10.ただのお兄ちゃん

「おはようございます」

「おあよぉ~」


 ダイニングでコーヒーを飲んでいると、メアリーがトタトタと階段を、リリスはブルーに跨って一階へ下りてきた。


——リリスは飛んだ方が速いと思うんだけど、まあ、飽きるまでやらせておくか。


「お、おは……よう……」


 続いて、うっかり聞き逃しそうな声で挨拶をして来たのは初美だ。やや紅潮しているけど、酔って色づいた赤味じゃない。

 どうやら元のハジデレ初美に戻ったようだ。


 昨夜の記憶は残ってるのかな?

 まあ、深掘りするのはお互いのために止めておこう。


「みんな、おはよう♪」


 母さんが、トレーに木製のカップ二つとトーストを載せてダイニングへ入ってくる。メアリーの前にはミルク、初美にはカフェオレ、トーストはリリス用だ。

 さらに二階からパタパタと誰かが降りてくる足音がする。


——しずく


 おはよう、と言いながらいつも通り俺の対面に座る雫。

 俺も、出来る限り普段通りの表情を作って挨拶を返す。……が、どうしても昨夜のことを思い出して意識してしまう。


 朝日が差し込むダイニングで、改めてしみじみと義妹を眺めてみる。


 あごのラインに沿うように伸ばされた黒髪のスレートボブ。

 黒曜石を埋め込んだような涼やかな双眸の間には、すっと筋の通った真面目そうな隆鼻。

 淡い梅の花を思わせる子供のようなピンクの唇……。


 決して目を引くような派手さはないけれど、日本的で控えめな美人顔だ。

 丹精込めて育てられた桃のように、いかにも傷つき易そうな瑞々しさが雫のほんのり色づいた頬からも溢れ出ている。

 

 客観的に見て……やっぱり、相当レベルの高い美少女だと思う。

 父さんには似ていないから本当の母さんが相当美人だったんだろう。


「なぁに?」


 雫が俺の視線に気が付いて小首を傾げる。


「い、いや、なんでもない……」


 雫は至って普通だな……。

 まあ、雫にとっては三年前から分かってた事実だし、そりゃそうか。


 元の世界の雫はどうだったっけ?

 もしかして、こちらでは世界改変で血の繋がりを消されたけど、元の世界ではちゃんと異父兄妹だったなんてことは……。


 いや、ないな。

 言われてみれば、思い当たる節はいくつかある。

 母の再婚は俺が一歳の頃だと聞いていたから、最初の父親の一周忌が済む前……というのはさすがにないだろうし、その直後くらいということになる。

 ただ、そうなると妹が生まれた時期から出来ちゃった婚の可能性も高い。


——あり得なくはないけど、母さんの性格を考えると……。


 今さらながらかなり違和感を覚える。

 それに、俺が四、五歳の頃、元の世界の父さんが雫らしき小さな女の子を連れて訪ねてきた記憶が、ぼんやりとだけど残っている。

 時々ふと思い出すことはあっても、妹を連れて出かけていた父さんが帰って来ただけの記憶だろうと大して気にも留めてはいなかった。


 でも……。


——そんな、ただの日常の一コマがこんなに強い印象を伴って残るものだろうか?


 今にして思えば、俺が聞かされていた再婚の時期は俺たちに異父兄妹だと思わせるための嘘で、本当はもっと遅かったのかも知れない。


「——ちゃん? お兄ちゃん!」

「……え? あ、ああ、何?」

「もう! どうしたのぼんやりして? 今日の予定を聞いたんだけど!?」

「あ、あ~、え~っと……使役者テイマーズギルドまで行こうかと……ブルーとメアリーの使い魔登録を済ませたいから」

「じゃあ、私も途中まで一緒に行こうかな? ティーバまで出るんでしょ?」

「え? ティーバ? ティーバ……」


 そう言えば、詳しい場所を確認してなかった!

 チラッと雫の隣へ眼を向けると、俺の視線を受けて初美がコクコクと小さく頷き返してくる。どうやらティーバで間違いないらしい。


「そ、そう! ティーバ! そこに行く!」

「もう! お兄ちゃん大丈夫? ボォ~ッとして魔導車に轢かれたりしないでよ?」

「だ、大丈夫。心配ない。いつも通り」

「ふ~ん……」


 探るような目つきで俺の顔を覗き込んでくる雫。

 ……が、すぐに笑顔に変わり、


「じゃあ、メアリーちゃんも晴れて綾瀬家の一員になるわけだね! 昨日はお父さんの誕生会のついでだったから、今夜はちゃんと歓迎会しよっか」

「歓迎会! 楽しみです!」

「うんうん。材料買ってくるから、何かお菓子でも作ってあげるよ」

「「やったー♪」」


 と、こぶしを掲げてガッツポーズをするメアリーとリリス。


「……おまえら、何気なにげに息ピッタリだよな」

「「どこがっ!?」ですか!」


——でも、そう言えば今日は華瑠亜かるあにバイト頼まれてたんだっけ。


「今日は夕方からバイトがあるから少し遅くなるかも」

「そっかぁ。じゃあ、お菓子は明日かな?」

「「ええ~っ! がっくし」です」


 項垂うなだれる二人の使い魔の様子にクスクスと口元をほころばせる雫。

 やはり、至って平常運転だ。


「コーヒー、お代わりは?」と、キッチンから母さんの声。

「うん。ああ、えーっと、何かスープでも貰える? お腹空いてきた」

「じゃあ、みんなまだ起きたばっかりだけど、朝食にしても大丈夫?」

「むしろ、ばっちこーい!」


 元気に答えるリリスに続き、メアリーと初美、そして雫も頷く。


「あれ? リリスおまえ、今トースト食ってなかった?」

「は? あんなの食前パンだよ」

「しょくぜんパン……」

「じゃあ、ちょっと待っててね。すぐに持っていくから」


 母さんの声を聞きながら、ふと元の世界へも思いを馳せる。


 俺がこっちに転送されたことで、あっちの母さんからは実の子供がいなくなったってことか……。

 昨日までは、まだ雫が残ってるから……というのが救いになっていた。


 でも、雫は実子ではなかった。

 うらら初美はつみと違って改変後に転送された俺は、元の世界ではどんな扱いになっているのは分からない。

 行方不明扱いになっているのか、或いはもともと存在しなかった者として処理されているのか……。


 ただ、いずれにしても、俺や勇哉ゆうやの軽はずみな行動があの人から実の息子を奪ってしまったことは確かなんだよな。


 思わず大きく息を吐くと、正面の雫が心配そうに首を傾げて、


「どうしたの、お兄ちゃん? もしかして昨夜のアレって、やっぱり——」

「ちっ、違う違う! あれは俺も寝呆けて勘違いしてたって言ったろ? 全然別の件で、ちょっと考えごとしてて……」

「ふ~ん……。まあいいけど、何か心配事があるなら、お兄ちゃんのよく出来た妹にも相談してよね」

「うん、ありがと」


——とりあえず、うじうじ思い悩んでいても仕方ながい!


 済んだことは事実として受け入れるしかないし、俺と雫のことだって、血が繋がっていないからってこれまでと何が変わるわけでもない。

 雫も、そしてこの世界で過ごしていた俺も、きっとショックな時期もあっただろうけど今はそれを乗り越えて普通の兄妹として過ごせていたはずだ。

 雫の態度を見ていればそれは分かる。


——俺も早く切り替えて、元通り〝ただのお兄ちゃん〟に戻らないと。

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