あの日 12


それは、出発しようと、葵さんがエンジンをかけた時。

 

葵さんの携帯が鳴ったんだ。 


葵さんは、「ごめんね」と、右手で手振りをすると、運転席に座ったまま電話を受けた。          



「どうした?」


『どうしたじゃないっスよ!何んスか、さっきの電話!』

 


相手は、すっごく怒ってるらしく、声が外まで漏れている。

 

  

「ああ……ごめん。…とりあえず、終わったから。」


『はぁ?!オレがどれだけ心配したと思ってるんスか!』


「うん……ありがとう。ごめんな。……それより今どこだ?家に無事着いたのか?……そっか……ちゃんと寄り道しないで帰れよ。」



葵さんの表情を見て、直ぐに『男前』の彼だということがわかった。


話し方や表情で、本当に好きなんだな…て思う。



「これからも、暫く気をつけて…それは……ごめん…話せないけど…巻き込んでしまって……そうだよな…何言ってるかわからないよな……でも、危険だから…家に着いたら連絡して……そう……まだ子供だろ?……フッ…そうだな。……それじゃ。」



電話を切った葵さんは、大きな溜め息をついてハンドルに突っ伏した。


そして…

 

   

「○○…」


と、呟いた。

   

この言葉が、好きな人の名前だと知ったのは、つい最近のこと。



「葵…さん?」

 


オレは、恐る恐る声をかけてみた。


とても辛そうだったから…。


葵さんは、ガバッと身体を起こして、こっちを見た。



「オレ…何か言った?」



すっごい赤いんですけど…顔。


見事に耳まで赤い。


この様子からすると、オレの存在忘れてたな。



「ううん。何も。」



まただ……この感じ。


こんなに近くにいるのに、遠く感じる。


周りの人間が、オレの存在だけ気づいていないような……。


ぽっかり穴が空いてる…


そんな感じ…。


本当は、わかってるんだ。


この空虚感の意味……。


オレは昔から、自分の意志とは無関係に、人間関係のゴタゴタに巻き込まれてきた。


しかも何故か、そのど真ん中に居る事が多い。


簡単に言えば、ドロドロな恋愛関係…。


でもオレは…誰の事も好きじゃなかったから、△でも□でも無かったんだけどね。

   

前に話したことのある高校生の時の彼女も、人間関係のゴタゴタを嫌ってつきあいだしただけで、……特別、好きでも無かったんだ。


こんな気持ちじゃ、長続きするはず無いよね。


他人に興味持てないのに、巻き込まれてばっかで……


だから、大学に入ってからは、深くつきあうのは止めて、他人とは一定の距離を保つようにしたんだ。

  

そしたら、楽で楽で…。


やっと、呼吸が出来たような…


大袈裟かもしれないけど、本当にそう感じたんだ。          


他人を内側に入れない。

 

それが普通になっていたのに


それで幸せだったのに


 

オレの心の鍵をあの笑顔で開けて


葵さんが入ってきた。



でも……

  

独り占めは出来ない。


返さなきゃいけない。


今まで平気だったことが、平気じゃなくなった。


知らなきゃ良かった?



「愛ちゃん?大丈夫?」

 

「え?」


「体調…悪い?」


「全然大丈夫です。」


「なんか……ごめんね。」


「…?」


「こんな事に巻き込んだオレと、あんま関わりたく無いかもしれないけど…家の前までは送らせて。ね?」

  

と、オレの顔を覗き込んだ。


そっか……

 

オレが嫌ってると思ってるのかな?


そう言えばオレ……


きちんとお礼して無い。

 


「ありがとう。……助けてくれて。」



今更?という感じがしたので、顔は見ずに正面を向いたまま言った。



「礼なんて言うなよ。……辛いから。」


 

葵さんは、そう呟くように言うと、ゆっくりと車を出した。


今直ぐにでも、彼に会いに行きたいだろうに……


こんな事を話せば、きっと笑顔で否定するんだろう。


彼の優しさにつけこんで、オレは…


隣にいる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る