アストロン
私、
小鳥が陽気な朝の通学路。雑談交じりの授業中。解放感で溢れる放課後も。
殆どのタイミングで彼女はいつも気怠そうに、あるいは眠そうにしている。
かといって、実はぼーっと呆けているわけじゃなくて、本人はいたって真面目らしい。それが真顔なんだ。
そして、私はその真顔を良い方向に崩す方法を知っている。
「おお、今日もいい感じに死んでるね!」
「死んでない」
「そんなかわいそうな星奈を私が蘇らせてあげよう」
「話を聞け」
授業と授業の間の休憩時間、私は星奈の机まである物を持って遠征をする。
手に持つそれは凄く軽いけれど、星奈を生き返らせるには十分すぎる代物だ。
「それで、今日は何」
「焦っちゃだめだよ、マイリトルフィッシュ」
私が後ろ手に持つソレが気になるらしい星奈は、少しソワソワとしている。可愛い。
「今日は……期間限定の柚子チョコレートですっ!」
「おおおぉっ」
そして、私が隠していたお菓子を机の上に大仰に出すと、星奈はいつも素直に喜んでくれる。
そしていつもの死んだ魚のような目はどこかへいって、その目の中には無数の星がきらきらと煌めき始めるんだ。
そう、星奈は無類の甘いお菓子好きなんだ。
「はい、あーん」
「んむ」
個包装を破って、星奈の口に運ぶ。小さな口が小さなチョコレートブロックを包み込む。
私の指先が少しだけ星奈の唇に触れたこともお構いなしに、星奈は幸せそうな表情で舌の上で甘味を転がす。私はそのままの指で自分の口にチョコレートを運ぶ。
「もいっこ」
「どうぞ」
口を開けて待つ星奈に、もう一つチョコレートをあげる。私が口にチョコレートを放り込みやすいように、少し上向きになった星奈はまるで餌を待つ雛鳥のよう。よーし、お母さん立派な成鳥にしてあげるからね。
私の手から再びチョコレートを摂取した星奈は、なおも幸せそうにそのとろける甘さを味わっている。
彼女が普段無気力に見えるのは、この瞬間を最大限に幸せに楽しむためではないだろうか。そうとさえ思えるほど、チョコレートを食べている時の星奈は幸せに満ち溢れている。
「かわいいなぁ、星奈は」
「なんだ、藪から棒に」
「藪もないし棒も出てないよ」
「よくわからんやつ」
怪訝な顔をしながらも目線はずっとチョコレート。目の中の星はずっと煌めいていて私の天体観測はずっと続けられそう。
だけど、学校の休憩時間なんてのはお昼を覗けばせいぜい十分程度。至福の時間は思ってる以上にあっさりとすぐに終わってしまうんだ。
「じゃあ、続きは後でね」
「ん」
まだ残っているチョコレートの箱を私が片付けると、身体を吊っていた見えない糸が切られたように星奈は脱力して、目もいつも通り。
これが意図的でないのだから可愛いんだ。そんなのだから、私はついついチョコレートをあげたくなるんだ。
そうして、結局一日にある休み時間をすべて使って十数個はあったチョコレートを殆ど一人で星奈は食べきった。
「ごちそうさま」
「どういたしまして」
私にそう言葉をかける頃には既にいつもの表情に戻っている。
そして放課後。いつもの帰路。夕焼けに照らされる死んだ魚。違う、死んだ魚のような目。その顔も好きなんだけどね。
「たまにはお返ししないと」
不意に星奈が言った。そして指さすコンビニエンスストア。
「え? いいよ。 私が好きで食べてもらってるんだし」
「わたしも好きで食べている。 だからわたしにプラスが大きい」
「えー、そう?」
「素直に受け取れ」
なんて、ちょっと強引に言われるから了承。そうして、コンビニの中に入ろうとして……
「……財布忘れてる」
「えっ」
「そういえば、昨日家で出したんだった……」
「ありゃー、しょうがないね。 また今度お返ししてよ」
「ううむ……」
実は少し楽しみになり始めていたけど、しょうがない。眉間に皺を寄せて唸る星奈の肩を抱いて、帰ろうと促す。
その時、くるりと、私の横に並んでいた星奈の身体が回転した。
「ん」
背伸びをして、私の唇に触れるようなキス。手の平に乗った雪が体温で解ける時のように一瞬だったけれど、雪がそこにじんわりと冷たさを残すのと同じように星奈の唇はじんわりと温もりを私の唇に残した。
最初、それがキスだと理解するまで数秒を要し、理解してからは高性能のケトルよりも早く私の頭は瞬間沸騰。
「たまには、ね」
無言で星奈を見やる私から視線をぷいと逸らし、星奈は歩き始める。
ちらっと見えたその目には、沢山の星が瞬いていて私は顔をより真っ赤に染めて星奈の後を追った。
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