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いまさら言っても覆せない
「そなたとの婚約破棄について、撤回させてくれ」
「はぁ?」
館の主であるテレジアが、夕食を済ませて食後のティータイムを楽しんでいた時の事だった。テレジアのプライベートな時間に前触れも無くやって来てのは、この国の王子であったフィリップ。
彼は、テレジアの前に突然現れるなりそう言ったのだった。フィリップの予期せぬ登場と思いもよらなかった言葉を聞いたテレジア。
コイツは何を言っているのかと口を開いて、聞き返す。左手にカップを持ったままの姿勢で固まってフィリップを見つめながら、理解できないという表情を浮かべていた。
テレジアは、かつてフィリップの婚約者であった。
今と同じような状況で突然、フィリップから婚約破棄を言い渡されて王子の婚約者という立場を失った。婚約者であったからこそ得られていたテレジアの環境は、破棄を言い渡された瞬間に一変した。
テレジアは実家からは厄介払いのように家を出されてしまい、王都から遠く離れた地方に住むことになった。幸い、修道院に送られることは無く数人の侍女と小さな館だけは実家から用意してもらったので、婚約破棄された後はその侍女たちに世話されながら、静かに暮らしていた。
後々になって、ぽっと出の男爵子女がテレジアの代わりになり新たなフィリップの婚約者として発表されて王都では大きな話題になっているという事を彼女は知った。その時には既にテレジアは気持ちの整理も済ませていたので、元婚約者に対する興味も失っていたので、テレジアの感情には何も作用しなかった。
それが今更になって、何の前触れもなく王子が館に来た。
驚いていたり呆れたりし感情が激しく変わるテレジアの様子を一切気にせず、話し続ける王子は誰が見ても空気を読めていなかった。
その空気の読めなさは、王族という特権階級独特の傲慢さと言うよりも彼の本来の性格からによるモノが大きかった。
「私が間違っていた。運命だと思っていた、あの女との出会いは錯覚だったらしい。いや……、むしろ私とテレジアとの運命を弄ぶ為にやって来た、悪魔の使いだったのかもしれない」
王子の口から次々に流れ出て来る言葉、一体何があったのか興味もないし聞いても意味のないソレを聞き流しながら、テレジアはどうやって厄介事や面倒を大きくせずに、自分が巻き込まれないよう注意しながら彼を館から追い返そうか、というような方法を考えていた。
しばらくして、王子が入ってきた扉から同じように後から入ってきた、テレジアの侍女を任されている女性が入ってくるのをテレジアは確認した。
その侍女は落ち着いた様子で振る舞おうとしているけれど、その試みは失敗をしていて慌てた様子で部屋に入ってきた。彼女の様子を見たテレジアは、王子がマナーも無視して訪問の前置きも無くこの館にやって来た、厄介なお客様であると理解する。
「王子様、お久し振りにお会い出来た事を嬉しく感じております。しかし私達は事前に迎える準備も出来ておりません。なので後日、再び話し合いの席を設けますので、お手数ですが今日は御引取を願います」
「出迎え準備の気遣いなど無用だ。今日伝えに来たのは婚約破棄を撤回したいという願いだけだ。どうやらそなたは、受け入れてくれたみたいだから私も嬉しく思う」
テレジアの社交辞令を嬉しそうに聞いている王子。どのような思考回路をしていたら、テレジアが撤回を受け入れたという理解に至ったのか。自己完結しながら楽しげな笑顔を浮かべている。
テレジアが遠回しな言葉で王子を追い返そうとしている事に全く気づいていない。フィリップ王子の状況の察しの悪さ、婚約破棄の撤回を受け入れている、なんて有りもしない事実の展開のさせ方、彼の独り善がりな理解の仕方に、テレジアは再び唖然とさせられていた。
これはハッキリと言わないと理解してくれないようだ。気を引き締め直して王子に対応することに心を切り替えた。
「フィリップ様、私は婚約破棄の撤回を受け入れるつもりは一切ありません」
「え?」
テレジアの返事に、今度は王子が想定していなかったという様な驚きとショックを受けたような表情で、彼女を見つめ返していた。現にフィリップは、テレジアが婚約破棄の撤回を認めないという事実を、少しも想定していなかったようだった。
