09.雫

「わりぃ、起こしちゃったか」

「ああ、ううん、大丈夫。さっき布団に入ったばっかりで、ウトウトしてただけだから」

「ごめんな。ちょっといろいろあって、今夜はここで寝かせてもらっていい?」

「構わないけど……何、いろいろって?」

初美はつみが酔っ払ったみたいでさ……ちょっと絡まれちゃって」

「ふ~ん……」


 しずくの「ふ~ん」は話にあまり納得してない時の反応だ。

 まあ、かと言って根掘り葉掘り訊かれるわけでもないし、こっちも余計なことを話す必要はないけれど。


「絡まれるって?」

「……あれ?」

「何?」

「い、いや、追加説明を求められるなんて珍しいなと思って……」

「だって気になるじゃん。……で、どんな風に絡まれたの?」

「えっと……初美が寝ぼけてベッドに入ってきて……な、何だろ、抱き枕と勘違いでもしてんのかな? ははは……」

「抱きつかれたの?」

「え? い、いや、まあ……軽く?」

「何そのラッキーイベント」

「いや、そうとは言えないからここに来たわけで……」

「ふ~ん……」


 しばしの沈黙。

 少し待ってみたが、雫からそれ以上質問されることはなかった。


「じ、じゃあ、そう言うことで……おやすみ」

「ちょっと待って、お兄ちゃん」

「ん?」

「そこのTシャツ、取って」


 雫が指差した先を見ると、椅子の背凭せもたれに白っぽいTシャツが引っ掛けてある。どうやら上半身だけ脱いで寝ていたらしい。

 べつに妹の裸を覗き見るつもりは毛頭ないけど、かと言って同じ部屋に俺がいるのに裸のままいるわけにもいかないだろう。


「ほいっ」と、Tシャツを取ってベッドの上に放る。

「ありがと」

「いや、俺の方が押しかけたんだし……」

「……」

「ん?」

「あっち向いててよ」

「あ、ああ、ごめんごめん」


 薄暗くてシルエットくらいしか見えないけど、そりゃまあそうだよな!


