お昼の約束
年が明けて早々の大学。澄み渡る寒空の下の校舎内で、
彼女の本日受講予定の授業は午前にて終了。この後にランチでも……と考えていた矢先の出来事だった。
「せんぱーーーい!」
廊下の遥か彼方からメガホンよろしく女生徒のよく通る声が響く。
その声の持ち主は美鈴のよく知る人物であり、美鈴は反射的に後ろを振り返った。
案の定、そこには彼女の後輩である
実穂は美鈴の前で速度を緩めると、器用に美鈴の直前で立ち止まった。
「おはようございます! 先輩」
「もう昼よ、勅使河原さん……」
「私にとっては、先輩に会うことから一日が始まるようなものです!」
苦笑気味の美鈴に対して、実穂は爛々と輝く目をしてそうキッパリと断言した。
「おはよう、勅使河原さん」
「おはようございます!」
これは繰り返される日常の風景である。美鈴の級友たちも動じずに、突如現れた小動物のような後輩と自然と挨拶を交わす。
実穂は少し乱れてしまった服装を手で正すと、美鈴に向き直った。
「先輩、お昼これからですか!」
「あー、うん。 そうだよ」
実穂からの問いかけに、美鈴は歯切れ悪くそう答える。横に並ぶ級友二人の顔に視線をやって、無言で伺いを立てた。
「いいよ、気にせず行ってきなよ。 元から決まってた予定でもないんだし。 後輩ちゃんは大切にしなきゃ」
「うん、ありがとう。 二人とも」
快く送り出してくれた級友二人に、美鈴は律儀に礼を返して実穂の方に向き直った。
「そういうわけだから、お昼行きましょうか」
「やったー! 先輩方、ありがとうございます」
仮に実穂が子犬であったならば、その尻尾は千切れんばかりに振り回されていた事であろう。
その子犬は、了承を得られたや否や美鈴の腕を引っ張った。
「たまには外で食べましょう! 私も今日は午前までなんで!」
「ちょ、ちょっと。 慌てないで」
「お腹減ったので!」
「いってらっしゃーい」
そして、そのまま強引に連れ去られるように美鈴はその場を後にした。
時計は十二時半ばを過ぎたあたりだ。この時間であれば学内外問わずランチを行っている店はそれなりに人入りがあるだろう。
だが、実穂は先ほどの言葉とは裏腹に学内から出る気配がなかった。講義棟から離れ、美鈴を引っ張ってやってきたのは学内の少し奥まった場所に存在する、とあるサークルが使用する一室だった。
その事に美鈴は気付いてはいたが、黙っていた。これも二人にとっては、毎日というわけでなくとも日常のうちの一つなのだ。
部屋に入ると、実穂は美鈴の腕を離して後ろ手に扉の鍵を閉めた。
「ね、先輩。 今日は私とお昼食べる約束でしたよね」
「そ、そうだね」
「それなのに忘れたふりして。 先輩の株下げないために、私が無理矢理みたいにしましたけど……」
「ご、ごめんね……あと……二人の時は名前で、呼んで欲しいな……」
部屋に入り、空気は一変。美鈴は途端にしおらしく、逆に実穂は半ば呆れるような様子で美鈴を問い質した。
部屋の明かりもつけず、薄暗い室内で二人は向かい合う。
「美鈴は、結構ワガママですよね。 忘れたふりをしたのも、本当は理由はわかってますよ」
立ち尽くしている美鈴に、実穂は歩み寄る。頭一つ分は身長差があるにも関わらず、それを物ともしない滑らかな動きで実穂は美鈴の首の後ろに腕を回して抱いた。そして、少しのつま先立ちをしながら美鈴の耳元に顔を近づけた。
「こうやって、私に叱られたかったんですよね?」
「あう……ごめんなさい……」
へなへなと、力が抜けたように美鈴はその場で床にへたり込んだ。その様子を、実穂は冷めた目で上から見下していた。美鈴は上目遣いでその顔を見つめ返す。
程無くして、実穂が大きく首を振った。まるで、おあそびの時間はここまでだと言うように。
ため息をひとつついて、実穂はしゃがんで美鈴の手を取った。その目は美鈴を心配する目だ。
「ちゃんと椅子に座って下さい。 綺麗なスカートとタイツが汚れちゃいますよ」
「うん……」
実穂に手を引っ張られ、よろよろと立ち上がって椅子に座り直した美鈴の顔は紅潮している。
その様子を見て、実穂はまた少しだけため息をついた。
「美鈴がこんな人だって、思わなかったな」
「嫌いになる……?」
先ほどと立場は逆転、今度は小動物のように目を潤わせて肩を震わせているのは美鈴の方だった。
「……なりませんよ、こんな美鈴も好きです。 私は美鈴の全部が好きですから」
それを安心させるように、実穂は美鈴の頭を撫でる。
実穂の指の間を、シルクのような肌触りの美鈴の綺麗な髪の毛が抜けていく。
「えへへ、嬉しい」
「可愛いですよ、美鈴」
「実穂も、可愛い」
どちらからともなくお互いを抱き寄せると、その存在を確かめ合うように指の色が変色するほどに二人は強く抱きしめ合った。
永遠のような数秒を過ごして、二人はどちらからともなく離れる。
「さて、本当にお昼ご飯食べに行きましょうよ、美鈴」
「うん、そうだね」
「実は大学のすぐそこに新しくできたところがあって……」
そして、二人は何事もなかったかのように部屋を後にする。
冬の外の空気は、二人をいつもの外行きに戻すのにうってつけの冷たさだった。
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