08.夜這い

 布団の中を何かがモゾモゾと這い上がってくる気配。


——な、何だ!?


 微睡まどろみの海を漂い始めていた意識の船が再び覚醒へ舵を切る。

 目を覚ましたら布団の中から血まみれの女がこちらを見上げていて——

 なんて昔見たホラー映画のワンシーンが頭をよぎって総毛そうけ立つ。


 壁側に向けていた顔を首だけ回して振り返ると。


——初美はつみ!?


 闇に慣れた目が、布団をめくって俺の身体をよじ登るように、緩慢な動きで迫ってくる初美を捉える。


——完全に目が据わっとる!


 元の世界より倍は明るい月明りの中。

 故意かたまたまか、半分ほどボタンの外れたパジャマの胸元から、下着をつけていない乳房の膨らみが覗いている。


 慌てて壁側へ顔を向け直して固まっていると、完全に背後から覆いかぶさる態勢になった初美が、俺の顔を覗き込むように頭をもたげる気配が伝わってきた。


 初美の肩口からこぼれてきた毛先に頬をサラサラと撫でつけられ、俺の胸元にそっと手を差し入れられたところでたまらず小声で話しかけた。


(お、おい初美! 何してんだ!?)

「上書き……」


 衣擦れの音と共に聞こえてきた初美の声が、思っていたよりも近くて一気に緊張感が高まる。


(う、上書き? 何の話!?)

「私のテクニックで……紬くんを虜に……する」

(て、テクって、いったい何の!?)

「手とか……口とか……」


 普段よりも明らかに流暢りゅうちょうな日本語だけど、発している内容は意味不明。

 ただ、なんとなく如何いかがわしいことを考えているんじゃないかという予感はある。端的に表現するならこれは……。


——夜這い? クソ親父、ワインに媚薬でも入れたんじゃないだろうな!?


(ちょ、ちょっと待てって! 初美おまえ、そんなキャラじゃないだろ!)

「わりとこういうとこある……」

(どういうとこだよ! こんなこと、よくしてるってこと!?)

「……してる」

「えっ!?」

「……と言えば、嘘になる」


 嘘かよ! びっくりして思わず大きな声を出しちまった。

 とりあえず一安心……って、何で俺はホッとしてんだ?


「でも、大丈夫……イメトレは十分に積んだ」

(わ、わかったから、一回! 一回そっち戻ろ? な?)


 背中越しに擦り寄ってくる初美を肘で押し返そうと試みるが、その腕を絡め取って逆に俺の動きを封じる初美。予想外のテクニックだ。


——これもイメトレのたまものか?


 背中に押し付けられた、小気味よい膨らみから伝わってくる早鐘のような鼓動に俺の心臓も呼応する。

 幼馴染の少女が漏らす言葉と共に、生暖かい吐息が俺の耳に纏わりつく。

 迂闊に寝返りを打とうものなら唇でも奪われかねない勢いに思えて、必死に壁側を向いたまま半身の姿勢を維持。


 監視委員がこれじゃあ意味無いだろ!

 にわとり小屋をライオンに見張らせているようなもんだぞ!?


 さらに初美が、俺の腕に絡めていた手を離して脇から滑り込ませ、胸からお腹、お腹から下腹部へとおもむろにてのひらを滑らせてゆく。


「はぁうっ♡」


 ついに、勝手に反応しているアイツ・・・をスウェットの上から掴まれて、自分でも聞いたことのないようなおかしな声が口を衝いて出てきた。

 一瞬、すべてを忘れて流されそうになった俺の脳裏に華瑠亜かるあの声が響く。


『初美に手を出したら殺す』


——だ、ダメだ、華瑠亜スナイパーに殺される!


 むしろ手を出されてるのは俺の方だけど、アイツがそんな言い訳を聞くわけない。


 このままじゃ危険だ!

 思い切って態勢を変えて力づくで突き放すか?

 でも、うるさくして使い魔Sツカイマーズが起きてしまったら……。

 いや、むしろ起こして助けを呼ぶと言う手も!?


 しかし、いざ動かそうとしてみると強張った筋肉が言うことを聞いてくれない。

 その間にも、金縛りのように固まった俺の体に覆いかぶさるように回り込んできた初美の吐息が、いよいよ口元へ接近してくる。


 こ、こいつ、マジだ! この酔っ払い娘ドランクガール、マジで俺の唇を狙ってる!

 う、動け! 俺の体っ!


「チューですかっ!?」


——うわおっ!


 突然部屋に響いたメアリーの声に、金縛り状態だった俺の体がビクッと反応する。


ちゅうですか? だいですか? ……ああ、しょうですか……ムニャムニャ」


——ね、寝言? 例のトイレの夢か!?


 とりあえず、金縛りが解けた体を動かして初美から離れ、僅かに空いた隙間を使って素早く寝返り打ちながら下腹部の痴女ハンドを引き剥がす。

 さらに両手で初美の体を押しやって距離を取り、ようやく一息ついた。


「と、とりあえず、一旦落ち着け痴女美! ……じゃない、初美!」

「……」

「今はお酒も入ってて正常な状態じゃないし、こ、こういうことは頭がちゃんとしてる時によぉ~く考えて……」

「……」

「は、初美?」

「……スヤ~」


——スヤ~、っておい! ね、寝ちゃったの!?


 初美を起こさないよう少しずつずらしながら、俺はゆっくりと体を滑らせてベッドから脱出する。

 暗闇の中で立ち上がり、全員が寝ていることをもう一度確認してからゆっくりと大きく息を吐いた。


——た、助かった……。でも、この後どうする?


 初美を下に降ろそうとしてまた起きられても厄介だし、かと言って下で寝るにしても、隣は寝相の悪いメアリーだ。

 朝起きて万一おかしな態勢にでもなってたら、監視委員会にどんな報告をされるか分かったもんじゃない。

 今後のためにもロリコン疑惑を深めるような行動は避けた方がいいだろう。


 廊下で寝るのもなんだかあてつけがましいし、また痴女美に襲われないとも限らないからな……。

 しゃーない、しずくの部屋の隅にでも横にならせてもらうか。


 最初に初美が寝ていた布団を抱えると、忍び足で隣室へ向かいそっと扉を開ける。


——やっぱり、雫はもう寝てるか。


 元の世界から転送された俺の部屋とは違い、こちらの部屋は世界観通り中世ヨーロッパ風の木組みの家コロンバージュの一室だ。

 俺の部屋と比べるとだいぶ狭いけど、それでも人一人が寝られるくらいのスペースは十分にある。


——朝起きたら雫には驚かれるかな?


 よく考えれば妹の部屋に忍び込んで寝る兄貴というのもなかなか怪しいが、こっちの世界でも数年前までは一緒の部屋で寝ていたらしいし、まあ大丈夫だろう。 

 血の繋がった兄妹同士で何を疑われるということもないだろうし、シスコンの方がロリコンの嫌疑をかけられるよりはだいぶ健全だ。


 布団に入って横になると同時に、ベッドの上でモゾモゾと何かの動く気配がした。


「だ……誰かいるの!?」

「あ、ご、ごめん! 俺だ俺」


 わりとハッキリとしていた雫の声に、俺も慌てて答える。


「お兄ちゃん!?」

「わりぃ、起こしちゃったか」


 薄闇の中、上半身にタオルケットを巻きつけるようにして体を起こす妹のシルエットが浮かび上がった。

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