撤回は受け入れないと断言したテレジアはそもそも、と前置きをしてから婚約破棄の撤回を了承しない理由を丁寧に王子に向けて述べていった。
「第一に、王族である貴方が学園のパーティで貴族の子女達が居る前で宣言した婚約破棄について、既に周知の事実として王国中に知られてしまいました。いまさら撤回する、なんて引っ繰り返す行動は王様がお許しにならないでしょう」
「……」
先程とは逆にテレジアが話し始めると、フィリップは口を閉ざして黙ったまま聞いていた。複雑な表情を浮かべて口を閉じて黙り込んでいるフィリップを一切気にせずに、テレジアは話を続けた。
「第二に、既に私は貴方と繋げていた心は離れてしまっています。以前のような関係に戻ることは不可能でしょう」
「っく……」
テレジアの内心の現状を突きつけられて、呻くだけの王子。
人の多くいる場所で成された婚約破棄、そのために多くの人達が知ることになった婚約破棄をわざわざ撤回する、なんて伝えに来るぐらいの行動を起こした王子の心は、テレジアに向けた多少の愛情が残っている事を彼女は感じていた。
けれど、一方のテレジアの方にしても少しの愛情すら残っていなかった。今はただ厄介事に巻き込まれたくないという一心で、フィリップとの会話を続けている。
なにしろ幼い頃からずっと生涯を共にするという誓いをしていた関係であったはずなのに。
その誓いを信じて王国の発展のためにも、王国に相応しい王妃になるために教育を施されていたテレジア。
蓋を開けてみれば、愛や恋と言った感情に惑わされた王子によって積み上げてきた事を簡単に壊された。コレ以上には無いと言うようなタイミングで、恥をかかされた婚約破棄。
愛情を失くしてしまう出来事としては、十分すぎる出来事だった。
「そして何より」
テレジアは、言葉を詰まらせながら婚約破棄を撤回できないという最大の理由を、意を決して王子に伝えた。
「私は、子供を生み出す能力を神官によって封じ込められました。だから、跡継ぎの出来ない私では、王妃に成るなんて事は永久に不可能でしょう」
「は? そんな、馬鹿な……。何故だ? 何故、そんな事になっている?」
テレジアは、神官の秘技によって子供の出来ない身体となっていた。テレジアにとっては口に出す事も辛い事実だったけれど、努めて冷静な風を装って。そんな事実をフィリップに伝えていた。
今まで、黙って聞いていた王子は混乱して詳しい状況を聞き出そうとする。
「何故? ……それは、貴方が婚約破棄を申し渡したからでしょう!」
王子の婚約者であったテレジアは未来の王国において王位継承の問題に禍根を残さないために、王族と関係した女性は結婚前の関係であっても他の貴族との間に子供を作らせる訳にはいかないので、婚約破棄を言い渡された時点で関係を絶たれた後は、神殿の持つ秘術によって一生子供を作れない身体と成っていた。
テレジアにとって辛い選択だったけれど、ソレを選ばなければ今よりももっと自由を奪われる生活を強いられる。牢に入れられ幽閉されるか、最悪は安楽死という状況もありえただろうから、婚約破棄によってよってもたらされる将来の暗い道筋は決まってしまっていた。
だから、辛く有っても何とか生きながらえる方法を選び、今を生きていた。
「違う……! そんな事になるなんて、まさか、そんな……」
今ごろになって婚約破棄によるテレジアの事情を知って、安易な行動に出たことを嘆き悲しむフィリップ。
地面に蹲って謝り始めたフィリップを、テレジアは冷たい視線で見つめるだけだった。言っても覆せないことは明らかだったろうに、という思いを浮かべながら冷徹な目線を向けるだけで、何も言わずに彼の醜態を眺め続けるだけだった。
その後、王様からの使いがやって来て、フィリップを回収していくとホッと一息ついてテレジアは何事も無かったかのようにその時の出来事を記憶から消し去ると彼女は日常へと戻っていった。
フィリップが有る事情により幽閉されてしまったこと、その王国は別の王位継承権を持つ者へ渡された事、不幸にまみれた最期を送ったこと等、何も知ろうとはしないまま、テレジアは静かに暮らしましたとさ。
【短編】いまさら言っても覆せない
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