


オレは、そんな一条さんに額を預けながら、声を殺して泣いた。


一条さんからは、藍とは違う、懐かしい匂いがした。

遠い昔、こんな風にしてもらった事があるような…変な感覚だった。



「ぁ……ありがと…とりあえず、落ち着いたみたい。」



身体を離し、目を伏せたまま、お礼を言った。



「そうですか…私のでよろしければ、いつでもお貸ししますよ。」



藍と出逢った翌日、同じようなセリフを言われた事を思い出し、可笑しくなった。


あの頃から進歩してないって事なのかな…


はぁ…


なんか、もの凄く遠い昔のようで…


切ない…



「…どんな話だったのですか?」


「…ぇ?」


「…何があったのか、教えて頂けませんか?」


「…うん…そうだね。」



話す事によって、吹っ切ることが出来れば、この気持ちは、少しは軽くなるだろうか?


オレは、葵さんとの話や、藍を傷つけてしまった事に対する責任、自分の過去で、藍の仕事が無くなってしまうのではないか?という恐怖を包み隠さず打ち明けた。


一条さんは、時々相槌を打ちながら、オレの話を最後まで静かに聞いてくれた。話し終えると、おもむろに口を開き



「悪い方向に考えてしまう癖は、相変わらずのようですね。」



ぅっ…



「本当によろしいんですか?」



よろしいも何も、これしか方法が



「紫津木さまが先程、包帯を取っていらっしゃいましたよ。カットバンだけで、大丈夫なようです。」


「本当?良かったぁ。」



本当に良かった…



「愛さまは、答えを出すのが早急過ぎるんです。」



そんな事言ったって…



「そこで、私からの提案があります。 日曜日までの一週間、お別れのための準備期間として過ごされたら、いかがですか?」


「…準備期間?」


「幸い、渋々ではありますが、紫津木さまも、日曜日まで愛さまと接触しないと、ご納得頂けたようですし、本当に別れたら、どうなるのか…この一週間で体験されてみてはいかがですか?」



なんか…お試しみたいな…?



「このまま本当に別れれば、愛さまの心が悲鳴をあげますよ。 恐らく、今日以上にね。」



ぅっ…そんなのわかってる。



「…愛さまには、後悔して欲しくないんです。」


「…わかった。でも、気持ちは変わらないよ。 これは、オレのためじゃなくて、藍のためなんだからね。」


「存じております。私は、紫津木さまでは無く、愛さまが第一ですので。」



?…一条…さん?



「…わ…わかったよ。そ…それにオレ…別れ方には、自信があるから。」


「それは、高校生の時におつきあいされてた彼女の事を仰ってるのですか?」


「!!……な…何で、その事知ってるの?」


「社長が時々、興信所を使って愛さまの事をお調べになってたので。」


「はあ?!」



ちょっ…ちょっと待て



「それじゃ、あんなメール貰う前から知ってたんじゃないの? オレが…オレが、どんな目にあってたか…!」


「今、お知りになりたいですか?」


「はあ?当然だろ?」


「それは、得策ではありませんね。 そろそろ、お二人が戻られます。その前に洗顔なされては、如何ですか? 今、お顔が物凄い事になってますよ。」



オレが、カッカカッカと頭に血が昇ってるのに対し、一条さんは、いたって冷静で、口許に笑みすら浮かべている。


その事が、オレの心を逆撫でる。


この件に関しては、安堂以外に怒りをぶつける相手が居なかったという事も原因かもしれない。


気が付くとオレは、立ち上がって一条さんの肩のシャツをにぎりしめていた。



「どうなさいますか?」



確かに、藍にはこんな、いかにも泣いてました_みたいな顔は、見せられない。



「…わかった。でも、この件に関しては、近々に絶対に訊くからね。」


そう宣言して、扉に向かうと、

「私が、案内します。」と、一条さんが、オレより先に扉を開けた。



ぅっ……神様…!


間に合わなかった。


目の前には、スーパーの袋を下げた藍が立っていた。



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