「なんか、こうやって同じ部屋で寝ながら話すの、久しぶり」


 シャツを着終わった雫が再び口を開く。


「そうだな。小さいころを思い出すな」

「私が六年生の時だったよね。部屋を別々にしたいって言ったら、お兄ちゃん、すっごく寂しそうな顔してた」と、雫が声を殺して笑う。

「そ、そうだったっけ?」


 どんな顔をしていたのか分からないけれど、確かに寂しく感じた記憶はある。もちろん元の世界での記憶だけど、こっちの俺も同じような心境だったようだ。


「自分で言うのもなんだけど、雫のことは結構可愛がってたつもりだったからな」

「ん、そうだね」

「だから別部屋でって言われた時は嫌われたような気がして寂しかったんじゃないかな、たぶん。……はっきりとは覚えていないけど」

「シスコ~ン」

「うるせ。可愛がってたんだから文句ゆーな」


 シスコンと言われるほどかどうかは分からないけど、友達から聞かされるような身内話と比較すると、うちの兄妹仲がかなり良い方だったことは自覚している。

 友達に『綾瀬の妹って可愛いの?』と訊かれて『可愛いよ』と答えたら冷やかされたことがあったが、何がおかしいのか今でもよく分からん。


 雫は兄思いの良く出来た妹だったし、喧嘩も滅多にしたことがなかった。

 たまに塩られたこともあったけれど、それもたぶん……いやきっと! 愛情表現の一つであって、あえてうとむ理由はどこにもない。


 こちらの雫と接していてもまったく違和感はないし、精神的な関係性については元の世界と一緒と考えていいだろう。


「一応言っとくけど、別部屋にしてって言ったのはお兄ちゃんを嫌いになったとか、そう言うことじゃないからね?」

「分かってる。まあ、年頃になれば一人になれる場所も欲しくなるだろ、普通」

「う~ん……そういう理由ではないでしょ……」

「そうなの?」

「お兄ちゃんが我慢できなくなって、可愛い妹を襲ったりしないかと心配になったんだよ」


 そう言って、薄闇の向こうでクスクスと笑い声を零す雫。

 他愛のない兄妹の会話に混ぜる冗談にしては、少し悪趣味にも感じる。


「ばっか……そんなわけないだろ」

「だよね~。いくらなんでも、わざわざ初美さんが来てる時にはねぇ」

「そうじゃなくて、そもそも兄妹なのにってこと」

「ん? 兄妹?」

「え? 兄妹……だよな?」


 一瞬間違ったことを言ったのかと思って焦ったが、この世界に来て一か月以上経っている。何かしらの設定の変化があれば絶対に気付くはずだ。


 それなのに……なぜだ?

 なぜ雫のシルエットは不思議そうに小首を傾げている?

 俺と雫は兄妹——それは間違いないはずだ。

 まさか、この世界では近親相姦も当たり前なんて言うんじゃないだろうな?


「戸籍上は兄妹だけど……」と、寸暇の沈黙の後、雫が口を開く。

「別に血が繋がってるわけでもないでしょ?」

「はあ? そう言う、誤解を招くような発言には気をつけろよ」

「別に外でわざわざ言ったりしないけど……でも、血が繋がってないのは本当なんだし、誤解ってわけでもないじゃん」

「まてまて! 繋がってるだろ。異父兄妹だって半分は繋がってんだから」

「異父……兄妹?」


 俺の言葉を復唱しながら、再び雫が首を傾げるのが分かった。

 母さんから見たら、俺は最初の結婚相手との間に生まれた息子で、雫は今の父さんと再婚した後に生まれた娘だ。


 それは、元の世界でもこっちでも変わりないはずだよな?

 それとも、また何か間違ってること言っちまった!?


「お兄ちゃん……ほんとに、お兄ちゃんだよね?」


 サァ~ッと背筋に冷たいものが走る。

 以前うららに、『紬くんって、ほんとに紬くん?』と問いただされた時にも感じた、あの何とも言えない焦心に似ている。


―—え……何? 俺、何かミスった!?


「あ、あたりまえだろ! 俺が雫の兄じゃなかったら……な、何だって言うんだよ」

「だって……お兄ちゃんもあの時一緒にいたよね?」

「あの時?」

「お父さんとお母さんが私たちの事を話してくれた時……。あれを聞いて、その場で私、部屋を別々にしようって頼んだんだから」


 一体何の話だ?

 元の世界でも部屋を別々にしたいと言い出したのは雫の方だ。

 しかしあの時、二人で両親から何か話を聞くなんてイベントはなかった。


 でも、何か……記憶の底に、何か引っかかるものがある。

 思い出せ。

 あの時、あの前後に何があった?


 確かあの日、当時中学生だった俺が部活を終えて家に帰ると、真剣な顔をした両親と、当時小学生だった妹が何かを話していたんだ。


——どうしたんだろ?


 俺が不審に思ったすぐその後に、雫が俺と部屋を別々にしたいって言い出したんだっけ。

 もしかするとこの世界では、その話を俺と雫が二人揃って聞いてたんだろうか?

 一体、母さんと父さんは何の話をしたんだ?


「どんな——」話だったっけ? と言いかけて慌てて口をつぐむ。

 きっと、気軽に訊いちゃダメなことだ。

 雫の様子を見る限り、絶対に忘れてはいけないような内容だったんだ。


 とにかく今は、俺の方から迂闊な質問も、適当な話もできない。

 仕方なく黙って雫の次の言葉を待っていると……。


 しばしの沈黙の後、大きく息を吐きだした雫がゆっくりと口を開く。


「私は、お父さんの連れ子でしょ? 私とお兄ちゃん、まったく血は繋がってないって……あの時一緒に話を聞いてたよね?」

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