第4話
重木によってステンレスのティーワゴンから色の濃い紅茶が
一方の金縁めがねは、通ぶった左手で金縁ソーサーを持ち上げ、せわしい右手で金縁カップを口元に運ぶ。そうしてのどを湿らせたのち、満足感あふれる金縁ボイスで小さくうなった。
「……ちょっとジキョウさん、味わってる場合ですか?」
「味わっているのではありません。
「
「こだわるといえば」通自はカップを受け皿に置く。「殺された
(知らねえよ)
作業中にとりとめのない話を聞いたり、何部屋か物色したりもした。けれど、名栗にとって特別印象に残っている物事はない。金品以外、眼中になかったためだ。
「髪ですよ。正確には髪型でしょうか」
(なわけねえじゃん。だってあのじいさん確か……)
「市議をお務めになる前から有名でしたよ。なにせこの方、常にアフロヘアだったものですから」
「もっとも、殺されたときのアフロは偽物でしたけどね」
重木は懐から柘植頭の遺体が収められた写真を数枚取り出し、取調室の机に並べていく。
「あっ、アフロの……かかカツラっ……!」
「ジキョウさん」
「失礼。続けてください」
「では」と重木は並べた写真のうち一枚を指す。そこには遺体となった柘植頭と、そのトレードマークであったものがみじめに横たわっていた。
「柘植頭元市議が大変こだわっていたという髪は、この通りカツラでした。ですが、頭部に打撲傷があったにもかかわらず、カツラへの損傷は見つかっていません」
「それがなんだってんだ」
「つまり犯人は柘植頭元市議のカツラを外してから金槌を振り下ろした、ということになります。万一カツラに防がれでもしたら……なんて思ったんじゃないですか? 名栗さん?」
「ぷっ、くく……本気で言ってんのかよ」
「あなたに死者を笑う資格などありませんよっ!?」
「そっちじゃねえ! ヅラだヅラ!」
名栗は取調室の机を腹立ちまぎれに打ち鳴らす。十二時半からあれやこれやと五時間以上も警察署に拘束されており、ただでさえ機嫌を損ねていたというのに、見当違いな正論までぶつけられたのだ。かんしゃく玉が破裂するのは道理至極だといえよう。
口角泡を飛ばすかのように名栗はまくし立てる。
「ヘルメットじゃあるまいし、ヅラごときにそこまで考えるかよ!? たとえ防がれることを恐れたとしても、あんな黒々したアフロのじいさん見りゃ誰だってヅラだと気づく! 必ずしもオレがやったとは限らねえだろうが!」
「はいぃ?」
「とぼけんな!」
「はいぃ?」
「姉ちゃんも!?」
「「はいぃ?」」
「顔を! 見合わせんな!」
「『誰だってヅラだと気づく』――ですか」
「ふん。当然だろ」
「それは驚きですねえ。僕にはとても気がつきませんでしたよ」
「……は?」
名栗は
「重木君、君はどうでしょう?」
「現場写真を見て、初めて知りました。柘植頭元市議についてはある程度、知っていたつもりでしたけど」
「ちょ、ちょっと待てよ。いくらオレを犯人にしたいからって口裏合わせとか」
「僕たちだけではありませんよ? なにせ、もうひとりの容疑者だった只野さんのみならず、被害者のお孫さんすら初耳だとおっしゃいましたからねえ」
そう言いながら通自が重木のダウンジャケットから取り出したのは、事件があった地域にも配達されている地方新聞だった。
『巨星
およそ週刊誌すら書かないであろう一部の見出しに目を疑いたくなるが、真白市元市議殺人事件を報じたその一面に載せられた記事と写真に偽りは認められない。
「これほど大きく報じているのですから、世間的にもほとんど知られていなかったのでしょうねえ」
「この事件の容疑者である名栗さん――あなたを除いて、ね」
「ちなみに
「あ、高井さんは白です。昼休憩が始まってからずっとコンビニにいましたから」
(……こんな、こんなことが……)
己が不運を呪わずにはいられなかった。
なぜなら、カツラは取っ組み合った際に外れただけで、名栗自らそうしたわけではなかったからだ。もちろん、金槌がカツラに防がれる恐れなんて毛ほども抱いていなかった。
「…………だが」
しかし、けれども、さにあらず。決定的な証拠とは呼べない事実だ。
それに『疑わしきは罰せず』という大原則もある。現状においては、自供さえしなければ捕まらずにすむだろう。
この程度の取り調べ、名栗益雄には通じない。
「故意に外したんじゃなく、たまたま外れたとしたら、ヅラの事実を知らなくともあの状況を作れる。違うか?」
「あー……気づいちゃいましたか」
(やった! やってやったぞ!)
重木が言いよどんだのを目の当たりにして、名栗は勝利を確信する。
「どうしましょうジキョウさん……取り調べの時間もほとんど残ってないですし、今日はこのくらいにしますか?」
「んほおぉ……」
「なにしれっとおかわりしてんですか」
「暇さえあれば紅茶を
「そういうのいいから終わりにしましょう、取り調べ」
「仕方ありませんねえ」
(ああ、やっと終わったか)
名栗は力ませていた背中に手をやり、ふっと
なにより、結局のところ、真白の警察は決定的な証拠をひとつとして示せなかった。こうなっては第二、第三の持久戦を迎えたところで敗する可能性は皆無である。
勝者の余裕をもって名栗はほくそ笑む。そんな犯罪者に賞賛でもなく、罵倒でもない、淡々とした言葉が浴びせられる。
「――最後にひとつだけ」
人差し指を立てながら、慇懃無礼にそう尋ねてきたのは、特例係の通自だった。
「被害者宅から盗まれた二百万。一般的には大金と呼んで差し支えない金額です。もしそれだけのお金を自由に使えるとなれば、おそらく僕は迷ってしまうでしょうねえ」
(なんだよ急に)
「名栗さん、あなたならどう使いますか? 借金の返済? それとも貯金?」
「取り調べは終わっただろ。いい加減に」
「あるいはそう――おばあさまの治療費とか」
それはまるで、頭部を金槌で殴られたかのような衝撃だった。
ほんのつかの間だけ正気を失っていたのだろう。素手であったはずの名栗の両手は、しわひとつないグレーのスーツをわしづかみにしていた。
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