過去の代償 2


食器を洗っていると、藍がお皿を拭きながら訊いてきた。



「親父さんの所には、いつまで行けばいいんだ?」


「…電話貰った時に、1時間後って言われたから…後30分かな?」

 


藍の手が止まったので、顔を覗き込むと


「はあ?間に合うのかよ。」


呆れてました…。



「だって…」


 

会いたくない。



「だってじゃねぇ。」


「きゃ…!」



軽くお尻を叩かれて、思わず声が出る。

 

ちょっと文句を言ってやろうと、藍を見上げると、真っ赤な顔をしていた。


なんで?

 


「…っな声出すんじゃねぇよ。力抜けんだろ。」



ぁ…



「…ごめん…」


「良いから、早く着替えて来い。」



チラッと見ると、赤いながらも、いつもの優しい笑顔だった。




*****




支度が終わって、下に下りると、入れ替わりで藍が、上に上がっていった。


事務所に行くついでに、送ってくれることになったから。




「…行くぞ。」



暫くすると、藍が、スルスルっと梯子を下りてきた。



うわあ…モデルさんみたい。

いや…モデルなんだけど。



オレが、ジーッと見ていると、


「あっ…そっか。合格?」



オレは、縦にブンブンと首を振った。

黒のデニムパンツに、黒のタートルネックのカットソー、白いシャツを上に着ていて、更にその上から、デニムジャケットを羽織っていた。

手元には、黒のフェルトのハット。



「モデルなんてやってたって、私服は地味だから。」



藍は、バイクのキーをクルクル指で回しながら、玄関に向かって歩き始めた。



ちょっちょっと待って!

藍に見惚れてる場合じゃなかった。


藍が靴を履こうと、屈んだ所を背後から抱きついた。

  


「待ってよ…!もうちょっとだけ、このままでいさせて。」


「…やっぱ、一条さんて人に何か言われたのか?」



背中に顔をつけたまま、首を横に振った。


だって…だってまだわからないけど…

 

嫌な予感しかないし…


離れたくない…!



小さく息を吐いて、藍は、オレの手に自分の手を重ねてきた。



「…何か…不安な事があるのか?」



腕がピクッとなってしまうオレ。



「愛…?」



藍は重ねた手の指を絡めながら、はっきりとした口調で、話し始めた。



「何かあったら、直ぐに連絡しろ。

スーパーヒーローみたいに、目の前に現れてやるから。」


「…うん!」



オレ達…大丈夫だよね。




*****




「親父さんの会社…すげぇな。」



藍はバイクに跨がったまま、高層ビルを見上げて呟いた。



「黙ってて、ごめん。」



メットを返しながら、藍の顔を伺った。


オレの表情を読み取ったのか、藍はクシャッと笑顔になって


「黙ってたんじゃなくて、話す機会が無かっただけだろ?」


と、オレの頭をワシャワシャっとした。


その手がそのまま、頬まで下りてきて

親指でクルクルっと円を描くように、頬を撫でてから、離れていった。


無くなった体温に、少し寂しさを覚えていると


「…今生の別れみたいな顔すんな。 今日、デートすんだろ?」



オレがコクッと頷くと、綺麗な笑顔を見せてくれた。




*****

 



最上階の社長室の前。


オレは、大きく深呼吸した。



落ち着け。落ち着け。


父さんと一条さんは、味方だ…


パーカーの下に隠れてるネックレスを握りしめ、扉をノックした。

 


「はい。どうぞ。」



一条さんの声だ。



「失礼します。」



扉をゆっくり開けた。


そこは、社長室の前室で、秘書室になっている。


PCの前に座っていた一条さんが、立ち上がってこちらを見た。



「お待ちしておりま…し…た。」



オレを見るや、目を見開いて固まったのがわかった。  

   

どこかおかしかったかな…? 


でも、それは一瞬の事で、 

直ぐに、社長室の前まで案内してくれた。



「社長、愛さまがお見えになりました。」


「通せ。」



久しぶりに聞く父さんの声に、緊張がMAXになる。


扉を開けてもらい中に入ると、

父さんは、執務机の前に置かれたソファの横に立っていた。



「かけなさい。」と促され、父さんの前のソファに座ると、それを確認した父さんも目の前に座った。



「…痩せたな。」



今にも泣き出しそうな顔だ。



父さんと母さんは、大恋愛で結ばれたらしいんだけど、母さんは、オレを産んで直ぐに亡くなったそうだ。


オレは、その母さんに生き写しらしく、

父さんは、オレの事、めちゃくちゃ可愛がった。


中学、高校の頃はそれが嫌で、一人暮らしを始めたのも、そのためだ…。



「何から話せばいいのか…実は、板垣の事務所から、こんなメールが送られてきた。」



藍の事務所だ。


藍の事務所の社長さんと、父さんは、何かのパーティーで知り合って以来、

意気投合したらしく、懇意にしている。


父さんは、オレの後ろに立っていた一条さんに指示を出すと、一条さんは、テーブルに一枚のメールを置いた。


そこには、信じられない文字が並んでいた。



貴社の所属モデル紫津木藍は、昨日自宅アパートに男娼を連れ込み、一夜を過ごした。

男娼の名は、如月愛。

紫津木藍は、この男娼がお気に入りで、彼のマンションには、毎晩のように通っている。




だ…男娼…?



オレが…?



男娼…?




オレ…が…



男娼…



毎日のように、ヤられてたと思ってたけど…


オレが…ヤってたんだ…?



オレが…誘ってたんだ…?



オレ…が…




ククッ…ハハッ



可笑しくもないのに、笑いが込み上げてくる。



「…愛?」



父さんが、心配そうにこっちを見ている。


でも、止まらない。 



気づいたら、涙を流し大きな声をあげて笑っていた。



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