02-3.雪平立夏 編

 バザール会場に着いたのは十時半頃だった。


「あそこにいるの、立夏ちゃんじゃない?」


 リリスの指差した方向へ顔を向けると、人混みの中で商品を物色している小柄な少女に目に止まった。

 風船帽キャスケットから飛び出している薄桃色の後ろ髪。

 少し角度を変えて横顔を覗いてみると、確かに立夏だ。

 とたんに、トゥクヴァルスでの口移しが頭に浮かんできて顔が熱くなる。


――緊急事態とはいえ、俺もよくあんなことしたもんだよ……。


 思わず回れ右をしたくなったが、ずっと避け続けるわけにもいかない。

 あの状況じゃ覚えているとも限らないし、とにかく声をかけてみることにした。


「……立夏?」


 ゆっくり振り向いた立夏は相変わらず無表情で、藍色の瞳からは何の感情も読み取れなくて……。

 と思ったのだが、次の瞬間、回れ右をして立ち去ろうとしたのは立夏の方だった。


「お、おい! ちょっと!?」


 やっぱりあのこと、怒ってるのか!?

 それとも、借りていた縦笛をなくしてしまったこと!?


 いずれにせよこのまま行かせてしまっては、さらに尾を引くことになるだろう。

 最初から見て見ぬフリをするよりも状況が悪い。

 思わず、立夏の小さな肩をつかんで引き止めると、


「なに?」


 立ち止まりはしたものの、こちらへ背中を向けたまま短く問い返す立夏。


「いや、なに、ってわけじゃないけど、たまたま見かけたから……スルーするのもおかしいだろ?」

「……べつに」

「えっと……お、怒ってる?」

「……なにを?」


 口移しをしたこと……とはさすにが訊けず、とりあえず笛をなくしたことを謝ると、ようやく立夏もこちらに向き直る。

 相変わらず無表情だけど、少しだけ、目が大きくなってる!?


「笛は、新しいの買って返すから……」

「……必要ない」

「でも、怒って――」

「怒ってない」

「じゃあなんで、逃げるみたいに……」


 立夏は、自分の格好を確認するように少しうつむくと、


「……服が」

「服?」


 トップスは長袖の白と黒のボーダーに、下はミニのベロアスカート。足元は厚底のサボサンダルと、確かに近所に用を足しに行くようなシンプルな出で立ちだ。

 それでも、俺には普通に可愛らしい着こなしに思える。


「服が、どうしたの?」

「出掛けるつもりなかったから、夏物、ぜんぶ洗濯して……」

「ああ、だから長袖?」


 女子のファッションに詳しくないが、言われてみれば、スカートのベロア生地も秋春の方が合っていそうな気はする。

 再び振り向いて立ち去ろうとする立夏の腕を慌てて掴む。


「ちょ、ちょっと待てって! とりあえず、黙って立ち去るの、やめ!」

「……みっともないから」

「いや、可愛いよ! 似合ってる」


 元の世界の記憶からはまったくイメージできなかったが、立夏でもそんなことを気にするのか。

 服装のことよりも、そちらの方がかなり新鮮だった。

 とりあえず俺の言葉で安心したのか、またこちらへ向き直ると、それ以上逃げ出そうとすることはなかった。


「……で、何を見てたの?」


 改めて立夏が物色していた露店を見ると、どうやら画材屋らしい。

 そういえば今、立夏が小脇に抱えているのも画用紙を紐でまとめたファイルのようだ。


「絵、描いてるの?」

「……夏休みの出来事」

「そんな宿題、あったっけ?」

「……絵画クラブの課題」

「ああ、なるほど……」


 この世界では学校の部活動のようなものはなく、代わりに、地域のさまざまなクラブ活動に参加するのが一般的なのだ。


「それ、立夏の絵?」


 画用紙ファイルを指差すと、立夏が小さく頷く。

 何の気なしに「見せてもらってもいい?」と訊ねると、意外にもすんなりとファイルの中から一枚を抜き取って渡してくれた。

 渡された画用紙を見てみると、中央に大きく青っぽい塊が描かれている。


――この形は……ナス?


 ナスには割り箸(?)のようなものが四本刺さっていて、四足歩行の動物を模したものであることはなんとなく想像できる。


――これ、田舎のばあちゃんちで見たことがあるぞ。


 お盆に、神棚に飾り付けする〝精霊馬〟しょうりょうまってやつだ。

 茄子やキュウリで作った馬を精霊棚に供えるアレだが……。

 背中の辺りに生えている、黒い髪の毛のようなものはたてがみだろうか?

 でも、なんでこんなものを描いたんだろう。この世界のお盆は七月?


「立派な、茄子だね」

「……パンサー」

「え?」

「……キルパンサー……トゥクヴァルスの」

「あ……ああ! なるほ……(え!?)」


 絶句――。


 これが……あの、キルパンサー?

 青い色と、足らしきものが四本生えてることくらいしか共通点がない。その足にしても、どう見ても割り箸か爪楊枝だし、どちらが頭なのかすら分からない。


「な、なるほどなるほど……。あいつに、こんな鬣あったっけ?」

「……ファイヤーボール」

「ん? この、黒い髪の毛みたいなやつだよ?」

「……赤い絵の具を切らしてたから」

「うん」

「黒で描いてみたけど、イメージと違うので赤を買いにきたの」

「なるほど!」


 そりゃそうだろ。

 抽象画でもあるまいし、赤い炎を黒で代用しようと言う発想が前衛的すぎる。

 ……と、俺たちの様子を見ていた画材屋のオバちゃんが不意に話しかけてきた。


「今、おまえさんの一番近くにいる者の幸福が、悪夢から抜け出す唯一の鍵だよ」


 悪夢? なんの話だ? 立夏を幸福に、ってこと?

 なんとか、この絵を持ち上げろと言ってるんだろうか?

 難易度たけぇ……。


「な、なんて言うか……グッとくる絵だね! アヴァンギャルドというかエキセントリックと言うか……」

「……ありがとう」

「い、いや、ほんと、とても個性的だと思う」

「キルパンサー、難しそうだなって思ったけど……」

「うん」

「意外と簡単だった」


――絵を舐めすぎでは!?


「……あげる」

「え?」

「その絵、よかったら」

「い、いいの? クラブに持っていくんじゃ?」

「描きたいのは、それじゃないし」


――じゃあ、なぜ描いた!?


「紬く~ん、ハラヘッタ」


 気がつけば、リリスもポーチから顔を出して立夏画伯・・の絵を見上げている。


「そんな下手くそな絵もらってどーすんの? ディスクマットの下に敷くくらいしか使い道が――」

「シッ、シィ――ッ!」


 慌ててリリスの口を塞いで立夏を振り仰いだが、絵の具選びに集中していて聞こえなかったようだ。


(ばかリリス! もうちょっとオブラートに包め!)

(だ、だいぶ控え目に言ったわよ! 率直に言ってゴミだよそれ……ムギュッ!)


 慌ててリリスをポーチに押し込む。

 お腹が減ってだいぶ荒ぶっているようだ。

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